朝からバタバタと最後の準備をしながら、バァさんの説得にかかり30分ほどお話した結果女房殿の車に乗っていただいた。
30分ほどで市内の介護施設に到着し3Fの部屋に、不思議なことに玄関を入る時も部屋に入る時も特段の嫌がる風はなし、ディサービスやショートに通っていて慣れているからか・・・は我々の推測。
でバァさんと女房殿を部屋において、村長事務所で契約書に印鑑つくのですが、この説明が長いの何の まぁ大切なことではありますが、結局全ての事務処理が終わったのは12時前。
3Fの部屋に戻ると既にバァさんは大広間で皆さんと食事中、その間に看護士さんやら介護士さんに、テレビ・エアコン・電気毛布・照明等の電源を自力で行うことが出来ない旨説明。
また昨夜 女房殿と書いたバァさんの日常生活の注意してほしいメモを見て戴き全て終了。
最後にバァさんにまた来るよ と分かれたのですが、別れ間際のバァさんの目は置いていくのか・・・・の目でした。
遅い昼食の後少し休憩して今度は村長の体、メヌエルでお世話になっているお医者さんを訪ねて紹介状を書いてもらった。
そう色々悩んだのですが、バァさんが預かってもらえるので手術をすることを決断した次第、話やネットによると手術しても4人のうち3人が治る確率のようですが。
このまま行くと繰り返しながら右耳は聞こえ無くなる、そのときは眩暈も吐き気もしない・・・と言われれば、やっぱ掛けてみるかーに人間なります。
照会先は四国 松山市の鷹子町にある病院でした、巧くてエライ先生がおられるようです。
近いうち訪ねて・・・といってもエライ先生の日程次第ですが。
1日色々 気疲れしました。