「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「記憶の棘(とげ)」(2)

2006年09月19日 22時14分54秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/40191720.html からの続き)

 この映画では、少年の言動は 実は狂言だった

 という終わり方を、形の上では しています。

 そのため 僕は、「無理のある 設定だなぁ」 と思ってしまいました。

 ところが、試写会場を出るとき、観客にチラシが配られました。

「ショーンは ショーンだったのか?」

 アメリカでは、少年が ショーンの生まれ変わりか 否か、

 論争が巻き起こっている というのです。

(ロードショーでも このチラシが配られるかどうか は知りません。 (^^;))

 ショーンが本物でなければ 辻褄が合わない セリフやエピソードが、

 映画の中には いくつかあります。

(だから 僕は 「無理がある」 と感じてしまったわけですが。)

 一方、それは少年が 人から見聞きした情報で 説明がつく、

 という意見もあります。

 果たして どうなのか? 

 どうか皆さん、真実を見極めるよう 映画をご覧になってみてください。

 ただし、この映画のテーマは 輪廻転生の真偽ではなく、

 死んでもなお続く 「愛」の記憶についての ドラマなのだ ということです。
 
 

(余談です。

 σ (^^; )は大分 以前、ニコール=キッドマンの名前を ど忘れし、

 何故か 「ニキッド=コールマン」 という名前が 頭に出てきてしまいました。

 「なんか おかしいなぁ」 と感じつつ、

 そのときは 明確な間違いに気づきませんでした。

 そんなことって ありませんか? (^^; ))
 
コメント
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