Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№27岩木山、№28八甲田山(百名山)

2018年02月09日 | 三百名山回顧

昭和57年8月26日(木)夜 ~ 29日(日)    

 

26日夜、上野駅発(夜行列車) → 27日朝、青森駅 → 岩木山登山 → 27日夜、酸ヶ湯温泉バンガロー泊 

 岩木山山頂

 山頂から日本海

 

28日酸ヶ湯温泉 → 八甲田山、大岳・高田大岳登山 → 谷地温泉 → 28日夕刻、十和田駅 → (夜行列車)→ 29日朝、上野駅着

 大岳の登りから南八甲田、櫛ケ峰方面

 大岳から赤倉岳方面?

 大岳山頂

 大岳から小岳(右手前)、高田大岳(左奥)?

高田大岳山頂(一緒に写っているのは、たまたま出会った地元の女の子)

 

 津軽平野に聳える名峰、岩木山を登ったのは、いつ頃だったかと古いアルバムを捲ってみた。やっと探し出して昭和57年8月下旬だった事がわかった。当時所属していた山岳会の会山行としてY・K代さんと私の二人で登っており、当時の会報にK代さんの記録が残っていたので概要を転載してみる。

 

「 26日の夜行で白山&荒島岳登山へ出発する予定であったが、当日になり台風は九州の東をかすめ中国・北陸地方に向かう勢いを示している。白山・荒島岳への執念は消しようも無いが、これでは致し方ない。山行を中止し、台風の影響が少ない東北地方の山に目的地を急遽変更し、気楽な山旅をしようと一日置いてFさんと2人で青森行きの夜行に乗った。目指したのは八甲田山、岩木山である。

 夜行列車は青森を目指してひた走る。ようやく明けてきた空に岩木山がスッキリと津軽平野の端に聳えている。長い夜行の疲れはもう汽車の中に置いていこう。

 海が見える青森駅で東北弁の駅員さんから連絡の時刻を聞き、岩木山へ向う。登り口を岳温泉と決めバスに揺られて行くと、岩木山が車窓一杯に近づいてきた。

 台風一過の晴天である。岩木山神社から登り始め。急登を続けると展望が開け、海を隔てて遠く北海道の駒ケ岳が望まれた。感激の一瞬である。信仰の山にふさわしく白装束の人が2人ホラ貝を吹き空を切って登って行く姿に出会った。

 山頂は直下に津軽平野が拡がっている。海の青さに浸りながら、振り返り何処までも続く林檎畑に見惚れた。降りはスカイラインを蛇行しながら弘前、青森に引返し、八甲田山の登山口、酸ヶ湯温泉行のバスに乗り継いだ。

 混浴の酸ヶ湯温泉は歴史の古さを物語っており、その大きさに目を見張りながらゆっくりと手足を伸ばした。適温である。東北の山は静かにこんもりとした山が一つ一つ丸い形で並んでいる。誰にも会わない縦走路が続いて行く。

 高田大岳まで2日間の山旅であったが、八甲田の峰々に限りない愛着を覚え、私は山の虜にされ帰路に着いた。」

                    記録:Y・K代

 

 当時は新幹線など無く、行きも帰りも夜行列車の長旅で青森まではウンザリする程遠かった。でも秋の気配を感じるみちのくの山々は、自然豊かでたおやかで心満たされる山行であった。

 27日岩木山を下山後、青森市場で海の幸を手に入れて、それをサカナに酸ヶ湯温泉の風呂上りにK代さんと二人で痛飲したビールは実に旨かった。

 K代さんはご主人のYさんと共に所属していた山岳会の中心的存在で、会の皆から「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼ばれ慕われていた。我々夫婦が結婚する時も仲人として実の親のようにお世話になり、私にとっては大恩人のご夫婦である。

 そのK代さんと二人で歩いた秋の気配漂う岩木山、八甲田山を巡る山旅は、私の忘れ難い大切な思い出の一つである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする