三日目
ツアー最初の世界遺産「ヴィースの巡礼教会」
この日は移動距離も結構あるということで、朝の集合時間が7時15分と早め。
バスで約2時間、これまで山がない景色ばかりだったのが、遠くにアルプスの山々が見え始め、昨夜あたり降ったと思われる雪がそちこちに残っていました。
本当にこのようなところに世界遺産が、と思わせるような一見とても静かな、と言うより寂しい村です。
教会自体そう小さくはないとしても、そして外観の小奇麗さは感じても、特に「おぉ~っ」というほどでもない。
教会のすぐそばに農家があり、庭には鶏や犬が放し飼いにされています。
他に、レストランが一軒、お土産屋さんがある、といった程度。
このような世界遺産の周辺というは見たことがありません。
なのに、この扉を開けて中に入ると、...
あっと息を呑み、あとは言葉にならない。
ネット上で書かれている表現を借りれば、華麗なロココ様式の装飾の素晴らしさ、そして大理石の彫刻や天井のフレスコ画の壮麗さにはただただ驚くばかり...ということです。
<正面の祭壇>
中央祭壇下部にはヴィース教会巡礼の始まりの『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』が見える。
その上は、キリスト(子供)がマリアの膝に抱かれ、み顔をヨセフに向けている絵。
祭壇を囲む柱は、赤い柱が自ら犠牲になったキリストの血を、青は天の恵みを意味している。
<『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』祭壇の右から撮影>
<『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』祭壇の左から撮影>
左からの方がよりキリスト像の悲惨さが伝わってきます。
この写真はピントが合っていない(大失敗でした。撮り直しと思っても既に遅し)のでよく分かりませんが、左目からは涙が流れたような跡が微かに見えたような気がしました。
何んともいえない感覚が全身を包み込み、また絶句...
<パイプオルガン>
見た目に美しいばかりではなく音も格段に良さそうです。
ここでコンサートが時折行われるとか。
ここでは、というかドイツではと言ったらよいのか、教会内でもフラッシュを焚かない限り撮影は自由となっているようです。
内部の撮影が禁止となっていたのは次に訪れたノイシュバンシュタイン城だけでした。
<ヴィースの巡礼教会>
1730年にマグヌス・シュトラウプ神父とルカス・シュバイガー修道士が、シュタインガーデンのプレモントレ修道院において、『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を造りました。
しかし血と傷で覆われた『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』は、あまりにも悲惨なため信者の同情を呼び、間もなく使われなくなり、修道院付属食堂の主人エレミアス・レーレの屋根裏におき忘れ去られました。
何年後かに、農婦マリヤが自らの農場にこの『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を譲り受け、熱心に祈りを捧げていました。
数ヵ月後の夕拝中に、突然この『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』が涙を流し、続く日曜の早朝にもは涙を流しました。
この「ヴィースの奇跡」は瞬く間に広まり、それ以降多くの人がこの『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を巡礼するようになります。
最初は小さな礼拝堂が建てられますが、あまりにも巡礼者が多く、受け止められなくなり、1743年教会の建設計画がシュタインガーデン修道院長より、当時最も高名な建築家のドミニクス・ツィンマーマンに託され、1746年に基礎がおかれここに教会建築が始まります。
教会の内装には、ドミニクス・ツィンマーマンの実の兄、宮廷画家であるヨハン・バプティスト・ツィンマーマンを初め、バルタザー・アウグスト・アルブレヒト、アントン・シュトゥルム、エギディウス・フェァヘルスト、ヨハン・ゲオルグ・ベルクミュラー、ヨセフ・マーゲスらが携わります。
1754年9月1日、ヴィース教会の献堂式が執り行われ今日に至っています。
以上ネット上のあちこちから引用
今回は笑い系の話は無しです。
ツアー最初の世界遺産「ヴィースの巡礼教会」
この日は移動距離も結構あるということで、朝の集合時間が7時15分と早め。
バスで約2時間、これまで山がない景色ばかりだったのが、遠くにアルプスの山々が見え始め、昨夜あたり降ったと思われる雪がそちこちに残っていました。
本当にこのようなところに世界遺産が、と思わせるような一見とても静かな、と言うより寂しい村です。
教会自体そう小さくはないとしても、そして外観の小奇麗さは感じても、特に「おぉ~っ」というほどでもない。
教会のすぐそばに農家があり、庭には鶏や犬が放し飼いにされています。
他に、レストランが一軒、お土産屋さんがある、といった程度。
このような世界遺産の周辺というは見たことがありません。
なのに、この扉を開けて中に入ると、...
