実家にいる母の希望で、このお寺の紅葉を見に行きました。(11月30日)
鈴鹿山脈から流れでて琵琶湖に至る愛知川の畔に立っています。
あいまいな記憶では平坦な場所であったと思い、歩くことが少し不自由になった母でも参拝できるだろうと行ったのですが、
こんな急な石段が目の前に現れました。
この近くにある町、八日市市(現東近江市)には小学校の時に5年間住んでいました。その頃に、クラス全員でこのお寺に泊まりに来たことがあったそうです。禅寺(臨済宗)なので、座禅をしに来たのでしょうか。全く記憶がありませんが。
ゆっくりと石段を登ると、山門が現れました。ここで拝観料を払って入山します。
本堂です。この大屋根は琵琶湖のヨシで葺かれています。
ここにはご本尊「世継観音」をおまつしていますが、秘仏のため拝観することはできません。代わりにお経を書いた掛け軸が掲示してありました。
大きな線香の鉢があり、その燃えたあとの灰をよく見ると・・・
なんと、文字が浮き上がっています。
特殊なペンで太い線香に文言を書き込むと、このように燃えた後にそれが浮き上がってきます。当方も、家内安全と健康を祈願しました。
楓の紅葉は、殆ど終わっていましたが中にはこんなに真っ赤な木もありました。
境内の奥にある標月亭で、お抹茶を頂きました。
座敷から眺める大きな楓の葉が黄色く染まって、散り紅葉が見事でした。
ここでゆっくり休憩をして、境内を降りてくると松尾芭蕉の句碑が目につきました。
「こんにゃくの さしみもすこし 梅の花」
”仏前には、コンニャクの刺身が少し供えられている。寺の庭には梅の花が咲いて春はもう近い。”
”元禄6年春。去来に関係する人の追善供養に詠んだとされる句。コンニャクは、ウリ、蕎麦切、豆腐、酒とならんで芭蕉の好物だったらしい。”
(引用:http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/konyaku1.htm)
「永源寺こんにゃく」が名物なので、それをおみやげに買ってかえりました。
鈴鹿山脈から流れでて琵琶湖に至る愛知川の畔に立っています。
あいまいな記憶では平坦な場所であったと思い、歩くことが少し不自由になった母でも参拝できるだろうと行ったのですが、
こんな急な石段が目の前に現れました。
この近くにある町、八日市市(現東近江市)には小学校の時に5年間住んでいました。その頃に、クラス全員でこのお寺に泊まりに来たことがあったそうです。禅寺(臨済宗)なので、座禅をしに来たのでしょうか。全く記憶がありませんが。
ゆっくりと石段を登ると、山門が現れました。ここで拝観料を払って入山します。
本堂です。この大屋根は琵琶湖のヨシで葺かれています。
ここにはご本尊「世継観音」をおまつしていますが、秘仏のため拝観することはできません。代わりにお経を書いた掛け軸が掲示してありました。
大きな線香の鉢があり、その燃えたあとの灰をよく見ると・・・
なんと、文字が浮き上がっています。
特殊なペンで太い線香に文言を書き込むと、このように燃えた後にそれが浮き上がってきます。当方も、家内安全と健康を祈願しました。
楓の紅葉は、殆ど終わっていましたが中にはこんなに真っ赤な木もありました。
境内の奥にある標月亭で、お抹茶を頂きました。
座敷から眺める大きな楓の葉が黄色く染まって、散り紅葉が見事でした。
ここでゆっくり休憩をして、境内を降りてくると松尾芭蕉の句碑が目につきました。
「こんにゃくの さしみもすこし 梅の花」
”仏前には、コンニャクの刺身が少し供えられている。寺の庭には梅の花が咲いて春はもう近い。”
”元禄6年春。去来に関係する人の追善供養に詠んだとされる句。コンニャクは、ウリ、蕎麦切、豆腐、酒とならんで芭蕉の好物だったらしい。”
(引用:http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/konyaku1.htm)
「永源寺こんにゃく」が名物なので、それをおみやげに買ってかえりました。
私も90歳とまでは望まなくとも、80歳で京都の娘の介添えは夢にも見られません。我儘に育てた己が報いでしょう、
永源寺の門前の出店には赤いこんにゃくや松茸が売られて居ました。今思えば松茸を買って松茸ご飯にして娘に食べさせるべきでした。年金暮らしの現在から思えば松茸は手の届かない値段ではなかったのに、などあれこ浮かんで来ます。
何はともあれ良い紅葉でした、