Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

奥日光、四郎岳~燕巣山登山

2019年11月03日 | 山歩き

11月1日(土)      天気=晴れ

 

06:57丸沼温泉駐車場→ 08:11~22四郎峠→ 09:00~12四郎岳→ 09:28~44四郎峠→ 10:45~11:25燕巣山→ 11:54~12:15四郎峠→ 13:15丸沼温泉駐車場

 

 尾瀬と奥日光の間に、燕巣山や四郎岳という名のマイナーな山々があり、以前から登りたいと思っていた。登山道が藪っぽいので妻と行くには困難な山で、同じマンションに住む山仲間のGさんを誘って出掛ける事にした。

 早朝4時に私の車でGさんと出発する。途中の上里サービスエリアでGさんの岳友Wさんが合流し、関越道の沼田インターで一般道に降りると日光へ向かうロマンチック街道を走り、午前7時前に登山口の丸沼温泉駐車場にへ着いた。

 丸沼温泉駐車場(下山時)

 広い駐車場には既に多くの車が停まっており、殆どは釣りを楽しむ人のようだ。気温は何とマイナス3度の冷え込み、でも風は無く澄み渡った青空なので絶好の登山日和になりそうです。準備を終えて午前7時前に出発する。

 駐車場前の沢

 最初は駐車場傍の沢を渡って、四郎沢沿いの道を登って行く。最初は明瞭だった踏み跡がだんだん藪っぽくなってきた。5カ所程ある砂防堰堤を次々越えて、薄い踏み跡を登って行く。途中は藪の濃い場所や倒木もあったりして歩き難い道だが、目印が点々とあるので迷う事は無い。

 最初の沢を渡る

 沢沿いの道

 砂防堰堤

 堰堤の端を越えて行く

 藪漕ぎの道

 沢の渡渉

 上部のナメ沢

 やがて沢を塞ぐ1本の倒木の所から、沢を離れ四郎峠へ向かって急登の道になる。この道も藪や倒木で楽では無かったが、息を切らせながら頑張って登り、やがて燕巣山と四郎岳の鞍部、四郎峠に着いた。

 峠へ向かう急登

 四朗峠

 峠で一息ついた後、まず西側に聳える四郎岳へ向かう。地図にも書かれている通り、最初から急登の道が山頂近くまで休みなく続く。キツイ登りだが、その分だけ効率的に標高を稼げる。30分程登って背後の燕巣山が同じ高さに見えた頃、緩やかな道となり四郎岳四郎岳(2156m)へ着いた。

 四朗岳へ向かう

 背後に見える燕巣山

 四朗岳山頂

 山頂には健脚そうな男性が一人先着していた。彼も我々と同じコースを歩いているようで、入れ替るように降って行った。四郎岳の山頂は広々とした疎林の中にあり、樹林の合間に展望が開き丸沼越しに日光白根山や錫ヶ岳が望まれた。

 10分程山頂に滞在し登って来た急坂を降って四郎峠へ戻った。峠で一休みした後、今度は燕巣山に向かって出発する。小さな1891mピークを越え、山頂への登りは四郎岳程では無いが、こちらも急坂で喘ぎ喘ぎでの登りとなる。やがて背後の四郎岳が同じ高さになった頃、傾斜の緩い道へと変り、待望の燕巣山(2222m)へ到着した。

 燕巣山への登り

 同 上

 登山道から丸沼方面

 背後の四郎岳

 山頂間近の緩やかな道

 燕巣山山頂

 

 山頂は南面が開いた明るい草地で、日光白根や男体山などの山々が見渡せた。山頂から更に先へ進むと笹の海となり踏み跡は消えるが、尾瀬の山々や鬼怒沼湿原を見る事ができた。

 山頂から日光白根山方面

 山頂から丸沼方面

 山頂から樹間越しに尾瀬の燧岳(中央奥の双耳峰)

 山頂の先から鬼怒沼方面(左手奥、樹林帯の切れ間)

 山頂には40分程滞在し、下山を開始する。急坂を降って四郎峠まで戻り、最後の休憩をした後、登山口へと降って行く。倒木潜りや沢の渡渉など変化に富んだ道を降って、午後1時過ぎに登山口の丸沼温泉に戻って来た。

 四朗峠へ戻って来た

 倒木を潜って降る

 倒木帯を降る

 丸沼温泉に戻ってきた。

 丸沼温泉から燕巣山方面

 ハードな山はいつも一人旅が多かったが、今回は健脚のGさんやWさんが一緒だったので、何の不安も無く楽しく実りある山歩きをする事ができた。今日は三連休の初日、関越道の渋滞を避けようと温泉にも入らず帰宅の途についたので、午後4時過ぎには我が家へ戻る事ができました。

 

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78歳のスーパーシニア塩田さん

2019年11月01日 | 日記

 11月1日(金)

 鶴ヶ島100キロウォークのブログで何度か話題にした塩田さん達とは道間違いをした時に別れてしまったが、私が妻と会場から我家へ戻る途中、ゴールへ向かう塩田さん達と又々再会した。

 コース間違いを教えてあげられなかった事を詫びると、彼は「イエイエお世話になりました。貴方とぜひ何時か一緒に一杯やりたいですね。」と言って笑顔でお別れした。

 実は坂戸市役所で最初に言葉を交わした時、塩田さんから手作りの名詞を頂いていた。78歳にしてあれだけの健脚者ただ者ではあるまいと思っていたから、翌日ネットで「塩田忠一」と言う名を検索してみたらやっぱり凄い人だった。

 記事によると彼は、70歳過ぎてからリヤカーを引いて日本列島一周や縦断を二度も達成し、その他にも様々な長距離ウォークの記録を残している。その挑戦は東京新聞や前埼玉知事の上田さんのブログにも掲載され、高く評価されていた。

 塩田さんの驚くべき健脚の源は何なのか、日々どのような鍛錬をしているのか。何時かお目にかかって、その秘密を伺いたいものだと思っている。「死ぬまで元気」というのが塩田さんの座右の銘だそうで、私も彼のように70代でもチャレンジを忘れず、死ぬまで元気に過ごしたいものです。

 私の前を歩く塩田さん

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