浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

NHKの「うたコン」の生放送を観覧  

2022年05月11日 00時07分45秒 | 音楽

 

毎週火曜日の夜、NHKで放送されている「うたコン」という歌番組の無料観覧券が当たり、久しぶりに生放送を見に有楽町にある東京国際フォーラムに出かけた。現在、NHKホールが改装中のため、紅白歌合戦もそうだが、国際フォーラムのコンサートホールAが使われている。「うたコン」の第1回は、2016年4月12日に生放送されたが、ラッキーにも記念すべき第1回も観覧する機会を得た。記念のウチワをもらった記憶がある。早いものであれからもう6年が経つというから、Time flies. である。それまでは、演歌・歌謡曲を中心とした歌謡コンサートという番組があったが、それだけでなく、ポップス・洋楽等多彩なジャンルの音楽も加えて再編されたものである。生放送・生歌は、従来通りとなっている。「うたコン」その後、何回か行ったことがあるが、コロナ禍もあり、ここ数年はとんとご無沙汰していた。無料なので、申し込んでも当たらないと見に行けないが、今では、申し込みもネットで簡単にできたので気楽に応募(昔は往復ハガキでの応募)したが、運よく当ったものである。

久し振りの生歌・生放送であるが、やはり生は迫力がある。席は事前に指定されていて、2階席後方であまりよくなかったが、十分楽しめた。コロナ感染防止対策として、詰め込みではなく、2席ずつ間に1席の空席を作るという混雑回避の指定であった。今回は沖縄返還50周年の年であり、それに合わせて、沖縄特集として、沖縄に関連した楽曲が披露された。BEGINの「島人ぬ宝」で始まり、夏川りみが「涙そうそう」、三浦大知がNHK朝ドラ「ちむどんどん」の主題歌「燦燦」を生熱唱した。水森かおりも「美ら島めぐり」というご当地ソングを歌った。石垣島、竹富島といった行ったことのある島々を歌った曲で、親しみを覚えた。沖縄ご当地ソングである「ダイナミック琉球」(イクマあきら)と「Melody](Orange Range)という曲は初めて聴いた。また、中島美嘉が自分で作曲した「僕には」という新曲を披露した。

運よく、次回17日の「うたコン」のチケットも当たったので、2週連続で見に行く予定。次回は、1階席の前から29列目といういい席なので楽しみである。やはり、生オーケストラ、生歌は迫力があって最高である。我が家から会場まで、ドアトゥドアで、約30分なので、夕食後に気軽に行くことができるのが嬉しい。

 

「燦燦」(三浦大知): https://youtu.be/lvS1DVBx7WE

 

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ねむの木の庭のバラ「プリンセスミチコ」

2022年05月10日 07時44分47秒 | 品川

 

五反田駅から徒歩約10分程度のところにある「ねむの木の庭」は、 上皇后美智子様のご実家である正田邸跡地の一部を整備し、2004年に品川区立の公園として開園。 美智子様が、高校時代に作られた詩「ねむの木の子守歌」から由来し、公園の名前は「ねむの木の庭」となったようである。小さな公園であるが、美智子さまゆかりの樹木や歌の中で詠まれた樹木や草花約50種が植えられており、四季折々の表情が楽しめる。公園中央のシンボルツリー「ねむの木」は6月中旬頃に可憐な花を咲かせる。鮮やかなオレンジ色のバラ「プリンセスミチコ」は美智子さまが皇太子妃時代にイギリスのバラ育種会社から捧げられた品種で、春と秋に見頃を迎える。

例年、春のプリンセスミチコはゴールデンウィーク頃に満開となるが、今年は5日の段階では何輪かは満開の咲き誇っていたが、まだ2-3割程度で、多くは蕾状態であった。また、9日にも卓球で総合体育館に行きがてら、再度庭園まで足を延ばしてみたが、花の数がかなり増えほぼ満開状態であった。このバラの色合いは大変鮮やかなので、十分見応えがある。いつ見に行ったらいいかの情報がほしいところであるが、ネット上にも、桜の満開情報のようなバラの見頃情報がないのが残念である。小さな庭園であるが、綺麗に整備されているので、気持ちよく各種の花を楽しむことができる。特に、一番有名な「プリセスミチコ」については、是非とも見頃情報を案内してほしいので、区の観光協会にはもっと頑張ってもらいたいところである。

 

写真は5月9日のプリンセスミチコ

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NHK BSの「半分だけで考えてみた!」

2022年05月09日 05時32分44秒 | TV番組

 

5月6日夜、NHK BSプレミアムで、「半分だけで考えてみた!」というタイトルで、面白い企画番組があった。世の中のあらゆることを半分にして考えると、モノの仕組み、ありがたみ、プロのすごさ等様々なことが見えてくるという。テーマは、ピアノ鍵盤、卓球台、飛行機エンジン、酸素という4つについて、今までにない切り口で展開される1/2新話で、どれも大変面白く引き込まれるように見てしまった。なぜこのようなBS番組を見ることができたかというと事前に次男の奥さんの弟さんが番組に出るという情報が入ったので、しっかり録画して見たもの。どんな番組かよくわからないまま録画して見たが、4つとも我が家にとっては、縁のある内容で、それもまさに今までにはない切り口で興味深く、あっという間に1時間が過ぎてしまった。

まず、ピアノの鍵盤をランダムに半分にして(半分は音が鳴らないようにセット)、課題曲「世界に一つだけの花」を二人のプロのピアニスト(菊池亮太さんと塩﨑基央さん)が挑戦したが、二人とも素晴らしい演奏ができていてビックリした。半分も音が鳴らないので、メロディーを作るのも大変だったと思うが、うまくアレンジしており、聴いていて鍵盤が半分で演奏しているとはとても思えない印象であった。2番目は、卓球台を半分の面積にして、水谷準と丹羽孝希というトップ選手が試合をしたもの。半分といっても、横が半分の細長い台と縦の奥行が半分の台の2種類の台で大熱戦を繰り広げた。自分も卓球をやっているので、やりづらそうなイメージは容易に想像つく。細長い台では、まだ本番に近いラリー合戦ができるが、奥行きが半分の台だと強く打つことができないので、ピンポンという温泉卓球のようになっていて、見ていて面白かった。卓球については、スリッパ(スリッパがラケット)卓球やしゃもじでやる遊びの卓球もある。「とんねるず」の正月のスポーツ特番で、プロ側の台は普通で、挑戦者側の台が半分になっているハンディ付の卓球を見たこともある。

3番目は、「飛行機のエンジンが半分になったら」ということで、JALの協力で片方が故障した設定で訓練するパイロットの現場に潜入していたが、これは、実際にも起こり得ることから、半分になっても安全上全く問題なく操縦できることが紹介されていた。すべてのパイロットはシュミレータでそのような訓練を重ねているので安心できる。最後の「地球上の酸素が半分になったら」というのは、奇想天外な妄想が止まらないが、専門家が何人か出てきて、万一半分になったら科学的にみてこうなるということを解説してくれていた。酸素が半分になった、ずっと寝ている状態になるとも説明されたり、移動手段もパーソナルモビリティが普及するとも説明されていた。先の次男の奧さんの弟さんは、その専門家の一人として、今から5-6億年後の地球上の酸素は今の半分位、10億年後は、今の21%が1%以下になると解説していた。今の我々には全く関係ないが、これから先地球は一体どうなるかぞっとする思いであった。今までにない切り口で視聴者の知的好奇心を楽しくくすぐる実験と妄想のバラエティ番組といった感じであるが、見逃した人向けに再放送はあるのであろうか?

 

菊池亮太さんの演奏: https://youtu.be/FagEs0MDX_s (ピンク色の鍵盤は音が鳴らない) 

 

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5月8日はテレサ・テンの命日

2022年05月08日 14時31分28秒 | 音楽

 

5月8日は母の日だが、アジアの歌姫、テレサ・テンの命日でもあり、彼女が42歳の若さでタイのチェンマイで亡くなってから早いもので27年が経つ。生きていれば69歳であるが、年をとった姿は想像もできず、自分にとってはいつも昔のままの愛らしい姿しか浮かばない。彼女のお墓は、台湾北部の金宝山の墓園に鄧麗君祈念公園として整備されているが、台湾の英雄として、蒋介石及び蒋経国両総統同様、火葬されることなく、そのままの姿で埋葬されている。台湾でこのような形で埋葬されているのは、この3人だけである。命日に台湾ではどんな行事が行われるのであろうか。亡くなったチェンマイのインペリアルメーピンホテルの彼女が滞在していたスイートルームは今でも記念ルームとして一般の見学用に開放されているようなので、いつかは是非訪れたいと思っている。

テレサ・テンのお墓参りに行ったのは、没後20年の節目の年、2015年の11月のことであったが、ネットでいろいろ調べて、お墓を通る路線バスがあることを知り、自力で辿りついた。当時、お墓への行き方について、日本では観光協会や旅行会社から確かな情報をもらえなかったので、寂しい思いをしたものである。台北からMRTに乗って、淡水という街に行き、そこから皇冠北海岸線という観光スポットに立ち寄っていく路線バスに約1時間乗り、Yun Gardenというところで降りると目の前が彼女のお墓のある鄧麗君祈念公園になっている。今はどうなっているか知らないが、当時は、タクシーを利用する情報が大半であったので、路線バスで安く行けたのはラッキーであった。

墓園には大きなピアノの鍵盤、テレサのゴールドの像があり、お墓そのものは大きな大理石でできていて、墓石の上に、マリア様が見守っている。墓園には、絶えずテレサ・テンの歌声が流れている。中国語、日本語、英語の歌が1時間交代で流れており、そこに彼女が歌っているような錯覚に陥るほどである。バスの時間の関係で1時間しか滞在できなかったが、墓参り客はほとんどおらず、彼女のワンマンショーを独り占めしたような嬉しい気分であった。墓前には毎日ボランティアでお墓を綺麗にしてくれているテレサ・テンの大ファンのおじさんがいる。NHKでも紹介されたことがあるので、その存在は知っていたが、基隆から毎日やってきているという。墓参りに来る人皆にお線香をくれる。もちろんお金なんか請求しないし、純粋な気持ちでお墓にお線香をあげてほしいという思いだそうである。

テレサ・テンを知ったのは、日本でデビューする4年前の1970年3月の台湾旅行中のことで、その時からのフアンである。当時、彼女は、日本の歌謡曲をいろいろ歌っていて、台湾や香港で人気を博していた。彼女の透き通るような歌声は大変魅力的で、日本語の歌もさることながら、流れるような旋律を持つ彼女の中国語にはつい引き込まれる。当時から、レコードやカセットテープをいろいろ集めていたが、今やその多くはユーチューブで聴くことができるので、便利な世の中になったものである。中国語で歌う日本の歌謡曲だけで70曲もあり、1曲1分で連続して聴けるユーチューブも作成している。すべてテレサが美しい中国語で歌っているが、「別れの予感」1曲のみ、本人の歌う曲がこの世に存在しないので、テレサの再来、陳佳(チェンジャ KEI)さんの歌声となっている。テレサ・テンの曲はどれも好きであるが、有名な曲とは別に個人的に今現在で好きな曲ベスト4は、下記の通りである。どの曲も彼女らしい透き通るような甘くてさわやかな歌声が印象的である。

 

1位 問わず語り(カバー曲)

2位 北の旅人(カバー曲)

3位 ホテル(カバー曲)

4位 西海岸から(1番 テレサ 2番 陳佳)

 

中国語で歌う歌謡曲70選 : https://youtu.be/BRTSPgQoGq0

鄧麗君祈念公園の映像(2015年): https://youtu.be/jSC4-RMhczg

お気に入りベスト4 :

https://www.youtube.com/watch?v=KJ-NEUv8H-E&list=PL6p6Jz3Qnb1ImuKsV78g6tWNL_SDt8vxF&index=1

 

 

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5月は白アスパラの季節

2022年05月07日 06時05分22秒 | 飲食

 

4月半ばから5月末頃までドイツでは白アスパラガス(Weiss Spargel シュパーゲル)が旬の季節を迎える。1年でもこの時期しか食べることができない旬のものである。先日、近くの阪急デパートの野菜コーナーで白アスパラを見つけ、今年もその季節がやってきたかと気づき、早速購入した。日本では、グリーンアスパラの方が中心でホワイトアスパラはまだまだレアものの感がある。早速、ゆでたり、スープに入れたりして季節の野菜を楽しんだ。

今から35年前にドイツのフランクフルトに住んでいた頃、5月には白アスパラがマーケットに大量に出回り、家でも外食でもこの時期は白アスパラ料理一色である。日本からお客様を迎えた時も、この時期は食事のメニュー選びが極めて簡単であった。多くのレストランが白アスパラ専門の特別メニューを用意していることが多く、アスパラ料理を薦めれば、まず外れはなく、旬の料理を楽しんでもらえた。ドイツでは、グリーンアスパラはほとんど見たことがなく、アスパラと言えば、白アスパラのことである。一番よく食べた料理は、Spargel mit Sauce Hollandaise und Kartoffeln(オランダ風ソースの白アスパラガスとポテト)で、オランデーズソースと白アスパラがピタリ合うので大変美味である。

旬のアスパラを食べたくて、帰国後もドイツ旅行は5月と決めている。帰国後も何回かドイツに旅行しているが、多くはこの時期に計画して、ドイツにいるポン友とアスパラ料理を楽しんでいる。ライン川とぶどう畑を眼下に見るリューデスハイムの高台にあるレストランでのアスパラ料理は極上のひと時であった。この時期ドイツのマーケットでは非常に安く白アスパラを買うことができるが、日本では高級品なので、アスパラを濡れた新聞紙にくるみ、トランクの奥底に隠し、不正だが、日本に持ち込んだこともあった。ここ数年ドイツでのアスパラ料理を食していないので、来年の5月には再訪したいところである。近年は、日本のマーケットでも白アスパラが並ぶようになったので、日本物で代替するしかないかも知れない。

ドイツ旅行の一番お薦めの季節といえば、文句なくゴールデンウィーク明けの5月である。ゴールデンウィーク後なので旅行代金も安く、新緑のドイツは最高である。夏は値段が高いし、秋の紅葉はあまりいいとは言えないが、5月は、見る見るうちに新緑が進み、なんたって白アスパラが食べられる唯一の時期だからである。今年は、久し振りに白アスパラを食べることができたが、またドイツに旅行に行きたい気持ちが頭をもたげてきた。

 

写真は、オランダ風ソースの白アスパラ料理

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ゴールデンウィークに2回も卓球大会に参加

2022年05月06日 06時50分02秒 | 卓球

 

今年のゴールデンウィークは出かけることもなく、区の卓球大会に1日と5日の2回も参加してしまった。1日は区民スポーツ大会の卓球競技で5日は団体選手権であった。区民スポーツ大会は、年齢別競技となっているが、自分の年齢を無視して、45歳~59歳の部に参戦した。70歳以上の部で一度優勝したことがあるので、その後は勝敗にはこだわらず若い人たちと試合をするチャンスをもらっている。実際に若い人とやってみるとボールのスピードが違うという印象で、やはり、20歳以上も年が違うと実力の差を感じる。4人によるリーグ戦が予選だが、どの選手も上手で歯が立たない感じであった。残念ながら3敗に終わったが、いい練習試合をさせてもらった。参加賞としてタオルがもらえるし、参加料の半額はクラブで負担してくれるので、いつも実践練習のつもりで参加している。

5日は、団体選手権だが、これも年齢別競技で、65歳以上の部にクラブの仲間4人で参加した。オープン大会であるが、ゴールデンウィークのためか、参加チームが少なく、65歳以上の部は、6チームしか参加していなかった。少ないということは上手な人しか参加していないことを意味し、やはり実力の差を感じた。結果的には、1勝2敗で5位であったが、リーグ3位同士の試合で勝ったので、一人ボール1個を賞品としてもらった。個人的にはダブルスもシングルスもともに1勝2敗であった。やはりこの年になると腕をあげるのはむずかしい状況にあるので、試合に出ると惨憺たる結果となることが多い。

卓球というスポーツは、ボールのスピードと回転がポイントで、上手な人ほどボールのスピードが速く、回転力がすごい。ラケットの表と裏は異なる種類のラバーを貼っている人も少なくなく自分自身もそうである。表と裏では、打ったボールの質が全然違うので、区別できるように赤と黒と色分けることがルール化されている。どっちの面で打ったかがわからないとまともな返球はまず無理である。回転も下回転、上回転、横回転、無回転があるので、瞬時にして見極める必要がある。その点は表も裏も同じガットが貼ってあるテニスとはだいぶ異なる。テニスと違って至近距離での打ち合いのため、咄嗟の判断が要求される。やはり、動体視力と瞬発力は必要であろう。トップ選手だとスマッシュ時で時速140㎞から180㎞とも言われているが、実際の打ち合いでは時速100㎞前後だと思う。しかし、狭い空間での打ち合いのため、体感スピードはすごいと思われる。我々レベルでの試合でもボケ防止には十分役立っていると思われる。体力に負担をかけずに誰でも気軽にプレイができるので、年寄りにはピタリのスポーツでもある。それでもボールの動きが速すぎると感じるなら、ラージボールというボールが少し大きくてスピードがあまり出ない卓球もあるので、健康維持のためにもやってみる価値は十分ある。

 

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贅沢だが祝日や連休は嫌い

2022年05月05日 08時10分09秒 | 日常

 

今年もゴールデンウィークの時期が来たが、今年は祝日が連続して、2日と6日を休めば、10連休となる。この時期いつも感じることがある。現役世代の人にとっては、さぞかし嬉しい連休だと思うが、365連休の自分にとっては、贅沢な話だが、祝日や連休は全く嬉しいものではない。土日の休みはやむを得ないが、平日に祝日があると嫌になる。平日と祝日が重なると次のような不便というか嫌なことが多々発生する。

1 銀行、郵便局、役所、病院等公共的な機関がすべてクローズとなり不便である

2 株式売買が楽しみの一つだが、祝日は株式市場がクローズとなり、楽しみが奪われる

3 平日なら開いているお店やレストランがクローズとなり買物や食事が不便である

4 地元商店街がクローズし、ゴーストタウン化する

5 新聞の夕刊がない

6 平日のテレビ番組の編成が変わり、生活パターンが狂う

7 どこに行っても人混みだらけで、嫌になる

8 電話による各種サービス受付が休みとなるところが多く、不便である

9 連休になると人出が増えるので、サービス関連のいろいろな物の値段が高くなる

10 連休になると人出が増えるので、コロナ感染が心配になる

定年後、祝日や連休について、まさにこのような印象を持ち続けているので、個人的には、祝日や連休はどこにも出かけず、特に長い連休があった場合などは連休明けから行動を開始するようにしている。連休になるとテレビで必ずやる車の渋滞情報はまさに蜜の味である。ここ数年はコロナで出来ていないが、過去には、ゴールデンウィーク直後に海外旅行に出かけることが度々あった。飛行機も混んでいないし、値段も安いので、旅行には打ってつけである。そういう意味では、仕事をしている現役世代は可哀そうである。ある意味では、自由のない服役生活と考えればいいので、いかに早く刑期を終えることができるかが人生の勝負である。自分の場合、運よく60歳で出所できたが、70歳すぎまで服役生活をしている人達をみると正直言って憐れみを感じざるを得ない。

 

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プーチンの実像及びカザフスタンとロシアの微妙な関係

2022年05月04日 07時41分03秒 | TV番組

 

ゴールデンウィークに入ったが、テレビでもプーチンによるウクライナ侵攻問題を深堀りするような番組が目についた。NHKでは、3日のBS放送で「プーチンの道~その権力の秘密に迫る~」というタイトルの2015年に放送された特別番組が再放送されていた。ウクライナ軍事侵攻に踏み切ったプーチンは、いかにして絶対的な権力を手に入れたのか。数多くの黒い疑惑に包まれながら独裁的な色彩を強めるプーチンの実像に迫る。 KGBの工作員として旧東ドイツに派遣された後、サンクトペテルブルクで政治家に転身したプーチンは、無名のままエリツィン政権下で首相となる。チェチェン戦争で名を上げ、大統領となったプーチンは財閥の囲い込みやメディアの統制などの手法で絶大な権力と財産を短期間で築き上げ、国際政治の舞台でも存在感を増していく。貧しい家に生まれた少年がクレムリンの主となるまでの道のりについて深堀りした内容で大変興味深く見た。2015年の番組だが、今でもピタリあてはまる内容なので、ビックリした。

今でこそプーチンの独裁ぶり、戦争犯罪が世界中から非難をあびているが、これを見ていると今回のウクライナ侵攻や戦争の仕掛けは、十分予想されていたことであることがよくわかる。だてに元KGBのメンバーであったわけではなく、根っからそういう人物であったことがよくわかる。世界中のトップを含め、皆プーチンに騙されていただけのようで、その悪人ぶりに気づくのが遅すぎたような気がする。安倍元首相も完全に騙された一人であったと思われる。皆、プーチンはもっとまともな人物だと誤解していたようである。この分析を見ている限り、自ら謝ったり、戦争を止めたりすることはあり得ないと確信した。このままの状態を放置すると戦火は拡大するばかりで、とんでもないことになりそうである。プーチンという悪人なら核戦争もあり得ない話ではないと思われる。7年以上も世界中がプーチンのやりたい放題を許してきた大きなツケが今来ているような気がしてならない。さらに、ここにきてプーチンがん手術情報が舞い込んだり、予断を許さない状況が続きそうである。

また、3日、テレ朝の大下容子の「ワイド!スクランブル」でも、カザフスタンとロシアの微妙な関係について、深堀りして詳しく取り上げており、興味深く見た。カザフスタンは、ロシアが主導する旧ソ連圏の軍事同盟(CSTO)6ヵ国の中核メンバーであり、加盟国が攻撃を受けた際は集団的自衛権を行使する立場にあるが、ロシアからのウクライナへの軍派遣要請を断ったり、中国との深い関係もあって、大変微妙な状況に置かれていることがよくわかった。ロシアとしてはカザフスタンに寝返られたらますます苦境になると思われる。カザフスタンのトカエフ大統領は、中国人材で、中国とも親しい関係にあるので、ロシアとの関係は大変微妙である。旧ソ連時代からあるバイコノール宇宙基地もカザフスタンにある。カザフスタンは、旧ソ連のメンバーであるが、今は、その地勢からアジア地域に属している。

カザフスタンの最大都市であるアルマトイに旅行したのは、2014年4月のことで、ウズベキスタンのタシュケントから空路で入り、3泊した。機内で隣に座った女性の車で空港からホテルまで送ってもらうという稀有な経験もした。大都市にもかかわらず、街中ではあまり見るべきものはなく、パンフィロフ戦士公園、共和国広場、国立中央博物館を見て回った程度で、日本食に飢えていたのか「かぶと」という日本食レストランに3日も通ったことが印象的であった。滞在中、乗合タクシーを利用して隣国のキルギス(首都ビシュケク)への1泊旅行も行なった。今回のウクライナ侵攻で今後のカザフスタンの動向が心配である。軍事同盟から離脱できるかがポイントになろう。

 

写真はパンフィロフ戦士公園

 

カザフスタン・キルギス旅行: https://youtu.be/FMmQ-YpCrWs

 

 

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ロシアを支援するシリアへの旅の思い出

2022年05月03日 05時48分33秒 | 旅行

 

