「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「世界仰天ニュース」 への連絡 (3)

2008年01月09日 11時17分59秒 | 「世界仰天ニュース」でBPD誤報
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52089750.html からの続き)

 日テレに手紙を送った 次の水曜日、再び 視聴者センター部を通じて電話し、

 プロデューサーは不在で 別の若いスタッフが 対応してくれました。

 そして、プロデューサーから僕に、直接連絡をくれる ということになりました。

 それから、なかなか プロデューサーからの連絡は 来ませんでしたが、

 ボーダーを番組のコーナーで 取り上げられるかどうかは、

 局内の他のプロデューサーと 検討もしなければならないし、

 時間がかかるだろうから、少し期間を置いて 待っていました。

 しかし、1ヶ月半近く経っても 連絡はありません。

 再度 こちらから電話をしました。

 何回かそんなことを 繰り返しましたが、プロデューサーはいつも不在。

(いかにも頼りない スタッフもいて、さんざん 待たされたりもしました。)

 こちらからの電話は 視聴者センター部を通すしか 方法がなくて、

 直接スタッフには コンタクトできず、

 スタッフは 名前や連絡先を言わない決まりに なっているということです。

 でも それでは埒が明かず、

 このままだと いつプロデューサーから 連絡をもらえるかも分からないので、

 何か方法はないか と尋ねても、

 電話があったことを プロデューサーに伝えることしか できないと言います。

 一度は アシスタント・プロデューサーという人に 繋げてくれましたが、

 誠意が感じられず、プロデューサーに伝える というだけの一点張りです。

(しかも 最初に電話に出たとき、この人は自分が誰か 役職も名乗りませんでした。)

 次回電話をするとき 一度会話した人だと確認できるように、

 アシスタント・プロデューサーに

 「失礼ですが お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」 と尋ねると、

 「あなたは自分の名前を 言ってるんですか?」

 と言われました。

 もちろん僕は いつも最初から名乗っていますが、

 この態度は いかがなものでしょう? 

 若いスタッフは 常識的な対応をしてくれたのに、

 上に立つ人間が このような排撃的な姿勢だとは……。

(また、電話を切ってから 気付いたのですが、

 アシスタント・プロデューサーに 僕の名前が 伝わっていないということは、

 誰からどの件で 電話があったのか、

 プロデューサーに伝えられない ということではないでしょうか。)

 この分では いつまで待っても、プロデューサーからの連絡は 期待できないでしょう。

 そもそも 誠意や良識のある プロデューサーなら、

 初めから ボーダーをあのように扱う 番組は作らなかったはずです。

 しかし、何とか こちらの真意を伝えられないか、

 無闇に敵対するのではなく 建設的にことを運べないか、考えてみました。

(続く)
 
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「世界仰天ニュース」 への連絡 (2) 送付した手紙

2008年01月08日 20時05分29秒 | 「世界仰天ニュース」でBPD誤報
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52074441.html からの続き)

 日本テレビ 「世界仰天ニュース」 に 送った手紙を、以下にコピーします。

-------------------------------------

                           11月4日
「ザ! 世界仰天ニュース」御中
                                稲本 雅之
拝啓

 稲本雅之と申します。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 8月1日に放送されました、境界性人格障害を扱った番組についてのお話ですが、すでに放送直後より何回か手紙やメールなどを送らせていただきました。
 当方の立場を紹介させていただきますと、付き合っていた女性が境界性人格障害で、自死にて亡くなってしまいました。
 その体験を、同封の拙著「境界に生きた心子」(新風舎)として上梓いたしました。
 境界性人格障害のことを人々に少しでも理解してもらえるよう、微力ながら努めております。

 そういう立場からいたしますと、8月1日の番組は大変遺憾なものでした。
 諸事情により、それからすっかり時間が経ってしまいましたことをご了承ください。
 8月8日に迅速な謝罪が行なわれたのはとても結構なことでしたが、簡単な言葉だけではボーダーに対する誤解は解けないと思われます。
 映像のインパクトは非常に大きいものですから、植えつけられたイメージは容易には拭いされないでしょう。
 ボーダーの人の中には陳謝の気持ちを受け取った人もいるようですが、多くのボーダーの人があの謝罪にも憤っておりますし、かえって具合が悪くなってしまった人もいます。

