朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

青不動御開帳

2014-11-29 | 京都の文化(秋)
東京の友人夫婦が、先日、この青蓮院の将軍塚青龍殿の見学に来ました。その時には一緒に行くことができなかったので行ってみました。(11月28日)



青蓮院門跡の門跡には、巨大な楠の木が茂っています。どのくらいの樹齢だろうか。

将軍塚は東山山頂にあるので、ここから専用のバスで運んでもらいます。通常時は自分の車でも将軍塚に行けるのですが、今回特別の公開なのでバスかタクシーしか登れません。(12月23日まで、バス代片道100円)

バスは満員で立席ギュうギュう。年配の方には気の毒でした。



この建物は、北野天満宮前にあった大日本武徳会道場を移設し、内陣と奥殿、大舞台を新築しました。

青不動は平安仏画で絹本のお軸です。以前に青蓮院門跡で見たことがありますが、もっと薄暗く煤けていた記憶があります。今回、3年間の修理を経て御開帳されました。

ずいぶんと美しく修復されていました。


(引用:青蓮院拝観パンフレット)

拝観料を払ったとき、散華を渡されたのでそれに願意と願主を書いて青不動さんの前に投げるようになっています。



大舞台はこのようにとても広く、見晴らしがすばらしい。



右に比叡山がどーんと控えています。



さらに左手側には、鉄骨作りの不思議な見晴らし台がありました。鉄の階段がペンキが塗ってありますが錆びてもいてかなり古そうな2階建てくらいの高さの建物でその屋上が展望台です。

この写真の左下に丸く将軍塚が写っています。桓武天皇が都を奈良から長岡に移したのですが、不都合な事故が多く起こったのです。和気清麻呂らはこの山上に天皇をお誘いして京都盆地を見下ろしながら、この地が都の場所にふさわしいと進言したのでした。

”天皇は都の鎮護のために大きな将軍の像を土で作り鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯びさせ、塚に埋めるよう命じました”・・・これが「将軍塚」の名前の由来です。(引用:上記パンフレット)




(クリックで拡大)

展望台の下には茶店があります。



将軍塚を地面から眺めます。

その先には庭園があって、紅葉がきれいでした。



夜間はライトアップをしています。この高い場所から京都市内を夜に眺めるとその夜景がきれいだろうと思いました。



青蓮院門跡の近くから青龍殿が見えました。昔は、あのあたりまですべてこの寺院の境内であったようです。


夜景を眺めるだけならば、公共の展望台がすぐ近くにあり、大きな駐車場もあります。ここも京都一周トレッキングコースの一部なので、そのポストはここです。

将軍塚展望所からの夕日は、ここ(2009年)
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