木蓮を 博多の寺に みつけたり
中村 梅士 Baishi
笹栗遍路のてっぺんに子安観音がある。
急な山道を上り、最後に谷に渡した鉄製の急階段を上り詰
めた所に紫木蓮と枝垂れ桜の名所がある。
いつ頃咲くのかが毎年気になる風景である。
帰り道、ルートを変えて小走りにジョギングした。
すると、たまたま立ち寄ったこじんまりした寺に紫木蓮が
満開になっていた。
ということは、子安観音の紫木蓮もそろそろということだ。
急がねばならない。
公園のコブシの大木はもう満開から散り始めていた。
花の移り変わりは目まぐるしい。
すでに蝋梅は見過ごしてしまった。
梅もあっという間だった。
寒桜につづいて、山桜が咲き始めていた。
来週は彼岸である。
桜も一気に咲くころ合いである。
そして、筍が出始めるのだ。
さて、明日は暖かな雨の一日になりそうだ。
かつて、日本の保守といえば自民党の一部にあると言われ
ていたが、今は自民党に真正な保守勢力はない。
むしろ、大きな政府を目指す社会主義ないし、拝金主義に
大きく傾斜している。
日本の真正な保守は自衛隊の一部および、幸福実現党にあ
る。
保守とは何か。
愛国主義であり、世のため人のために生きる武士道精神で
ある。
今や、万世一系の尊王主義に保守の本懐はない。
もはや、皇室の精神が失われたからである。
靖国に参拝しない天皇に天皇たる資格はないのである。
高天原に由来する日本建国の伝統を誇りとするなら、幸福
の科学、エル・カンターレに帰依するべきである。
天照大神自身がエル・カンターレの流れを引く者であり、
帰依されてもいるからである。
保守の信仰が見失われた植民国家日本に、真正な保守があ
るはずがない。
日本国独立運動を志してこその保守であろう。
皇室の正統は血統にあるのではない。
建国の神意をいただいた霊性にあるのだ。
皇室は皇位を一旦幸福の科学に返納するべきである。
皇室にも皇族としての神縁を持つ者がいるが、天照大神に
委ねるのが正統というものであろう。
植民地憲法『日本国憲法』に縛られては皇室の権威はない。
まずは、心ある皇族は幸福の科学に帰依されたい。
3万年前に遡るという日本文明の歴史に目覚めるべきであ
る。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party