 例えば謝罪の放送では、再現ビデオの女性について、「番組の中で彼女が『境界性人格障害』の可能性があると放送しました。」と言われましたが、番組を見た人は女性がボーダーであると断定している印象を受けるでしょう。
 「突発的暴力も典型的症」などと述べており、ボーダーは恐ろしいものだという意図で作られていると感じます。
 人格障害傾向テストも取り上げられていましたし、番組はボーダーと凶悪犯を直接結びつけた構成になっています。

 また、「紹介したケースは極めて例外的なもの」と言っておられますが、猟奇的な行為はボーダーとは無関係であり、「例外」というより「別物」です。
 「誤解を招きかねない」という文言も、事実「大変な誤解を招いてしまった」というのが正しい言い方だと思います。
 当事者はこういう所に敏感であり、失礼ながらあの謝罪は充分ではないと思っております。
 ボーダーの人の傷は癒されません。

 それを回復するためには、ボーダーの正しい姿を描いた新しい番組を作ることが最善であると考えます。
 しかし現実的には、それは非常に難しいことだと思いますので、次善の策といたしまして、日本テレビの他の番組(ニュース,ワイドショーなど)の中のひとつのコーナーで、ボーダーを題材として正確に取り上げていただけないかという、提案をさせていただきたいと思います。
 是非とも局としてご検討いただきたいと、心から強くお願い申し上げます。

 誠に僣越ながら、ボーダーの人たちに被害を生じさせてしまった番組として、誤解を正す大きな責任はあるのではないかと考えるのですが、いかがなものでしょうか。
 8月1日の番組で傷ついたボーダーの人は沢山います。
 ショックでリストカットしてしまったという人もいます(あるいは、それ以上の致命的な行為に及んでしまった人もいるかも知れません)。
 それだけ傷つきやすい繊細な人たちなのです。

 周囲に誤解が広まって、自分がボーダーであることをますます言えなくなったと嘆いている人たちも少なくなく、就職活動が絶望的になったという人もいました。
 多くの人たちが心身とも傷つき、実生活にも著しい実害を受けています。
 それらの切実な痛みを、どうかご理解いただきたいとお願い申し上げます。
(現在BPO「放送倫理・番組向上機構」にも問い合わせをしているところです。)

 ボーダーは若い人を中心に増えている、現代を象徴する心の病です。
 番組の謝罪や訂正の意味だけではなく、新しい情報として伝える意味があるテーマです。
 昨今、感情をコントロールできずにキレやすい,引きこもり,摂食障害,うつ,リストカットなど、若者の精神が不安定になっている背景には、ボーダーと関わる心理的症状があります。
 ボーダーを理解することは、社会として求められることだと思います。

 ボーダーは人口の1~2%いるとも言われており、誰でも近くにボーダーの人がいるのが実情です。
 ボーダーのことを知らないと、訳も分からずトラブルが起こってしまいます。
 互いに傷つけ合わないためにも、ボーダーについて知識を得ることが大切でしょう。
 今も苦しんでいるボーダーの人や、家族・パートナーの人たちが大勢います。
 報道の必要性が高い現代的なトピックでもあると考えております。

 また、ボーダーの人は極めて魅力的で、すぐれた才能を持っていることも少なくありません。
 ダイアナ元妃,尾崎豊,太宰治などがボーダーだったと言われています。それらの魅力を知ることも有意義でしょう。

 ボーダーは元々とても理解されにくいものです。
 正に8月1日の放送のような曲解をされかねません。
 だからこそ、間違いない情報を伝えることがマスコミの使命であると思う次第です。
 拙著も是非ご覧いただいて、ボーダーをご理解いただき、そのドラマチックな生きざまも伝えていただきたいと存じます。
 どうかくれぐれもよろしくお願い申し上げます。

 日本テレビのますますのご発展をお祈りいたしております。
                                   敬具

-------------------------------------

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52100924.html
 
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「世界仰天ニュース」 への連絡 (1)

2008年01月07日 22時44分07秒 | 「世界仰天ニュース」でBPD誤報
 
 昨年8月1日 「ザ! 世界仰天ニュース」 で、

 ボーダーを取り上げた 放送についてです。

(当時の記事 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49301588.html )

