ブログの下書きのままを発見したので、載せておきます。
ちなみにさっき書いてたのが消えちゃった。2023年の私はボケてきている。
2021-07-12 14:29:08
私は母は68歳で亡くなった、父が77歳で突然亡くなって、それから、父のベットに私は寝て一緒に寝起きをした。それも一周忌を終えてほっとして、父のもとへ。「おかあさんの若い頃は?」とどうして聞かなかったんだろう。母は昭和2年生まれ、戦争中だったりで大変だったのかな。
私は息子3人で娘がいないから、あんまり話をすることもないし、話せば「いいよそんなこと」ということになる。でも居なくなった時、聞いておけばよかったと、もしかして思うかもしれない。昭和の頃って、こんなだったんだと思うかもしれないから、書いてみようと思った。
祖父は八王子の鰹節屋(古い八王子絵地図にも載っている)、都内から婿に来た。名刺に社長とある。商工会議所議員をしていたりと、なかなか立派な人らしい、私の記憶は、ウイスキーボンボンをくれる人。父と病院へ行くと、かならずウイスキーボンボンをくれたから。戦後、店は焼けて、私の住んでいる今の場所に(正確には裏の学校)に仮住まい、ちょと高台にあるから、市内へは坂を下る。自転車に乗って坂でこけて入院したと聞いたが、よく考えてみると、そのころには店は再建されて市内の元の場所にできて住んでいたんだから、どうなんだ?
初っ端からつまずいた。
ともかく新藤鰹節問屋の葬式に私は、たぶん幼稚園前の姿で、同い年の従弟(今の店主)と写真に写っている。
父は、実家へ行く時には、「ちょっと店に行ってくる」と言っていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます