13日BSテレ東の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」は橋幸夫特集のPart1をやっていた。来年80歳を機に引退を発表した橋幸夫の62年間芸能界の荒波にもまれながらヒットを続けたその秘訣が紹介されていた。昭和35年、「潮来笠」で鮮烈なデビューを飾った橋幸夫。その活躍は歌手だけに留まらず、「元祖御三家」として、アイドル的な人気も博し、数々の映画や舞台に出演し、第一線を駆け抜けて来た。そんな橋幸夫の激動の半生を、名曲や貴重映像と共に2週にわたって振り返るスペシャル企画となっているようである。
まず紹介された曲は、デビュー曲にして120万枚の大ヒットを記録した「潮来笠」。そこにあった、橋幸夫をスターに押し上げた生みの親、作曲家・遠藤実と、育ての親、作曲家・𠮷田正との運命の出会い等誕生秘話を橋幸夫自ら語っていた。次に、「江梨子」にまつわる秘話が紹介されていた。そして、青春歌謡として昭和の歌謡史に残る名曲となった吉永小百合との「いつでも夢を」は、日本レコード大賞を受賞したが、当時は中学3年で、卒業アルバムに書いたのが、この「いつでも夢を」の文字であった。それほど当時は鮮烈な印象の強いヒット曲であり、何といっても歌詞に引きこまれる。我々にとっては、まさに青春真っ只中であったが、もう60年前の曲というから驚きである。
さらに、舟木一夫、西郷輝彦とともに一世を風靡した「御三家」。知られざる3人の関係が明かされるが、西郷輝彦は先日亡くなり、時代の流れを強く感じる。自分よりちょっとだけ先輩たちだが、同じ時代を生きてきた者として、感慨深いものがある。橋幸夫は、自分の趣味の世界の楽曲をいろいろ歌ってくれている。空港シリーズでは、「そこは青い空だった」「霧のローカル飛行場」、世界の都市では、「シンガポールの夜は更けて」「恋のメキシカンロック」「東京-パリ」等馴染みの深い曲も多い。昭和は遠くなりにけりの感をひしと感じる今日この頃である。
「いつでも夢を」の懐かしい映像: https://youtu.be/G9yWKkUN9rU
https://youtu.be/7XYV85WP5Us (映画のシーンから)