カラスウリ 狐下げたる 灯りかも
馬糞 Bafun
篠栗駅から歩いて20分ほどのところに、財政豊かな久
山町が運営する「久山温泉」がある。
年に二三度、思い出したように行くことがある。
交通不便なので、歩道のない危険な車道を歩いてゆく
か、タクシーでゆくしかない。
たまに、バスが行くらしいが、ほとんど出会わない。
車道を歩くだけというのも無粋なので、山越えの道が
ないものかと、横道に入った。
さえずりや羽音で賑やかな柿木があった。
たくさんのメジロたちが腹いっぱいに柿をつついてい
た。
その木は、鳥たちのために柿を実らせているのだろう。
藪の中でひときわ目立つのがカラスウリの紅い実であ
る。
狸というよりも、狐が通う赤提灯のように、怪しい色
で下がっている。
結局、山道は途絶え、引き返すことになった。
それにしても、山にはちょっとした冒険がある。
人はあまり藪に入らないほうが良い。
鳥や動物の住処をこれ以上奪いたくはないからだ。
山を失ったメジロが、今朝もひとしきりさえずった。
いい歌だった。
柿の木のかわりに、春までは柿やみかんを提供すると
しよう。
【東西文明の融合という新文明への挑戦】
諸行無常というこの世の運動法則は、発展をとるか、
退転をとるかの二者択一である。
退転とは、リスクをとらない安全志向の着地である。
発展とは、リスクと責任を背負ってするチャレンジの
果実である。
リスクの実現は、失敗ということであるが、退転では
ない。
発展のプロセスに失敗もまたあるということである。
日本の歴史的位置づけは、西田幾多郎の挑戦というべ
き東西文明の合流点として、その融合を目指すべき位置
にある。
教育も、商品開発も、企業戦略も、この『東西文明の
融合』をキーワードとして挑戦するところに、新時代の
発展が開かれるであろう。
小さな会社であっても、次の一手として、東西文明の
融合ということを考えてみよ。
かならず、新しい価値を生み出すことができるであろ
う。
そのための試練が今、後押ししているに違いないのだ。
しかし、文明の核となるのは、信仰である。
信仰のない者は、残念ながら、文明ということを理解
できないであろう。
欧米文明の核は、キリスト教と地中海文明の核という
べきギリシャ哲学であろう。
東洋文明は、小乗仏教、儒教、日本神道である。
その融合したものの一つが「武士道」というべきであ
ろう。
日本になじみの少ないものが、中東文明ともいうべき
ユダヤ教、イスラム教である。
だから学ばなければならない。
キリスト教文明と仏教文明の思想と歴史を。
世界史と日本史と東南アジア史を。
そして、信仰という悟りの境地を。
宗教音痴の日本人とは、国際性のない日本人を意味し
ている。
国際的に見て、ノーブランドで無教養ということであ
る。
すなわち、信用できない動物的人間ということである。
だからこそ、宗教の教養と感性を磨かなければならな
いのだ。
信仰なき文明はない。
文明とは、信仰を核とする繁栄である。
正統な信仰がさげすまれるとき、文明は崩壊してゆく
ことになる。
文明の衝突ではなく、文明の融合によるあらたな発展
を目指すには、伝統的宗教を融合する高次の宗教が受け
入れられなければならない。
おそらくそれが、幸福の科学・仏教ではないかと思う
のである。
新しい宗教理解なくしては、日本のみならず、世界の
あらたな発展も文明創造もならないであろう。
新しい発展の鍵は、ヘレニズム文明よりもはるかに壮
大な東西文明の融合である。
これを進める者は、個人も企業も、新しい価値を生み
出し、あたらしい発展と繁栄を享受することができるで
あろう。
その発展の前に立ちはだかるものは、大衆的偏見であ
り、リスクを嫌う事なかれ主義という退転思考である。
チャンスをつかむためには、最後には勇気である。
退転か、発展か。
発展を取るならば、勇気を持て!
自民党よ、発展をもたらす政党であるならば、大義を
掲げ、リスクをとって、勇気ある行動をとることだ。
今こそ、全ての日本人に、新しい文明のための理想と
勇気が求められているのである。
梅士 Baishi