花毎の 春を伝いし 弥生かな
中村 梅士 Baishi
街の桜はまだ満開の木が多い。
早く咲いた山桜は葉桜になったが、多くは花吹雪を散らし
ながらもまだ満開である。
花から花へ伝い歩いているようにも思える。
残り数日の至福である。
堪能してもよかろう。
そういえば、子安観音の枝垂れ桜に見とれて、東長寺の桜
をすっかり忘れていた。
あれも年に一度見回りたい縄張りである。
ああ、今日はそこに立ち向かうべきだったのだ。
さて、昼飯抜きで90分しゃべりっぱなしのゼミを終えると、
さすがに頭の中が空白状態になる。
さらに40分かけて4kmの道のりを下城し、シャワーでコ
ロナを洗い流すとさっぱりとするが、もう一仕事という気分
も脱落する。
シャワーついでにレコード盤もシャワーしたら、少し良い
音になった。
ベルトドライブのターンテーブルだったが、ベルトを交換
したら途端に音がふらついて聞けなくなった。
仕方なくダイレクトドライブのマニュアル操作機に取り換
えたが、何かしら音が冴えない。
折角レコード音楽に復帰したのに、音に満足できない。
どうしたのだろう・・・。
耳がよくなったのか、レコード盤が汚れているのか、ター
ンテーブルの機能が低下したのか・・・。
耳慣れた音質というものは中々妥協できないものがある。
今日のジャズタイムは、キースジャレットの日本公演「サ
ンベアコンサート」を聴いている。
奇声を発しなければよい演奏なのに、それが玉に傷である。
スポーツの諸問題を講じるにあたって、武士道精神は折に
触れて出てくる美意識である。
しかし、現代日本からすっかり姿を消してしまった美徳で
もある。
武士道にとってかわった日本的価値観は、事なかれ主義で
ある。
公務員の根本精神でもある。
十七条憲法など、跡形もないであろう。
競技団体のお偉いさんというのは、たいがいボランティア
の名誉職だが、普段はその地位をひけらかし、一旦ことが起
こると「わたしゃ、ボランティアのお飾りですから」と責任
を回避する。
武士道が残っていれば、責任をとって殉じるべきところで
ある。
せめて教育現場では、男女ともに武道を必修実技授業にし
て武士道精神を教育するべきである。
男は柔道や剣道、女は小太刀、長刀道がよい。
男女共によいのが、古武道や弓道である。
幸福の科学学園やHSUでは、武道やスポーツにも力を入れ
てほしい。
スポーツなくしては、リーダーシップは育たないからであ
る。
リーダーシップとは公的幸福に尽くして統率し、職務に殉
じる覚悟のある武士道精神にほかならない。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party