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朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

青函連絡船

2023-05-01 | 国内各地の風物

Day3、旅館バスで青森駅まで戻りました。帰路の飛行機出発まで多少の時間があったので、青函連絡船の見学に行きました。

 営業運航は1988年(昭和63年)に終了しています。もう若い人たちは列車に客を乗せて船で運んだことなど知らないでしょう。昭和の文化遺産の一つかな。
 青森駅は北海道への鉄道連絡の港でした。東北本線を走って来た列車は客車ごと連絡船に積み込んで出発しました。鉄の車両は乗客と荷物の重量よりも桁違いに重いのに、なぜ船で対岸まで運んだのでしょうか? 貨物車は積み替えの手間が大きいから分かるが。


現在はこの八甲田丸が青森港で実物展示されていて中を見学できました。
 


昔の風景が人形と物品模型を使って展示されていました。この木箱は文字通り「りんご箱」と言ってダンボール箱がなかった時代には便利に再利用されて引越しや簡易な家具、さらには分解して棚板などに活用されました。
 連絡船の歴史を紹介するビデオ映像室もあります。洞爺丸事故は台風によって函館で連絡船が沈み多くの乗客乗員がなくなりました。また戦争中は空襲で大きな被害が出ました。
 


操舵室。人形がいてリアリティがあります。



煙突甲板の鯉のぼり🎏。
 
 






鉄道車両を積むデッキは2階建てになっています。
乗客の乗せたまま、客車を積み込む方法は1948年12月~55年5月までの約6年半しか実施されませんでした。乗客はいったん降りて乗船し船の客室に入る。
 洞爺丸などの遭難事故が起こったため。貨物輸送は荷捌きの効果が大きいので続けられたそうですが。



巨大なエンジンが並んでいます。初期の頃の連絡船は蒸気機関だったので大量の石炭も積み込んでいたそうです。
 
私は学生時代の夏休みに、友人たちと自家用車で北海道一周旅行をしました。はっきりとは記憶がないけれど、連絡船には自動車も乗せたようなので多分そうしたと思います。
 
連絡船の近くには新しい観光施設が出来ていて、青森県のりんごや加工品などの土産物販売や、シードル(りんごワイン🍷)やクラフトビールの醸造所があり、オシャレなカフェがありました♪
 
 
駅前からバスで空港へ、30分程度。

 

この日は快晴でした。窓際の席が取れたので新潟県の日本海海岸線が良く見えました。
 
 


この山は不明?
 
 


富士山も見えました。手前の山脈は北アルプスかな?
 
2泊3日の気楽な旅でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント
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