ロシアによるウクライナ侵攻は世界の多くの国から非難されているが、侵攻を支持している国の筆頭がベラルーシとシリアである。ベラルーシは、当初から同盟国として侵攻の手助けをしていることが報道されていたが、ここにきて中東のシリアのアサド政権が戦闘員を提供したり、侵攻を全面的に支援している旨が話題となっている。シリアの熟練兵が16000人も侵攻の支援に派遣されているような報道もある。シリアでは、ロシア寄りのアサド政権に対し、アメリカをバックに持つ反体制派やイスラム国もあり、複雑なお国事情がある。ロシアは、2015年、アサド政権を支援するため、シリア内戦に介入し、政権側に勝利をもたらしてきたので、強い同盟関係があるとみられる。そんなとんでもないシリアの首都ダマスカスで会議があって出張で出かけたのは、2005年4月だったが、あれからもう17年も経っている。当時は、まだ街中も平穏であったが、その後の内戦で国自体がボロボロになって現在に至っているような気がする。

当時のシリアは街を歩いていてもそんなに治安上の悪さは感じなかった。シリア航空を利用し、アレッポ国際空港経由でダマスカス入りした。見て回ったスポットは、ヒジャーズ駅、アゼム宮殿、ウマイヤド・モスク、スークハメディーエ、サラディーン廟、軍事博物館等であるが、どこも好奇心を駆り立てるスポットであった。軍事博物館では、見学しながら何となく、戦争イメージも感じた。新約聖書に出てくる「真っすぐな道」が実際にあったり、ローマ時代の柱や廃墟が残っていたり、歴史を肌で感じることができた。シャーム・パレス・ダマスカスホテルの最上階にある回転レストランで食事をしたが、そこから伝説の山であるカシオン山や市街を臨む景観が印象的であった。今となっては、内戦状態でとても行ける国ではないが、ロシアをあからさまに支援する国である限り、二度と行きたいとは思わない。

写真は軍事博物館

シリア旅行アルバム【2005年】: https://youtu.be/TMYCkYMQCQs

 

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NHKスペシャル1989-90魅惑と罪のバブルの宮殿

2022年05月02日 08時31分42秒 | TV番組

 

1日夜、NHKで「NHKスペシャル 東京ブラックホールⅢ 1989-90魅惑と罪のバブルの宮殿」というタイトルで、現代の若者が日本迷走の元凶ともされるバブル時代にタイムスリップし、日本経済が世界の頂点から転落した狂乱の時代を追体験するという変わった趣向のドラマ形式で展開されていた。まさにバブル絶頂時代で日本中が狂乱で浮かれた時代だったと思うが、個人的には、ドイツ駐在を終え、名古屋に転勤したのが1989年11月なので、まさにこの時代にあたる。東京にいなかった分、テレビで紹介されていたようなまさに東京ブラックホールというような実体験はしていないが、営業関係の仕事をしていたので、バブル経済の一端を担っていたかもしれない。

名古屋時代は、使い切れないほどの交際費を持っていたし、夜の接待も頻繁に行われていて夜の街に繰り出したり、ゴルフも他の連中より少なかったが、それでも月に4-5回はやっていたような気がする。預金の利子も9%くらいになった時もあったような気がする。当時はそんなものかと思ってあまり疑問も感じなかったが、バブルは、はじけて初めてバブルとわかるものである。個人的にはバブルに浮かれてはいなかったので、バブル崩壊の影響はあまりなかったような気がする。今のマンションを中古で買ったのは、バブルがはじけた1993年のことであったが、ピーク時は億ションであったとも聞いたことがあり、まさに異常そのものであった。今の若者には信じられないほど恵まれた時代であったかも知れないが、企業の没落とともに、非正規雇用の増大等今の就業環境の悪化を見ると可哀そうになるほどである。このスペシャル番組では、バブル時代の世相がいろいろ紹介されていたが、バブルを経験し、それで潤った連中がいまだに日本経済を支配しているような印象で、見ていてあまり気分がいいものではなかった。

 

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