4月24日(日)のカトリック八王子教会の10時のミサは、すべて手話通訳がつきます。今日はその練習と、神父さまが内容について解らない所を解説してくださいました。
「聖書と典礼」は、日本語の言葉をそのまま表しただけでは、本当の意味が理解できにくいことがあるので、解りやすく表現するように努力しています。
神父さまの説明=いろいろな考え方がある中にも、互いに愛し合うということはみな共通している教えですが、キリスト教の教えは、キリストが愛したように互いを愛しなさいということです。だから、キリストを知る必要がある。キリストの本当の心を知る必要があるということです。表面的に良いことをするのではありません。私たちは一生をかけて、キリストの心になれるように努力をしていくということです。
なんだか、とてもぐっとくる説明(私は上手に表わせないのですが)で、本当にそうだなぁと感じました。
帰宅して、ボケ~っとテレビを見ていました。地震の被害を受けている人がいても、自分たちの生活はいつも通りという人もいるそうです。自分が被災していたら、それはかまわないと思う。でも、共に辛さを分かち合ってくれる人がいるということ、気にかけていてくれる人がいるのは嬉しいのではないかと思います。
仕事があって無理だけど、手話ボランティアの募集があれば行きたいのに、できなくて申し訳ない気持ちを持ったりしています。お昼のランチもやめて募金しようと思ったけれど、やっぱりみんなとランチしてしまった。だめな私ですが、できることをちょっとだけでも考えたいと思います。