すみれ草 聖徳太子の 衣着て
梅士 Baishi
スミレの花は、聖徳太子の烏帽子色にも、衣の色にも見
える。
なんとも清清しく清らかな紫色である。
そういえば、わが家秘蔵の黒百合は風に折れてしまった。
そのかわり、鬼百合が轟々と音を立てるように背丈を伸
ばしている。
同じユリとは思えないほどの対照である。
さて、坂本竜馬も、吉田松陰も、西郷隆盛も、改革では
なく国づくりをせよと申される。
維新革命である。
もとより、そのつもりである。
維新政党が政権をとればそれはできる。
「日本国憲法」を廃止し、真正・日本国憲法を宣言すれ
ばよい。
新憲法草案を掲げて選挙運動をすればよい。
その維新革命のために正さなければならないのは、マス
コミの責任である。
放送に関しては、NHKを筆頭に、放送法の精神に反して
いる。
とても、不偏不党ではないし、民主主義のためにあま
ねく真実を報道するという誠実はみられない。
幸福実現党を無視すること自体が放送法に違反している。
また、NHKは不公正な放送を繰り返している。
NHKは放送編集権があるなどと開き直ること自体が許さ
れないことである。
公のために奉仕すべき公務所の分際だからである。
民放であっても、放送資源を独占している立場であるか
ら、企業活動の自由と同列の編集権などという横着は厳し
く制限されているのである。
それが、放送法の趣旨である。
NHKを含め、放送権の独占を禁止し、免許の取り消しと
4年毎の公開入札による自由化を進めるべきではないか。
一定の審査を通過した放送立候補企業を選挙に付しても
良い。
当選企業による放送権と企業活動を認めるのである。
これ以上、マスコミによる選挙操作、選挙支配、政治愚
弄を許してはならない。
バカ番組ばかり流しているテレビ局よ、お前たちも放送
事業にはふさわしくない。
この国を貶め、国民を愚民化し、国の危機を伝えようと
もしないお前たちにこれ以上の言論支配を許すわけには行
かない。
放送局訴追団を結成して、まずは放送免許取り消しにむ
けた責任追及を進めるべきではないか。
「まっこと、まっこと、情けなか。ほんに、草食系男子
といわれて、おめおめいきておるのが、まっことなさけな
か」。
「女も護れんか。女に護られて生きておるか。まっこと
恥ずかしい」
国を背負って立つということを小ばかにするような現代
若者に対する西郷の憤慨は「卑怯である」とまで言わしめ
ている。
まさにそのようだと思う。
不況だというと、身分が安定するからという理由で公務
員を希望する者が激増する。
自己保身で公務員を希望し、自己保身で企業を選んでい
る。
まっこと、なさけんなかことですたい。
自衛隊に行けというと、「危ないじゃないですか。きつ
いですよ。」と、当然のように問題外という態度である。
しかし、中には骨のある男子もいる。
奮い立つ男がたまにはいる。
公務員受験資格兵役制度、公務員リストラ法、公務仕
分けによる民営化法を早急に立法したい。
何のために企業を経営しているか。
金儲けか。
従業員の自己保身の手助けか。
そうではないはずである。
企業とて、国づくりのために自らを鍛えてきたはずであ
る。
この日本の危機にあって、企業の愛国の気概を持たない
というなら、ただの拝金主義であり、守銭奴ではないか。
亡国の民主党を支持しているブリジストン、トヨタ、イ
オングループ、京セラは亡国の企業である。
キャノンよ、お前もか。
恥ずべきは草食系男子だけではない。
企業もまた、まっこと情けなか腑抜けではないのか。
チャイナに尻尾を振って擦り寄っている企業よ、恥を知
れ。
いざというときに、国を護る気概はあるのか。
そのことをよくよく己に問うべきである。
チャイナなしで生きてゆく努力をせよ。
それが潔い企業精神ではないのか。
企業活動にも、心意気というものがあるではないか。
インドやインドネシアを助け、投資し、教育するべきで
ある。
それが国益であり、企業の気概として求められているこ
とである。
そんなに甘くはないよという言い訳を恥とするべきであ
る。
国家存亡の危機であることをよくよく自覚するべきであ
る。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi