ハゼランの 紅はぜむとす 足の先
梅士 Baishi
小さな桜のような花を咲かせる草の赤い実かとおもっ
たら、花のつぼみなのだそうである。
その赤い玉から弾け出すようにピンクの花を咲かせる
のだそうだ。
ハゼランという名前だそうである。
名前が分かるとなんだか、納得するのである。
紅と言えば、赤とんぼに遭遇した。
赤とんぼも普通のトンボが紅葉するようなもんなんだ
ろうか。
乱舞するアキアカネの季節はずっと前に姿を消したが、
トンボは今も生きているのである。
何かしら、ああよかったと思える。
適性試験というのをやってみた。
結構当たっているのだ。
新卒採用において、適性試験は判断材料としてかなり
重視さていると思われる。
大半、消極的、ネクラ、内向的、やる気が乏しい・・・
という結果が出た。
適性試験は性格判断ではない。
魂の傾向性は簡単には変わらないが、これを判定する
のが適性試験ではない。
あくまで、仕事や社会に向き合う姿勢がどうなのかを
判定する心理テストである。
そこに示される「性格ないし適性」は変えることがで
きる。
思いが変われば明るくなることができる。
暗い性格とは、思いが自分に向いているから、光が出
ない状態である。
すなわち、自己中心である。
明るい性格とは、思いが他人に向いているから輝いて
見えるのである。
すなわち、与える愛ないし、利他の思いである。
自己中心・自己保身の思いはリスクを恐れるが、利他
の思いはリスクを恐れない。
奪う愛か、与える愛かの違いが、暗い性格か明るい性
格の違いに現れる。
無我夢中の無我とは、自分の損得を忘れている。
だから、苦しさを感じることさえ忘れているのである。
幸福になれない症候群について話した。
すると、「わあ、みんな私のことや~ん、何でわかる
と~~~」という反応だった。
与えるものが与えられるというパラドクスがあるので
ある。
青年の悩みとは、「幸福になれない症候群」にある。
老後の不安もまた同じであろう。
世のため人のためという思いには、自己保身の苦しみ
はない。
悪魔の食べ物は、そうした自己保身の思いにほかなる
まい。
生きながらえることは目的ではない。
なすべきことのための手段として生きている。
潔く生きたいものである。
【 機能より通信容量を増やせ 】
携帯電話会社が「愛捕」だか「妻補」だかしらないが、
熾烈な競争をしているようである。
マーケティングとは、如何に顧客の支持を受けかとい
う販売戦略の努力であるが、簡単・便利・分かりやすい
というのが基本である。
それとは逆行する競争をしているように思われる。
どんなに機能を増やしても、肝心なのは、有事のとき
にもつながりやすいということである。
繋がらなくなったら、機能は昨日までのことで意味が
ない。
携帯電話の生命線は通信容量である。
こうした通信容量を増やすインフラは、企業任せにし
ないで、国家事業として進める必要がある。
通信各社も、今の100倍の通信容量を目指して、いざ
という時も繋がりますということを売りにするべきなの
ではないか。
テレビ放送に代えて、携帯電波をテレビ放送並みに強
化するべきだろう。
電線をつなぐ鉄塔には携帯電話用アンテナを設置させ
るといい。
マスコミからパーソナル通信へというパラダイムシフ
トが求められる。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党