「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

沖縄旅行 (2)

2013年12月15日 22時54分40秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 約1時間半で ひめゆりの塔に到着。



 下の写真は、 ひめゆりの塔の横にある 慰霊碑 (納骨堂)。

 手前の黒い穴は、 当時使われた土豪です。



  「ひめゆり」 は、 沖縄師範学校女子部と県立第一女学校の愛称です。

 200人あまりの生徒と教師が 看護要員として動員されました。

 しかし 現場は正に野戦病院で、

 悲惨な負傷兵の看護, 四肢の切断, 死体埋葬などに追われました。

 排泄物や血, 膿の悪臭が充満し、 土豪の中で 身の危険にさらされていました。

 米軍が迫りきて、 突然 日本軍による 無責任な 「解散命令」 が下り、

 彼女たちは戦場に放り出されて、 逃げ場もなく絶望し、

 136人が自決などで 命を絶ちました。

 沖縄は、 米軍の本土上陸を 一日でも遅らせるため、 日本軍を守るための

 「根こそぎ動員」 で、 12万人以上の住民が犠牲となったのです。


 ひめゆりの塔から またバスで、 摩文仁 (まぶに) の平和祈念公園へ。

 平和祈念公園には、 ひめゆりの女生徒たちが  「天皇陛下万歳」 と叫びながら、

 断崖から海へ飛び降りたという  「バンザイクリフ」 があります。





 (ただし、 TVでよく見る 投身の映像は、

 ここではなく サイパンのものだそうです。

 バンザイクリフは 硫黄島にもあるといいます。)


 身投げをした岸壁の横は  「平和の広場」 で、

 中央に 「平和の火」 が灯されています。



  「平和の火」 の後方に 並んで見えるのは、 「平和の礎 (いしじ)」 。

 沖縄戦などで命を失った 全ての人々の名前が、

 国籍, 軍人, 民間人の区別なく 刻まれています。



(次の記事に続く)
 

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