Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№39、鳥海山 №40月山(百名山)

2018年04月17日 | 三百名山回顧

 昭和56年9月5日(土)~7日(月)   

 

 東北の名峰、鳥海山を登ったのは昭和56年の9月、40年近くも昔の話だ。当時日本百名山登頂を目指していた山岳会の女性リーダー、S子さんに誘われて参加したように思う。何しろアルバムの写真以外の記録が一切残っていないので、当時の記憶は殆ど薄れかけている。

 参加者はS子さんをリーダーに女性がIW子さん、IS子さん、男性がUさんと私の5人パーティであった。上野発の夜行列車で秋田県の象潟駅に降立ち、そこからバスで登山口の鉾立へ向かった。

 吹浦コース登山口バス停

 象潟コースの登山道

 鉾立登山口から山頂へ向かう象潟コースは、途中に円い鳥海湖などもあって明るく眺めの良い道程だが、標高差が1100mもあって夜行列車で前夜を過ごした身にはけっこうきつかった。鳥海湖を過ぎてしばらく登ると、千蛇谷コースと外輪山コースに道が分岐する。我々は右手の外輪山コースを経由して頂上小屋に到着した。

 鳥海湖をバックに

 鳥海湖付近で(中央がリーダーのS子さん)

 登山道に残る雪

 鳥海湖付近から鳥海山(山頂は左のピーク)

 登山道分岐の手前で休憩中

 千蛇谷と外輪山(右手)

 外輪山のピーク?

 外輪山から山麓の眺め

 その夜は小屋に宿泊し、翌朝早く全員で鳥海山の最高峰「新山(2237m)」に登った。岩が積み重なったような山頂でしばらく佇んでいると朝日が昇り、日本海の海原に鳥海山の山影、三角形の影鳥海がクッキリと浮かび、それは中々壮大な眺めであった。新山から七高山を経由して小屋へ戻ると、千蛇谷コースを経由して象潟コースを下山し鉾立登山口へ戻った。

 山頂から朝日が昇る

 日本海に映る影鳥海

 鉾立に戻り着く(背景は奈曽渓谷)

 

訂正事項・・・登山口バス停の写真から推察して鳥海山への登りは、象潟コースでは無く吹浦コースを歩いたように思われます。

 

 

 

 他のメンバーは象潟駅からその日のうちに帰宅の途についたが、余分に休暇を取っていた私は唯一人山形県へ向かう列車に乗り、鶴岡駅で下車をして駅前からバスに乗り、月山登山口の弥陀ヶ原八合目に向かった。

 午後遅い時間に登山口を出発したが、羽黒山コースはよく整備された緩やかな道で、当時は一番元気な頃だったから2時間足らずで月山(1984m)の山頂に着いたと思う。山頂は広々とした山上高原で、山頂には立派な神社が鎮座していた。その直下に頂上小屋があり、お客さんが少なかったので個室に泊めてもらう事ができた。

 夕刻、月山山頂神社と奥に遠く鳥海山

 翌朝も好天となり眩い朝日が昇ったが、月山はだだっ広い山なので影月山を見る事はできなかった。しかし山頂からは360度の展望で、北には前日登った鳥海山、南は朝日連峰が横たわり、その奥に飯豊連峰の連なりも望めた。もう秋の気配なのに山頂直下の斜面には豊富な雪が残されており、豪雪の凄さを実感した。

 山頂から登って来た弥陀ヶ原方面?

 山頂から西?の眺め

  山頂から東?眺め

 山頂から南に朝日連峰と奥に飯豊連峰

 山頂からは、湯殿山神社へ降る湯殿山コースを下山した。この道は昨日の羽黒山コースとうって変わり急坂の連続で人の気配も無かったが、しっかり道で歩き易かったように思う。

その後は全く記憶に無いけれど、その日のうちに列車に乗り翌朝帰京したのではないか。当時は新幹線など無い時代で東北地方がとても遠かったのだ。殆ど消えかけた記憶の中で、日本海に浮かんだ影鳥海の雄大な眺めだけが今でも印象に残っている。

 

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