教授から受けた影響は計り知れない。2014年4月4日の演奏は生涯忘れません。
Playing The Orchestra 2014
旧村社
天照大御神、倉稲魂命、誉田別尊、大山祇命、木花開耶姫命、進雄命
1761年(宝暦11年)創建
http://www.shinmeisha.com
多聞院のお隣にある神明社であるが、これは神仏分離令によって境内を分離し、お寺と神社にそれぞれ独立したため、このような形態になったとのこと。椿が咲き、身代わり寅がずらりと並ぶ。そんな明るい開放感を持ったお隣の雰囲気とは一変して、こちらはどちらかというと厳粛な空気が漂っている。高木に囲まれた静かな佇まい。それがお寺と神社の違いなのかはよくわからないけど、こうして並んでいると、随分と違うものだなあと思う。
さて、この神明社で注目すべきは、やはり「いもの神」ということになる。なるほど、サツマイモが祀られているではないか。この辺りは川越いもの産地である。埼玉といえばサツマイモ。三芳町には「いも街道」だってあるのだ。大きなケヤキの木に囲まれた武蔵野の雑木林とサツマイモ畑は、幼少期の原風景そのままである。
真言宗豊山派
大日如来
1696年(元禄9年)創建
https://ja.wikipedia.org/wiki/多聞院_(所沢市)
多福寺をもう少し西へ行ったところに多聞院がある。小学校の教科書にも出ていた三富新田開拓の際、三芳の上富に多福寺、所沢の中富に多聞院が創建されたとのこと。多福寺は馴染みがあったけど、多聞院は名前を知っていたくらいだった。いろいろ調べてみると、牡丹と身代わり寅が有名らしい。確かに本堂には、身代わり寅がずらりと並んでいる。
要所に牡丹の花が配された庭は、全体的にこじんまりした印象を受ける。木、石、緑、そういう自然の要素が限られた空間にひしめく様は、やはり見事というほかない。本堂をお参りしていたら、身代わり寅と並んで「仕事守」というものを見つけた。「この御守りは仕事がうまくいくように(安全 出世 上達など)祈念してあります」とのこと。出世はどうでもいいけど、とにかく仕事はうまくいってほしい。というわけで、ひとつ手に取ったのだった。
曹洞宗
釈迦如来
1639年(寛永16年)創建
https://www.town.saitama-miyoshi.lg.jp/kanko/rekishi/jisya/kogenji.html
週末を実家で過ごすようになって久しい。いつもこの前を通って実家へ通っている。川越街道から覗き見ただけでも、ずいぶん立派なお寺だなあと思っていた。そこには異空間が存在しているようだ。しかし何かのきっかけがないと、なかなか踏み込めない場所である。今日はお昼の買物に出かけたら、たまたまスーパーが入場制限されていたので、ちょっと足を延ばすことにした。
どのお寺にも共通することだけど、当たり前のように庭の手入れが行き届いている。完璧に作り込まれた山門からのパースペクティブは、本当に絵になるのだ。本堂は近くで見ると、随所に近代化されていることがわかる。古いものに価値を見いだすことは容易だが、古いものを使い続けることは容易ではない。建築の価値というのは、かくも難しい。
臨済宗妙心寺派
釈迦如来
1696年(元禄9年)創建
https://www.town.saitama-miyoshi.lg.jp/kanko/rekishi/jisya/tafukuji.html
実家から自転車で10分もかからない場所にある。写生大会の会場だったりして、小学校の頃は何かと訪れる機会も多かった。一番の思い出は、友達とプラモデルのカー・レースをしたこと。とてもよい遊び場だったのだ。しかし当時は専ら地蔵堂周辺をふらふらしていたので、本堂の記憶はほとんどない。改めてじっくり散策してみると、これがなかなか立派なのである。特に庭の作りが素晴らしい。モミジが色づく秋頃は、さらに絶景が見られることだろう。
平林寺とちがって拝観料は必要ない。このあたりは、国指定文化財との差なのかな。しかし平林寺に負けないくらいの雑木林が健在で、武蔵野の面影をより身近に感じることができる。そういえば、実家の周りにもたくさんの雑木林があったけど、今は住宅や倉庫になってしまった。近所にまだこういう場所が残っているというのは、感慨深いものがある。
こういう時、どういう姿勢で社会や仕事と向き合うのか?人としての資質が問われているような気がする。自分もサッカー人のはしくれだと思っているので、この人の言葉を信じて「セルフ・ロックダウン」でいくよ。
http://www.kazu-miura.com/column/detail/?article=301
テレワークというのは、いつも以上に自制しないと、際限なく仕事ができてしまう。やり難さ、非効率、そりゃあ会社のようにはいかないけど、これだけできれば十分でしょう。今やるべきことを、きちんと見極めたいと思う。
臨済宗妙心寺派
釈迦如来
1375年(永和元年)創建 / 1663年(寛文3年)移転
http://www.heirinji.or.jp/index.html
ようやく苦しい仕事が一山超えた。この1ヶ月間は本当に辛かった。さすがにちょっと息抜きが必要である。どこか遠くへ出かけることは、現実逃避の手段として有効だけど、このご時世そういうわけにもいかない。なるべく人気のないところ、空気のきれいなところ、そんなところはないものか?と思案したわけではないのだが、買物ついでに何となく立ち寄ったのが、地元ではそこそこ有名な平林寺であった。自転車を走らせると、実家へ行くのと変わりない時間で到着。
拝観料大人500円を払って境内へ。国指定天然記念物というその広大な雑木林の中を散策すると、時間も場所も忘れてしまうようだ。こんな場所が近所にあったのかと驚いてしまった。色々なことを考えたような、まったく何も考えなかったような、とても不思議な時間を過ごすことができた。
ここなら家からも近いし、いいんじゃないか。自分の息子が設計した工場を一緒に見に来た時、向かい側にできたばかりの霊園を眺めながら、そんなことを話していました。あの頃はまだ冗談半分でしたが、いざお墓を探してみると、やっぱりここしかないかなあと思いました。そろそろ準備しておこうか?しかしそんな相談をし始めた時、父はもう返事を返してくれる状態ではありませんでした。もう秋だというのに、今日はまだ暑いねえ。今また工場の設計を頼まれているんだよ。昨日はサッカーの試合だった。来週はフットサルの大会だ。いつも通りの日常が戻ってきた感じだね。納骨式が終わって振り返ると、その先に白い工場が見えました。