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玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

癌はとかす

2019-02-28 22:55:03 | 知識
 癌は毒なのは間違いないが、なぜ体は癌を排出できないのか。体内で増殖だ。癌細胞は毎日発生しているが免疫機能で増殖を止めている。なぜ癌は増殖するのだろうか。どのあたりを境にして増殖を止められなくなるのだろうか。癌は断食して排毒できるのだろうか。
 病気の原因は食い過ぎなど内側にあるということがわかったが、癌はどうなのか。

 漢字を見ると癌はヤマイダレに品物が山になっている。山のような品を食べると病気になり、それが癌だ、と漢字を作ったご先祖様が教えてくれている。この品は一品ではないだろう。多種類の品々が山になっていてそれがヤマイダレの屋根の下におさまっている。
 同じような漢字に、痔、がある。こちらはそのものずばりだ。しかし、現代では癌が不治の病と言われている。

 それにしても、なぜ、体の中で増えていくのだろう。免疫系は何をやっているのだろう。免疫系が負けたのか、それとも、わざと負けているのか。

 伊藤先生は、体を生き延びさせるためにわざと癌を作りそこにだけ毒を集めて、正常細胞を毒から守っている、と言われた。排毒が間に合わないので、最後の手段として一日でも生き延びるために毒を集めて隔離しているということだ。
 排毒できなかったものを集めてそこへ集中させて他の健全な細胞を守り生き延びる、というのはどう考えても、先がない。共存できないことはわかっている。癌のほうが増殖の速さが段違いだ。最後は永遠にーーーーーーー

 まず、品物の山から離れることだろう。しかし、断食や少食にできるのか。断食も2日持つかどうかの人がほとんどだろう。排毒するには、入るものを制限しなければならない。
 風邪は4日の断食で直った。長年月の積み重ねでできた癌はできた期間以上の少食を実行する期間が必要になるだろう。
 しかし、病院では抗癌剤を渡される。髪の毛がなくなるほどの強烈な副作用があるらしい。癌細胞を攻撃するには正常細胞を犠牲にしなければならない。

 ものすごいことをやっている。これは治療か。
 もしも直すことができないなら、正常細胞は報われない。

 こういう状態を見てわかることは、癌細胞は攻撃していてはいけない、ということだ。
 正常細胞もみさかいなく攻撃するのだから、これは毒だ。毒をもって毒を制す、のまえに毒にやられそうだ。選んだ毒に制される。
 正常細胞も生きる方法を見つけなければならない。では、どうすれば良いのか。

 癌、という漢字が解決の第一歩をしめしている。
 食欲もなくなって来るだろうからそのまま少食にして癌細胞を徐々にとかして排毒していくしかない。
 穀物菜食の方法は、愛知食養村や宇宙法則研究会の出版物に記述されているはずだ。実際の講習は愛知食養村で伊藤誠先生が指導されているはずだ。
 重病の癌患者も救えるのか、という質問に、伊藤先生は、難しい、と講演で言われた。癌細胞の増殖の速度が、とかす速度より大きくなるからだろう。かといって、手術で取り去っても別のところに出る。体が毒の製造装置になっているとしか思えない。いくら隔離しても後から後から毒がたまっていく。どう見ても体そのもが毒の発生源になっている。

 風邪ぐらいなら、数日排毒して直る。ほぼ、汗で流した。
 癌はあらゆるところから排毒しないと間に合わないだろう。癌細胞の増殖はとても速い。物理的に湿布する方法も穀物菜食では採用している。当然、その場合、少食にして穀物菜食を実行しているだろうが、癌細胞を隔離するほど頑丈な体なら、すこしぐらいのことでは排毒しない。なぜかというと、体がしまっているからだ。それで、丈夫な人ほど排毒が難しく、まず、体をゆるめなければならない。
 ゆるんだやわな人間はすこしずつ排毒できるので癌ができる前に病気になり、そして、食欲が無くなり断食して日頃の排毒より、より多く排毒し病気は直る。
 癌を作れるような丈夫でしまっている人は排毒できないので食欲もそのままで何でも食べて排毒しないかわりに癌を作り癌細胞に毒を押し付けることができる。丈夫な人はゆるみがないので排毒できない。まず、ゆるめることから始めなければならないが丈夫な体も本能も仕事優先になっていてゆるめることを嫌う。誰よりも働く仕事人を自認するぐらいなので、優先順位が本能の順位と大幅に違う。体は排毒できないので毒を集めて隔離するという離れ業を実行し、このような先のない方法を選択したつけは後払いにするしかない。これは成功し、日常は円滑に流れる。排毒しないのだから毒はたまるばかりだ。
 ところが、あるとき突然、癌細胞を押さえることができなくなり自覚症状が出て、とんでもないことをやっていたと本能から突然警告がありーーーーーーーーー

 大食いのものぐさ人間が今回、風邪を引いて、肺が弱いということがわかった。癌というと肺癌だ。
 夏の暑い空気には強いが冬の暖めた空気にはどうしようもなく弱い。少食になって以前よりずっと気分が良いらしいが、肺癌などできないようにしなければならない。
 
 もしも癌になったら新種の癌だ。漢字はヤマイダレに少という字になるかも知れないーーーーーーーーー
   
 ご先祖の見解は品物の山で癌だ。少食で癌はどう見ても矛盾している。

 少食の癌なんて、そんなことはありえない、といえるか。今までさんざん大食いしてきた。玄米大食で、副食は極少量だったが、このつけは今回の風邪で返したのか。

 なぜ、癌は増殖速度がものすごいのか、排毒の収支計算とは別に考える必要がある。癌は薬で、毒にしか見えないがそういうもので攻撃すると正常細胞もやられる。そうではなく、とかす方法にしなければならない。うんざりするほどものすごく気は長い。
 しかし、時間との競争だ。ところが、重病の癌のばあい直すことができないらしい。増殖速度と許された時間の関係。正常な排毒と癌をとかした結果の排毒が合わさったものの排出速度と癌の増殖速度の関係。

 大食いのだれかさん、これからも少食を守りなさいよ。ちょっとはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー理解してくれましたか。省エネ化以外にも効果はいっぱいあります。
 

 









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風邪の原因

2019-02-25 13:52:23 | 知識
 数週間前、風邪を4日間の断食と梅湯でなおした。体の排毒終了で直った。何が毒になったのだろう。腸内で腐るようなものは食べていない。植物性以外口にしたことがない。それなのに、毒を排出しなければならなかった。

 毒を作ったものは、大食いが原因だ。体が処理しきれないほど食べれば毒になるか排出されるかのどちらかだ。排出がまにあわなかった。毎日、徐々に毒となって蓄積していった。そして、体は冬の病原菌やウイルスの活性が腐敗菌など夏に比べ段違いに少ない季節に食欲をなくすため風邪の状態にした、としか思えない。
 風邪の原因は、自分自身にあるので大食いでたまった毒を出せば直る、とわかった。すると、今回は体の本能が一年で最も時間に余裕のある季節を狙って排毒させた、と考えると、もし、夏の季節に時間があれば今度は夏風邪などのようにかかったこともない病気を作り出すかもしれない。食欲がありすぎて困っているから、本能は食欲をなくすためなら最善の方法をとるはずだ。

 保険にものすごいお金を支払っても、くすり、注射、点滴などやったことがない。実費を支払えばこれまでの数百万倍の支出は意味がないが、意味のない支出と思っていてもあきらめよう、何かの役にたっているかもしれない。あ、歯医者様で麻酔を打たれたことがある。今までに3回ぐらいか、忘れている。

