( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/40191720.html からの続き)
この映画では、少年の言動は 実は狂言だった
という終わり方を、形の上では しています。
そのため 僕は、「無理のある 設定だなぁ」 と思ってしまいました。
ところが、試写会場を出るとき、観客にチラシが配られました。
「ショーンは ショーンだったのか?」
アメリカでは、少年が ショーンの生まれ変わりか 否か、
論争が巻き起こっている というのです。
(ロードショーでも このチラシが配られるかどうか は知りません。 (^^;))
ショーンが本物でなければ 辻褄が合わない セリフやエピソードが、
映画の中には いくつかあります。
(だから 僕は 「無理がある」 と感じてしまったわけですが。)
一方、それは少年が 人から見聞きした情報で 説明がつく、
という意見もあります。
果たして どうなのか?
どうか皆さん、真実を見極めるよう 映画をご覧になってみてください。
ただし、この映画のテーマは 輪廻転生の真偽ではなく、
死んでもなお続く 「愛」の記憶についての ドラマなのだ ということです。
(余談です。
σ (^^; )は大分 以前、ニコール=キッドマンの名前を ど忘れし、
何故か 「ニキッド=コールマン」 という名前が 頭に出てきてしまいました。
「なんか おかしいなぁ」 と感じつつ、
そのときは 明確な間違いに気づきませんでした。
そんなことって ありませんか? (^^; ))