 その後も僕は、一人で細々と 対処をしていました。

 8月8日の番組の “謝罪” も 充分なものではなかったため、

 日本テレビに 訂正の番組制作の可能性を 打診していました。

 けれども、(案の定というか) 一向に 返答はありません。

 新たにひとつの番組を 作るというのは、現実的には 極めて難しいとはいえ、

 そのままで 終わらせたくはありませんでした。

 日テレと 話し合いが付かない場合、

 「放送倫理・番組向上機構」 (BPO) へ 申立をし、

 審理を委ねることができます。

 BPOの規約では、番組放送から3ヶ月以内に テレビ局に申立をし、

 折衝が成り立たなかった 時には、放送から1年以内に

 BPOの 「放送と人権等権利に関する委員会」 (BRC) に 申立をする、

 ということになっています。

http://www.bpo.gr.jp/brc/index.html

 諸事情で 遅くなってしまったのですが、

 昨年10月末に BPOに申立の問い合わせをしました。

 窓口の人と 電話で直接 話せましたが、次のような話になりました。

 僕は 「世界仰天ニュース」 および 日テレに、

 何回もメールや手紙、掲示板などで 意見や要望を送っていたので、

 局への申立は すでにしているという認識でした。

 ところが 申立というのは、電話や面会などで 直接話し合うことを指し、

 それで 結論が出なかった場合、BPOに申立をする 段取りになるということです。

 従って、まず 「世界仰天ニュース」 に 電話なりで、

 直接話をしてほしい ということになりました。

 放送から3ヶ月以内 という規定は、辛うじてクリアできると思います。

 それで 日テレの視聴者センター部に 電話をしましたが、

 「仰天ニュース」 のスタッフは 普段なかなか捕まりません。

 水曜日の夜 「仰天ニュース」 オンエア中は、

 スタッフが 視聴者からの電話に 対応するために、

 スタッフルームに 控えているということです。

 翌 水曜日の9時過ぎ、視聴者センター部を通して 「仰天ニュース」 に連絡、

 プロデューサーは 居合わせませんでしたが、

 若いスタッフと 話をすることができました。

 スタッフは 真摯に話を聞いてくれ、対応は良かったと思います。

 その人は プロデューサーに伝えてくれると 言いましたが、

 伝聞では こちらの真意が 充分伝わらないので、

 僕は改めて 手紙を書いて送りました。

 主旨は、訂正の番組を新たに作る 次善の策として、

 日テレのニュースやワイドショーなど、他の番組のワンコーナーで

 ボーダーを取り上げて、正しい理解を 広めるようにしてもらえないか、

 ということです。(別掲)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52089750.html
 
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死刑存廃について (8) 残酷な刑

2008年01月05日 19時38分27秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52018590.html からの続き)

(4)残酷な刑の禁止

 憲法では 残酷な刑--体の一部を切断したり、鞭打ちなどの 身体刑を禁じています。

 一方で 憲法31条にはこうあります。

「何人も、法律の定める 手続によらなければ、その生命 若しくは 自由を奪はれ、

 又は その他の刑罰を 科せられない。」

 逆に言えば、法律を整備すれば 死刑という刑罰も可能だというのが、

 最高裁の判例であり、定説的な意見だそうです。

 しかしながら アメリカでの死刑執行方法は、

 絞首刑 → 電気椅子 → ガス → 薬物注射 というように、

 より残酷でないと思われる 方法に変わってきています。

(薬物注射も 残酷ではないか審理中)

 日本ではいまだに 絞首刑が続いていますが、

 死刑執行の現場を 公開すれば、嫌悪や反対意見,批判も出てくるでしょう。

http://www.geocities.jp/aphros67/030600.htm

 近代的,文化的な社会を標榜し、残酷な犯罪を犯してはいけないと 禁じている国家が、

 公に 残酷な刑を行使するのは 矛盾だと思います。

 「目には目を」 では、現代の成熟した 国家とは言えないのです。

 死刑は究極の身体刑であり、身体刑を否定する 近代刑罰体系の中で、

 異質の刑罰と考えられます。

 なお、絶対的終身刑は 

 社会復帰の希望を 完全に閉ざしてしまうため(恩赦という道はあります)、

 死刑より残酷だという 意見もあります。

 終身刑の受刑者が、死刑にしてくれと 訴えることもあるそうです。

 他の代替刑として、受刑者の更生状況によって

 仮出獄の可能性も あり得る終身刑など、でき得る方法を 探っていくべきでしょう。
 

 死刑存廃論議は 一部では根強くなされているものの、

 一般の人は表面的なことしか 認識していないのではないでしょうか。

 ともあれ、国民を巻き込んだ議論が 始められなければならないと思います。
 
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死刑存廃について (7) 犯罪抑止力 2

2008年01月04日 19時12分22秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52002894.html からの続き)

 次に 再犯予防についてです。

 死刑は 本人による再犯を、完全に根絶する 方法だといいます。

 しかしそれならば、絶対的終身刑でも 目的は果たせます。

 死刑は 応報刑の性質しか持たず、教育刑としての理念を 放棄してしまっているので、

 他の刑罰と比較して、近代国家が選択すべきものなのか 疑問です。

 矯正不能の人間を死刑にするのだと 言うかも知れませんが、

 アメリカで有効な方法として 行なわれている 「アミティ」 という

 更生プログラムさえ、日本ではまだ ほとんど知られていません。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/30977301.html

 このような更生プログラムの 研究・普及が、

 まず何よりも 求められることだと思います。

 重犯罪者は その生育歴において、本人の責任ではない 不幸な境遇で、

 人間性を阻害されて 生きてきたケースが少なくありません。

 その結果 罪過を犯してしまった 人間に対して、

 人間性の回復ではなくて 死を与えようとする社会は、

 人間存在への信頼という理念に 背くのではないかと思います。

 それは 不幸な環境を 黙認する社会であり、

 また次の罪業を生む 温床となるのではないでしょうか。
 

 ところで、死刑廃止国の多くは キリスト教圏であり、

 イスラム教圏,仏教圏の多くでは 死刑制度が支持されていると言います。

 文化的,宗教的背景を考慮せずに、死刑存廃を論じることは できないでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52035264.html
 
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死刑存廃について (6) 犯罪抑止力 1

2008年01月03日 19時57分07秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51991773.html からの続き)

(3)犯罪抑止力

 犯罪の予防効果には、一般予防論と特別予防論 というものがあります。

 前者は 刑罰があるために 犯罪の発生が抑えられるということ、

 後者は 犯罪者の再犯予防です。

 まず 一般予防について。

 人は殺人をするときは 興奮しているので、

 理性的に 死刑を免れることを考えるのは 無理だと言われます。

 一方、計画的な犯行や 組織的犯罪に対しては、予防効果は高いとも考えられます。

 けれども、死刑制度を 廃止した国において、

 その後 凶悪犯罪が減少した というデータは、かつて存在したことがありません。

 現在日本では 死刑制度がありながら、凶悪事犯が増加しているのは、

 死刑が威嚇効果を持たない という証拠かもしれません。

 しかし犯罪傾向は 様々な要因があるので、仮に 死刑を廃止していた場合、

 凶悪事犯は 更に多く発生しているという 可能性も否定できないでしょう。

 もし 死刑に抑止力があるとしても、そのために殺人を 思い止まった人間は、

 実際に事件を 起こしていないわけだから、統計上の数値に 出てきません。

 逆に死刑があると、それを逃れるために、目撃者や、傷害で済む被害者(=目撃者)を

 殺害してしまうことも 起こり得ます。

 さらに、死刑によって死ぬことを目的とした 殺人もあります。

(大阪池田小学校事件の 宅間守など)

 結局、死刑に犯罪抑止効果が あるのかどうか、

 正確に証明できる データはないのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52018590.html
 
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死刑存廃について (5) 誤判の可能性

2008年01月02日 23時18分07秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51947990.html からの続き)

(2)誤判の可能性

 冤罪,誤判があったら 死刑だと取り返しが付かない というのは、

 廃止論者にとって 非常に強力な論拠です。

 この一点だけでも 死刑は廃止すべきだとも言え、

 存置論者は明確な 反論ができていません。

 死刑以外でも 誤審の可能性はありますが、

 生きていれば 何らかの形での保証が まだできます。

 しかし 死刑が執行された後では、それが完全に 不可能だという点で、

 死刑は他の刑罰と 決定的に異なります。

 イギリスでは、1956年に 死刑廃止法案が出されましたが、

 内相が 近代裁判制度では 誤審はあり得ないと言って、廃案になりました。

 ところが その後に、1950年に死刑執行された事件の 真犯人が現れ、

 処刑された死刑囚が無実だった ということが判明したのです。

 そして 1965年の死刑廃止に、急速に 傾いて行ったということです。

 無実の人間が 死刑によって殺される おぞましさ、それに対する 痛みや怒りを

 リアルに想像できるかどうかは、その人の感性の 問題かも知れません。

 「取り返しが付かない」 というのは、冤罪だけはでなく、

 死刑執行後に 発覚した新事実で、極刑は重すぎたと 判明する場合もあります。

 裁判員制度でも、裁判員が 死刑の判断をした後になって、

 あれは違っていたのではないかと、後悔し 苦悩する場合もあり得ます。

 団藤氏の言う、死刑廃止なくして裁判員制度なし ということは、

 確かに言えるかもしれません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52002894.html
 
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