平成24年8月28日(火) 天気=晴れ
05:46神威山荘→ 06:10440m二股→ 06:46524m二股→ 07:18710m二股→ 07:25~40尾根取付点→ 09:20~45神威岳→ 10:53尾根取付点→11:37524m二股→ 12:10440m二股→ 12:32神威山荘
平成24年の夏、ニペソツ山を登り終えて、日高のカウイエクウチカウシ山(通称カムエク)へ向ったが、登山口の札内ヒュッテへ通ずる道が前年冬の雪崩により通行禁止になっていた。
それでカムエクは諦め、比較的容易に登れそうな日高南部の楽古岳(1472m)を登り、その勢いで日高中部の神威岳へ向かった。登山口の神威山荘までは日高沿岸の荻伏町から元浦川林道を延々と走る。
楽古岳山頂直下の登り
楽古岳山頂
山頂から北に続く日高の山波
これが又酷いダート道で出発が遅かったもんだから陽も暮れ始め、どうなる事かと不安になった頃神威山荘に着いた。山荘は無人の避難小屋で居心地が悪いので、その夜は車内で過ごした。
神威山荘の登山口
早朝目覚めて朝食を作っていると、1台の車が山荘に着き、一人の中年男性が降りてきて、言葉も交わさずサッサと出発していった。愛想の無い人だが、取りあえず私の他に登山者が居てくれるのは心強かった。
食事を終えると早々に出発する。まずニシュオマナイ沢を渡渉し、沢の左側の作業道を30分程歩き440m二股に着くと、ここから沢を遡行して行く。何度も渡渉を繰り返しながらの登りだが、目印が随所に有り踏み跡を伝って行くとあまり迷う事も無い。
ニシュオマナイ沢
524mの二股を左に曲り710m二股を右に曲ると流水が減り、程なく赤ペンキの矢印がある尾根の取付点に着いた。私より先に出発した中年男性も此処で休憩していたが、お互い言葉を交わす事は無かった。随分無愛想な人だなと思ったが、向こうも同じように思っているだろう。
尾根取付地点
此処で沢用の運動靴から登山靴に履き替え、先に出発した男性を追うように登って行く。取付点から山頂までは標高差900mの尾根道の急登が続く。しかも笹や灌木が道を塞ぎ休憩する場所も見当たらないので、休まず登り続けるしかない。
標高が上がるにつれ、樹間越しに日高山脈の稜線が徐々に近づいてきた。笹や樹林帯からハイ松帯へ植生が変わり、日高の山並みが見渡せるようになってきた。前方に小さく先を行く男性が姿が見えた。私も休みなく歩いたのだが彼も相当に健脚だ。
日高の稜線が見えてきた。
やがて日高の稜線に達し、稜線沿いにしばらく登ると待望の神威岳(1600m)に到着した。先着して休んでいた男性がニッコリ笑って私を迎えてくれた。此処で初めて言葉を交わし、てっきり道内の人だと思っていたら彼は山梨県の人でレンタカーで北海道各地の山を登っているそうだ。
山頂直下、ハイ松帯の登り
神威岳山頂
山頂からは素晴らしい眺めだ。特に南のソエマツ岳へ続く稜線は刃先のように鋭く日高の深山へ来た事を実感させてくれる。又北には憧れの山ペテガリ岳のたおやかな峰も望める。
山頂からソエマツ岳へ続く稜線
山頂からペテガリ岳方面
山頂から登って来た尾根
30分程の滞在後、もう少し居るという彼に挨拶し私は山頂を後にした。ヤブ勝ちな急坂も降りは差して気にもならず尾根の取付点に降立ち、そこから沢沿いに降って、お昼過ぎ神威山荘に戻ってきた。
明日出港するフェリーを予約してるので、「今夜は日高の、みついし昆布温泉で祝杯だ。」とウキウキしながら元浦川林道沿いに車を走らせていたら突然「バーン」という音がした。
車を停めて恐る恐る確認すると、前輪助手席のタイヤが見事にパンクしていた。この車には予備タイヤは無い。タイヤ修理キットを使ったが直らない。此処は里の集落から20キロ以上離れた熊しかいない山奥で、携帯も通じないし歩けば里まで5時間はかかるだろう。
どうしたものかと途方にくれたが、「そうだ山頂で別れた男性がいる。彼が必ず此処を通るはず」としばらく待っていたら、彼の車が降って来た。事情を話し快く同乗させてもらう。
その後浦川町の車整備工場まで送ってもらい、此処で保険会社のサポートセンターと車搬送業者に連絡を取る事ができた。もし山梨の男性が居なかったら私は今だ山の中で、彼には感謝してもしきれない思いだった。やがて搬出業者のレッカー車が到着し、私も同乗して車を回収夕刻には新しいタイヤと交換する事ができた。
マア最後の最後にとんだアクシデントだったが、これで一箇月余に渡った北海道の山旅が終わり明日は我が家へ戻る。過ぎてみれば充実した思い出ばかりで、こんな旅もうそんなにはできないだろうなあと思いつつ、日高みついし昆布温泉で北海道最後の夜の祝杯をあげた。