平成湘南日記...一語一絵

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自称カメラ小僧の気まぐれ風まかせ日記

誰の代表?

2011-06-24 00:47:48 | 最近のこと
昨今の菅総理進退についての経緯を見るにつけ、常日頃感じていた日本の政治形態「議員内閣制」について書きます。

まずは、日本の政党についてですが、
政党要件を規定した法令は、公職選挙法・政治資金規正法・政党助成法とこの3件ある、というか3件しかない、というのを何かで読んだことがあります。
この3法は「選挙と政治資金」に集約されるのです。
要するに、票と金のことだけで規定された組織が政党というものであり、言わばその代表が内閣総理大臣ということになるので、内閣/内閣総理大臣は議会(国会)に対して責任を有する、となる訳です。
米国の大統領が国民に選ばれた国民の代表であるのに対して、総理大臣は与党政党及び国会議員の代表であるということ。
この違いは、想像以上に大きい。
米国民は米大統領に対して、自分たちが選んだのだという意識を強く持っているそうです。
日本国民は、はたして自分たちが総理大臣を選んだという意識があるでしょうか。

我々日本国民は国会議員を選ぶことができる、ということになっています。
選挙制度に多くの問題があるにしても、また国会議員は当選した瞬間に国民の代表者ということを忘れてしまう、ということであったにしてもです。
しかし、我々は総理大臣を直接選ぶことはできません。
勿論辞めさせることもできません

世論調査/内閣支持率が総理辞任の引き金にはなっても、総理大臣自ら辞めると言い出さない限り辞めさせることはできない、そんな仕組みになっています。


先般、内閣不信任決議案が圧倒的多数で否決されたこと、そして今回の国会会期延長が70日にもなってしまったこと。
国民の大多数は、この二つのどんでん返し劇を見せつけられ、何があっても辞めない菅総理そしてそれを許してしまった与党野党には、失望を通り越して絶望のようなものすら感じているのではないでしょうか。
特に被災地の人々は。

本来、民意を代表するとされる国会議員の代表である総理大臣。
しかし実態は、国民の代表であることを忘れた国会議員、そしてその代表ですらなくなっている総理大臣。
彼らに、我々は何を期待できるのというのでしょう。

菅総理、必死の延命。
あの必死さを、震災復興を早めるほうに振り向けたらどうか、などとはもう言いたくもありません。
かつての市民運動家...市民を代表するはずだった政治家が一旦権力を手中にした結果、周りが見えなくなって自分をも見失っている。
恒例の、毎日のぶら下がり会見も最近は無いといいます。
後々、大震災の時に何も出来なかった総理大臣という歴史的評価を受けたくない、ただその一念。
そんな彼に引き際という言葉はないのでしょうね。

仕方がありません、彼が悪いのではなく制度、仕組みが悪いんですから。
そして、国民の代表などではない.....のですから。

誰でもよいとは言いませんが、国民のことを第一に考え行動する国民の代表者が一日も早く現れて欲しい。


<昼咲月見草>