 本能は曇っていない。麻酔が大食いの原因か。麻酔などとっくに効力がなくなっている。

 風邪は直せないとウィキペディアには書いてあった。風邪ばかりではないような気もするが、ともかく、お医者様に助けを求める人は、病気の原因が外にあると思っている。確かにウィルスは冬の代名詞みたいになっているが、夏でも季節に関係なくうじゃうじゃいる。毒の蓄積の結果として病気になるから、ウイルスにやられたというのは原因ではなく、もう直るよ、のサインが出る結果だ。原因は人体の内部だ。外部のウイルスが風邪をひきおこすようにみえるのは、結果だ。病院へ行って直ったように見えるのは、直りそうだから風邪になって断食しろ、と体が脳に指示しているからだ。ここで、栄養をつけなければダメよ、といって栄養をつけると症状をこじらせることになる。
 自分自身の毒を出すことが、病気の症状としてあらわれる。断食すれば良い。ところが、栄養をたっぷり取っているはずの人は断食ができないらしい。消耗がはげしいらしい。草食動物で警戒するより百獣の王のようにゆっくり生きたいのかもしれない。

 大食いは最終的に病気の状態で排毒で苦しまなければならない。身から出たさび。

 ここまでわかって、まだ大食いするのかなあ。毒をためないために少食にするんだよ。一度に排出するのが病気だ。排出できなければ永遠のお別れ。毒にやられてはダメだ。簡単な原理だ。
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噛むこと

2019-02-25 01:45:11 | 知識
 大食い防止には何回も何十回も何百回も噛んで噛んでーーーーーーーーー草食動物のように噛んで体力をつけてもらわないと。良く噛めば少食になる。


 噛まないので苦労している。噛まないと大食いになる。どうやったら何回も噛むようになるのか。


 草食動物は草を食べながら外的を警戒している。草食動物とは限らないだろうが、目と耳、鼻をセンサーにして本能を使って生き延びなければならない。
 人間も食事中に情報を仕入れようといろいろなことを考え出す。本能がそういうふうにしむけている。

 何百回も噛めば草食動物と変わらないから、情報の質にはこだわらくても良いのかもしれない。
 草食動物は食事中に本能の機能を維持している。防衛本能だ。人間も本能を維持できるはずだが、何に対するものだろうか。人間は個別の反応はとっくの昔にやめている。安全安心にしている。
 それで、大食いにならないようにするのが難しいのかもしれない。本能が必要ない。

 こうして考えると、本能をよびさますには噛むことだ。噛めばますます本能がさえてくるだろう。人間に必要なのはウイルスや病原菌からの生体の防衛本能だ。脳も本能にもとづかないでよけいなことを考えると体が病気になっても直らないだろう。

 よく噛むことは脳を鍛えることになるかもしれない。筋トレではなく脳トレだ。おっくうがりは筋トレをしないが、噛みながらなら脳トレができるわけだ。

 
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水分を減らしても少食に

2019-02-23 22:07:47 | 知識
 今までは軽い仕事だったが、これから体を使うようになる。まず、畦の草刈り。いくらなんでも水分過多では動けない。車での移動や、トラクターでの耕運など座っている分には問題ないだろうが、これから体を使うようになる。


 水分を胃に入れることで大食いを防止できた。汁を飲まなくなったら元の大食いに逆戻りか。どうしたら良いのだろう。

 体力消耗しても大食いしない方法を考えることになる。
 しかし、ろくに汗をかかない人間にはどうすれば良いのかわからない。本人も少食にすることがどれほど大事なことかわかったので、実際にどうやれば良いのか考えてもらうしかないのだが考えるとも思えない。元の大食いまっしぐらのような気がする。

 いいかげんあきらめて具もいっしょに食べればすぐにお腹いっぱいになると思うが、なんとしても食べない。

 去年、膝のおかげで少食になったときは、ひたすら噛んでいた。だまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーってひたすら噛んでいた。ずいぶん懐かしい。あの頃はすべてに謙虚だったが、今、話ながらの食事になっている。いつ噛んでいるかわからないぐらい噛む回数が減った。大食いの原因はこのへんだろう。

 漫画を見るのが好きなので、漫画を見ながら口は何回も何十回も噛んでもらうようにするかーーーーーーーーとてもすすめられない。

 ひたすら噛むーーーーーーーこれをやらなくなった。草食動物はどれぐらい口を動かしているか、休まないで噛むのが仕事になっているのに人間は仕事を別に作って本来の仕事を怠けている。本末転倒に気がつかない。気がついても体に変調をきたさないかぎり本来の仕事はおざなりだ。

