黒ユリの 開きし朝よ 雲の上
梅士 Baishi
気温9℃、温室効果ガスの甲斐もなく、寒い朝である。
その寒さが似合う花が咲いた。
冬牡丹の頃、筥崎宮で求めた黒百合の苗がひょろひょろと伸びて
紫紺の花を開いた。
かつて、信州から取り寄せて咲かせたが、二年目はなかった。
高山植物であり、博多で育てて夏を乗り切るのが難しい。
それにしても、神秘で美しい花である。
その花が、冷たい雲の上の風を呼んだかのようである。
高山の冬は厳しいかろう。
その中で命を保ち、花を咲かせる植物の試練は神秘である。
しかし、温暖な低地の人間くさい環境はさらに厳しいかもしれない。
繁栄の中にも存在感を見失いがちになる。
大輪の花も可能だが、腐敗菌も多くて腐りやすい。
ドブ池にも大輪の花を咲かせる蓮の花もまた神秘であることよ。
人生もまた神秘でありたい。
悟りの花を咲かせたいものである。
【役割人事の落とし穴~ 適材適所の考案】
組織の管理者が人事をいじくろうとする動機は、スタッフへの不信に
あるのだろうと思うことがある。
一体何をしているのか見えなくて、役割のレッテルを貼りたがる。
なぜ、不信になるのかというと、スタッフが管理者に報告連絡相談を
しないという原因があるだろう。
もうひとつは、どうせ上で決めてるんでしょ、という管理者への不信
があるだろう。
結局は、コミュニケーション不足が信頼関係という組織力を弱め、不
信という症状を現し、指にべたつくような人事症を発症するのではない
か。
役割人事は組織の連帯を弱め、発想力を乏しくする。
いわゆるセクト主義、役割の孤立化という弊害を生みやすい。
役割人事は、専門化すべき分野では必要なことであるが、事細か
な専門分化を始めると始末に終えなくなって組織が腐ることになる。
人間不信、そこに組織問題の解決すべき本質問題があるのではな
いか。
リーダーたるもの、部下への信頼に基づいて采配をふるうことが肝
要である。
結局、リーダー責任を棚上げした人事は、組織をダメにするというこ
とである。
適材適所の「材」を見分けるのは信頼である。
「所」とは個別業務ではなく、いわば戦略プロジェクトである。
信頼と戦略が人事の要諦というべきではないか。
組織たるもの、役所のようになってはならない。
マーケットを育て、マーケットに支持される営業組織でなければなる
まい。
しからざれば、激動時代の発展はないであろう。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi