「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

触法精神障害者と 刑事責任能力 (2)

2010年05月27日 21時16分34秒 | 凶悪犯罪と心の問題
(前の記事からの続き)

 刑法39条があると、 精神疾患者は 何をしても罰せられないから、

 恐ろしい存在だという偏見を 生じさせるという意見があります。

 しかし、 だから 精神疾患者を罰するべきだ というのではなく、

 そういう偏見を解くため 正しい情報を発信していくのが、 あるべき姿勢でしょう。

 責任能力のない者を罰するのは 酷だと思うのは、

 単なる 「情」 に 過ぎないでしょうか?

 しかし そもそも、 「情」 のない司法も 世界も存在しないと 僕は思っています。

 罪を犯した者は 償うべきとか、 責任がない者を罰するのは 不当と思うのも、

 人間の本質的な 感情だと思います。

 「何故償うべきか?」 という 明晰な論理を 見いだすのは難しく、

 直感的, 経験的に そう感じるからです。

 (僕は、 人間の理屈は 最も深い所で、

 感情の上に乗っているものだと 思っています。

 感情は善悪を判断する、 「合理的な」 心の機能です。

 僕は 感情は論理より深い (強い) と 思っていますが、

 「感情」 「論理」 の議論は 本題ではありません。

 また 法の場では、 感情から客観性を 導き出さなければなりません。)

 因みに、 「情状酌量」 は 正に 「情」 に応えようとするものですし、

 裁判員制度も 健全な市民感情を 取り入れるためのものです。

 (もっとも僕は、 国家の法には 通常の市民感情よりも、

 崇高な理念が 必要だと思う場合も あるのですが。)

 そのような 人間の根源的, 一般的な感情に、

 合理的に対応するため、 体系的なルールを作るのが 法だと思います。

 要するに、 そのとき 情に流されすぎないよう、

 理性的に バランスを取ることが 肝心なわけでしょう。

 精神疾患やBPDなどに対する、 精神医学的な 知見の深まりを 期待すると共に、

 以上の事柄を 考え合わせて、

 これらの刑事責任能力と 罰を熟慮するべきだと思います。

 最後に もう一度、 被害者の心のケアを 進めることが、

 何にも増して 大切なことだと 強調しておきます。

(次の記事に続く)
 

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