 どうしてこうなるのだろう。
考えれば考えるほど、やることはたくさんある。ところが、できることは限られている。動物は何をしようかなどと考えはしない。本能のまま生きて、生の草や果物を食べている。

 穀物菜食の人間は工業製品の圧力鍋を使用し100℃以上の高温、大気圧以上の高圧で調理した玄米をいただいている。おかげで消化器官の仕事が楽になり噛むことをおろそかにするようになった。これが文明の進歩だというのは噛まないことをそのままにして大食いにつながる。
草食動物の延長でしかないだろうから、あきらめて、草食動物になったつもりで本来の仕事をしなければまた変調をきたす。

 漫画を見ながらの食事は脳にとってものすごい負担になっている。目からの刺激は耳からの音の何十倍もの負担を脳にかけるらしい。では、YouTubeを聞いてもらうか。無料だし。ちょっとうるさいだろうからイヤホーンで聞いてもらうか。情報を仕入れて、ついでに噛むようになるだろう。

 草食動物の噛んでいるときの脳はどのようになっているのだろう。目、耳を使って外敵を警戒しているかもしれない。食事中に目、耳を使うのは当たり前なのかもしれない。 
 すると、現代の穀物菜食の人間が耳を使うのは理にかなっている。情報処理の仕方が少し違うだけだ。そして目は身近な人間の目を見ていれば意思疎通に問題なんて起きない。会話してもたいした内容などないのだから。

 そのうち目を閉じて食事するようになったりして。音楽など。これはこれで問題だ。本能は常時警戒体制になっているかもしれないので。

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味噌汁もちょっと違う

2019-02-21 22:16:32 | 知識
 味噌汁は具だくさんだが、それは鍋の中の話で汁椀によそうときは、ワカメときざみネギしか入れない。残りの具は鍋に残っている。味噌汁は薄味だ。鍋に残った具はたいへん柔らかくなっておいしいのに食べない。お吸い物に少しワカメとネギが入った感じ。
 他の具も食べると満腹になって動きが鈍くなるそうだ。

 うすい味噌汁には野菜の成分がたっぷり溶け込んでいる。こんな味噌汁の食べ方、または飲み方をしている人はいないだろう。

 前にウィキペディアで野菜を煮るときのナトリウムとカリウムの関係を調べた。汁のほうにカリウムが溶け出していくことがわかった。別に調べると戦国時代の徳川家康の味噌汁は大勢で食べるため汁が多く薄味だったのかもしれない、とわかった。そのような結果が出ていたので、鍋の中では具だくさん、盛り付けすると汁ばかりで具はほんの少し、となった。本能に任せて味噌汁を作って飲んでいるわけではない。汁はすぐに無くなるが、具は残る。こちらのほうがグーーーーーんと、うまいのだからたっぷり食べられる。野菜だからと安心しないでほどほどのところでやめておかないと少食にならない。
 それにしても、ワカメは必ず食べている。どうしてだろう。何もないときは、鍋の中も、汁椀の中もワカメだけになる。

 草食動物にワカメを常食にしているものはいるのだろうか。草食動物は草を何回も噛んで噛んでーーーーーーーー頑丈な体を作っている。
 ワカメの大好きな人間は、ワカメとネギを具にして残りの具は汁で飲んでいる。自然食レストランで昼食をとるときなど、果物のジュースはストレート果汁かどうかを確かめている。家では野菜だが煮て汁を飲んでいる。生の野菜をジューサーで汁にしたものは飲まない。とてもまずいそうだ。そんなにまずいかなあ。こんなにうまいものはないといわれてブームになったことがある。

 細かい横ろで材料は完全に同じものだが、食べ方、飲み方が違う。こうみ見てくると、味噌汁は汁でいただいたほう消化系に負担が少なくなるので、優れているように思えてくる。

 ちょっと調べて実行する。しかし、まあ、よくもやるもんだ。ほんのちょっと調べて実行。考えるほうも考えるほうだが、それを具体化して実際に料理を作るのだから、作るほうも作るほうだ。
 退屈しない。おもしろいなあ。
 
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