かなり前ストーブを使っていたころ父がアルミホイールにサツマイモを包んでストーブの上に置いて焼き芋を作っていたらしい
それを食べてから真っ白いごはんを食べたのだろう
年月が進むにつれて社交上の礼儀を欠かさないように気を使い出して焼き芋は作らなくなった
体からガスがでては迷惑だろう
子どもたちも父から離れて独立していった
今はファンヒーターなので焼き芋はできない
ファンヒーターを使うようになっても父は時々ふかし芋を作っていたらしい
自分で食べることはなくてお客さん用だったとしまりやがいっている
しまりやはなぜこのごろ急に焼き芋が大好物になったのだろう
好物といっても時々の楽しみぐらいだった
ウィキペディアで食物繊維について調べると
大腸の機能は食物繊維の存在を前提としたものであり、これの不足は大腸の機能不全につながることになる。
食物繊維あっての大腸らしい
うどんなど麺類には食物繊維は含まれていないのかもしれない
玄米の回数が半分以下になりその分麺類をとっているので大腸が食物繊維を求めているのだろう
野菜嫌いでも大腸が正常に動いていたのは玄米の表面をおおっている食物繊維のおかげだ
玄米の強力な食物繊維が大腸の動きを正常化していた
焼き芋につきものの社交上の礼儀を欠かないようにしなければーーーなどという心配は玄米だけ食べていて全くしたことがない
食物繊維とひとことでいってもサツマイモと玄米にはものすごい差がある
この大きな違いについて誰も気にしない
社交上の礼儀がかかっているのに
玄米食にかたよった人間だけが心配することなのだろうか
そうではないことは昔話を見ればわかる
民話に大きなオナラをする嫁の話がある
昔から大問題だったのではないかと思う
芋を父母がめったに食べなくなったのはこのせいだ
父母は野菜を自分で作ってそれを食べていた
白米には食物繊維がないが野菜の食物繊維はおぎなって充分だった
野菜の食物繊維が大腸を正常にした
母の場合は大腸がおかしかったのではないかと思ったがそうではないらしい
何がおかしかったのだろう
やはり砂糖か
個人的な社交上の礼儀はだいじだ
それを守るために食べたいものも食べなくなったのかもしれない
礼儀ほそれほどだいじなことだ
父は自分の体が心配でその他のことは順位がずっと下になっている
まず病院へ行くことが最優先だ
単なる検査だが本人にとって重要なことだ
自分で自分の検査をすれば良いのにと思うがお医者さんに見てもらうことで安心するのだろう
患者さんには重病をかかえて今が大事で時間との競争をしているかもしれないのに定期的な検査にーーーーーそれも自分で測定できるような検査にお医者様の貴重な時間を取らせて当たり前の気持ちは歯医者様以外にかかったことがない人間にはさっぱりわからない
血圧の検査など自分でできるはずだ自分でやれよーーーといってとりあわない
親子で正反対だ
二週間に一度より毎日の点検のほうが正確さは段違いだろう
素人のやることといっても積み重ねると数値がものをいうようになると思う
父がお医者様を頼るのは体に痛みがあるからだろう
痛みをとった例があるのは手術を除くと薬物で神経麻痺以外は穀物菜食だ
ずいぶん気の長い話だが食べ物で直す以外にない
父はすぐに痛みをとって仕事をしたがしまりやは痛ければやめた
打撲でもピークは二日後で一週間で普通に仕事ができた
長い間の習慣はもう直せない
父は痛くなったら病院だ
お医者様は神経麻痺の注射には慎重になっている
痛みがいつまでも続く
お医者様にはもっと重大な患者さんの治療に時間をとってもらいたいのだが父のことはどのように考えられているのだろう
神経麻痺ではなく根本的な治療をしておけば老後苦しむことはないはずだ
お医者様の時間のなさが原因かもしれない
重大な病気の患者に時間をさけないことがめぐりめぐって老後の患者本人にかえってくる
簡単な検査ぐらい自分でやればどうだろう
お医者様の重要な時間を消耗させないというのは社交上の礼儀としてはないのだろうか
保険料をはらっていても歯医者様以外かかったことがない人間には全く想像できない
血圧 心拍数 体重 体温 献立 鏡を見て目の白いところの毛細血管の状態 唇の色 唇の厚さ 顔色 耳の色 その他ーーーーーーーー
検査項目を父が自分で作るようにすすめてみるか
無理かなあ
神経麻痺の常連だし
母は血圧が高いので検査のたびに血圧を下げる薬をもらって飲んだが最後まで飲んでいた
父もだんだんききめのなくなる薬を注射だ
先々どうするんだろう
目もあてられないすごい話だ
玄米の食事が半分になって大腸が悲鳴を上げている人間のために
ふかし芋
でも作ってみるか
