速さが2倍になると消耗させるエネルギーは4倍になった。
速さを1/2にすると
(1/2)x(1/2)=1/4
50%減x50%減=25%減
50%の速さのダラダラ仕事では消耗はわずかの25%ですむ。比例するするのだから計算は合っている。
ものぐさ人間は数年前までこの方式だった。それどころかトラクター、田植機、コンバインの運転ではすわったままだ。超低速の機械の運転は見渡す限り誰もいないところで朝早くやろうが夕方遅くなろうが疲労感無しでトラクターの中では音楽、YouTubeだ。速さ=0、で消耗も0。深水で気楽な農作業。数年前までは。
今年は超浅水でも麦後の田は一回も入らなかった。今後、選択二毛作でいく。畦にも麦をまいて畦草刈りも省略する。麦被覆畦だ。農道と排水路斜面は芝の種をまく。田植後の見回りは月に一回ですませる。ちょっと無理か。ドローンを飛ばして家で見る、などどうだろう。
用水機場がちょうど田植時期に週に2日停止するが今後、3日停止でも問題なし。4日となると少し対策を考えないと。
物理の法則を無視して江戸時代にもやってないことをやったので膝がおかしくなった。ダラダラ仕事というわけにはいかなかった。昼間は猛烈な暑さだ。中耕除草はその前にさっさと終わらせないと、と思ったのでほんのちょっと速くやってみた。ちょっとのあいだ、わすれたわけではないので物理の法則は自分には適用されない、と思ってしまった。
穀物菜食でお医者様に行く必要がない、という自信がダラダラ仕事をスイスイスピードアップ仕事に変えた。結果は膝が正座ができなくなるまで行った。
ダラダラ仕事のものぐさ人間は、どうせ座っているのだからついでに弁当もいただくことにする、と作業中の食事を考えはじめた。運動エネルギーが0なら何時間ダラダラ仕事をしても、運動エネルギー=消耗=0、になるといっている。膝はそれでも良いが全身の疲労はどうする。数週間だが、家には寝るだけのようなーーー
江戸時代の奉公人の生活はどういうものだったのだろう。自分の体しかない状態でどういう作業をこなしていたのだろう。労働時間の決まりがあったのだろうか。
現代では他人様を雇うに関して労働時間を守り時間外にはそれなりの賃金を払わなければならない。規定時間内で終了させようとむりをしたり残業などになると、たった25%増加しても
1.25x1.25=1.56
25%増x25%増=56%増
となって疲労は56%も増加するので明日の午前中の仕事の先取り状態だ。明日になれば午後からの仕事が今日の仕事の感じになり残業56%してやっと本日の仕事終わりの感覚だろう。それが25%ですめば体は得したと錯覚するかもしれない。それで次の日は午前中から本当の仕事になり元通りになった感じだろう。これの繰り返し。だがスピードアップや延長すれば消耗が蓄積する。あるとき気がつくと壊れたことがわかる。そうならないように日ごとにチェックするのが正座だ。正座して目をつむれば体のどこがおかしいかすぐにわかるだろう。
正座の標準時間はどのぐらいだろう、その時間より50%減なら足の痛みは25%減になるはずだ、と言っているが好きな時間で痛くなったらさっさとやめないと。
正座チェックをする必要がないように作業するのが一番良い。
しかし、全員で正座すれば即座に、体に不調をもった人が客観的にわかるかもしれない。
ものぐさ人間も少しは時間の感覚を持ってきた。4次元時空間で生きている、などと言っているのだが頭の中でのお話。実際は自分で気楽にできるかどうかが基準だ。
気楽さ/強度(速さの二乗に比例)=ダラダラ度
とすると気楽さを増加させるには
ダラダラ度を増加させるか
強度を減少させる=速さの二乗で減少
なので体を使う場合はほんのちょっと遅くすれば良い。
ありきたりの結論だが、スピードアップして気楽になったような気持ちになるので人力作業は省いたほうが良い。