あっと息を呑み、あとは言葉にならない。
ネット上で書かれている表現を借りれば、華麗なロココ様式の装飾の素晴らしさ、そして大理石の彫刻や天井のフレスコ画の壮麗さにはただただ驚くばかり...ということです。
<正面の祭壇>
中央祭壇下部にはヴィース教会巡礼の始まりの『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』が見える。
その上は、キリスト(子供)がマリアの膝に抱かれ、み顔をヨセフに向けている絵。
祭壇を囲む柱は、赤い柱が自ら犠牲になったキリストの血を、青は天の恵みを意味している。
<『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』祭壇の右から撮影>
<『寄木で作られた鞭打たれるキリストの像』祭壇の左から撮影>
左からの方がよりキリスト像の悲惨さが伝わってきます。
この写真はピントが合っていない(大失敗でした。撮り直しと思っても既に遅し)のでよく分かりませんが、左目からは涙が流れたような跡が微かに見えたような気がしました。
何んともいえない感覚が全身を包み込み、また絶句...
<パイプオルガン>
見た目に美しいばかりではなく音も格段に良さそうです。
ここでコンサートが時折行われるとか。
ここでは、というかドイツではと言ったらよいのか、教会内でもフラッシュを焚かない限り撮影は自由となっているようです。
内部の撮影が禁止となっていたのは次に訪れたノイシュバンシュタイン城だけでした。
<ヴィースの巡礼教会>
1730年にマグヌス・シュトラウプ神父とルカス・シュバイガー修道士が、シュタインガーデンのプレモントレ修道院において、『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を造りました。
しかし血と傷で覆われた『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』は、あまりにも悲惨なため信者の同情を呼び、間もなく使われなくなり、修道院付属食堂の主人エレミアス・レーレの屋根裏におき忘れ去られました。
何年後かに、農婦マリヤが自らの農場にこの『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を譲り受け、熱心に祈りを捧げていました。
数ヵ月後の夕拝中に、突然この『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』が涙を流し、続く日曜の早朝にもは涙を流しました。
この「ヴィースの奇跡」は瞬く間に広まり、それ以降多くの人がこの『寄せ木で作った鞭打たれるキリストの像』を巡礼するようになります。
最初は小さな礼拝堂が建てられますが、あまりにも巡礼者が多く、受け止められなくなり、1743年教会の建設計画がシュタインガーデン修道院長より、当時最も高名な建築家のドミニクス・ツィンマーマンに託され、1746年に基礎がおかれここに教会建築が始まります。
教会の内装には、ドミニクス・ツィンマーマンの実の兄、宮廷画家であるヨハン・バプティスト・ツィンマーマンを初め、バルタザー・アウグスト・アルブレヒト、アントン・シュトゥルム、エギディウス・フェァヘルスト、ヨハン・ゲオルグ・ベルクミュラー、ヨセフ・マーゲスらが携わります。
1754年9月1日、ヴィース教会の献堂式が執り行われ今日に至っています。
以上ネット上のあちこちから引用
今回は笑い系の話は無しです。
おりからのクリスマスの時期
このようなキリストの像を見て、感慨が込み上げました。
最近はキリスト教からも遠ざかり、母校のページェント
なども行く事もありません。
久々に触れた感じです。
やっぱり少しでもキリスト教に関わってきた人はそのような感情に包まれるもののようです。
あの姿は本当に悲惨としか言いようがありませんでした。
そしてあの涙の跡、表す言葉がありません。
宗教なくしてはありえませんね。
東洋もまた然りですが・・・
写真はいいのかしら?と思いましたら
フラッシュなしならOKなのですね。
ノイシュバンシュタイン城以外は写真OKとは
寛大ですね。
素敵な写真の数々、いい思い出になることでしょう。
宗教と芸術は昔は持ちつ持たれつの関係だったのでしょう。
和も洋も。
今はその傾向はかなり希薄になっているかも分かりません。
>ノイシュバンシュタイン城以外は...についてですが、ちょっと言葉が足りませんでした。
今回のツアーで内部撮影が禁止だったのは...というのが正しいです。
こんなきらびやかな協会は、
入った事がありませんが、
外が,何とも辺鄙な村だけに、
その当時の協会の威力と言うか権威が
偲ばれます。
カトリックは祭壇や聖体を主体としプロテスタントは聖書を主体とする、という違いはあるのでしょうね。
権威とそれに反抗する、という図式的なものもあります。
でもそのようなことを抜きにして、芸術として素晴らしいのではないか、と思いました。