焼き芋はあちこちで売っているから
数日田んぼで稲刈りだ
周りには誰もいない
それを食べてから真っ白いごはんを食べたのだろう
年月が進むにつれて社交上の礼儀を欠かさないように気を使い出して焼き芋は作らなくなった
体からガスがでては迷惑だろう
子どもたちも父から離れて独立していった
今はファンヒーターなので焼き芋はできない
ファンヒーターを使うようになっても父は時々ふかし芋を作っていたらしい
自分で食べることはなくてお客さん用だったとしまりやがいっている
しまりやはなぜこのごろ急に焼き芋が大好物になったのだろう
好物といっても時々の楽しみぐらいだった
ウィキペディアで食物繊維について調べると
大腸の機能は食物繊維の存在を前提としたものであり、これの不足は大腸の機能不全につながることになる。
食物繊維あっての大腸らしい
うどんなど麺類には食物繊維は含まれていないのかもしれない
玄米の回数が半分以下になりその分麺類をとっているので大腸が食物繊維を求めているのだろう
野菜嫌いでも大腸が正常に動いていたのは玄米の表面をおおっている食物繊維のおかげだ
玄米の強力な食物繊維が大腸の動きを正常化していた
焼き芋につきものの社交上の礼儀を欠かないようにしなければーーーなどという心配は玄米だけ食べていて全くしたことがない
食物繊維とひとことでいってもサツマイモと玄米にはものすごい差がある
この大きな違いについて誰も気にしない
社交上の礼儀がかかっているのに
玄米食にかたよった人間だけが心配することなのだろうか
そうではないことは昔話を見ればわかる
民話に大きなオナラをする嫁の話がある
昔から大問題だったのではないかと思う
芋を父母がめったに食べなくなったのはこのせいだ
父母は野菜を自分で作ってそれを食べていた
白米には食物繊維がないが野菜の食物繊維はおぎなって充分だった
野菜の食物繊維が大腸を正常にした
母の場合は大腸がおかしかったのではないかと思ったがそうではないらしい
何がおかしかったのだろう
やはり砂糖か
個人的な社交上の礼儀はだいじだ
それを守るために食べたいものも食べなくなったのかもしれない
礼儀ほそれほどだいじなことだ
父は自分の体が心配でその他のことは順位がずっと下になっている
まず病院へ行くことが最優先だ
単なる検査だが本人にとって重要なことだ
自分で自分の検査をすれば良いのにと思うがお医者さんに見てもらうことで安心するのだろう
患者さんには重病をかかえて今が大事で時間との競争をしているかもしれないのに定期的な検査にーーーーーそれも自分で測定できるような検査にお医者様の貴重な時間を取らせて当たり前の気持ちは歯医者様以外にかかったことがない人間にはさっぱりわからない
血圧の検査など自分でできるはずだ自分でやれよーーーといってとりあわない
親子で正反対だ
二週間に一度より毎日の点検のほうが正確さは段違いだろう
素人のやることといっても積み重ねると数値がものをいうようになると思う
父がお医者様を頼るのは体に痛みがあるからだろう
痛みをとった例があるのは手術を除くと薬物で神経麻痺以外は穀物菜食だ
ずいぶん気の長い話だが食べ物で直す以外にない
父はすぐに痛みをとって仕事をしたがしまりやは痛ければやめた
打撲でもピークは二日後で一週間で普通に仕事ができた
長い間の習慣はもう直せない
父は痛くなったら病院だ
お医者様は神経麻痺の注射には慎重になっている
痛みがいつまでも続く
お医者様にはもっと重大な患者さんの治療に時間をとってもらいたいのだが父のことはどのように考えられているのだろう
神経麻痺ではなく根本的な治療をしておけば老後苦しむことはないはずだ
お医者様の時間のなさが原因かもしれない
重大な病気の患者に時間をさけないことがめぐりめぐって老後の患者本人にかえってくる
簡単な検査ぐらい自分でやればどうだろう
お医者様の重要な時間を消耗させないというのは社交上の礼儀としてはないのだろうか
保険料をはらっていても歯医者様以外かかったことがない人間には全く想像できない
血圧 心拍数 体重 体温 献立 鏡を見て目の白いところの毛細血管の状態 唇の色 唇の厚さ 顔色 耳の色 その他ーーーーーーーー
検査項目を父が自分で作るようにすすめてみるか
無理かなあ
神経麻痺の常連だし
母は血圧が高いので検査のたびに血圧を下げる薬をもらって飲んだが最後まで飲んでいた
父もだんだんききめのなくなる薬を注射だ
先々どうするんだろう
目もあてられないすごい話だ
玄米の食事が半分になって大腸が悲鳴を上げている人間のために
ふかし芋
でも作ってみるか
焼き芋はあちこちで売っているから
数日田んぼで稲刈りだ
周りには誰もいない