小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

台風で遅れた入港配達を終えて思った事。

2019年09月10日 | 小笠原 先史時代
■今日は台風15号で船が遅れに遅れて、
通常の2日遅れ、時間もさらに3時間遅れの到着となりました。
先ほどようやく郵便や宅急便の配達が終わりました。
お疲れ様でした♪

沢山の物資を運び、
届けながら、
小笠原の先史時代のカヌーの民の事を考えました。

先日の父島母島ボヤージングの時の風景がオーバーラップします。

外との物流がほとんどなかった小笠羽の石器時代。
島の民はどのように暮らしていたのか。

きっと、
カヌーで魚やクジラを獲り、
陸ではコウモリや海鳥を食べ、
山の山菜を集めていたのではないでしょうか?

そして、島で自給自足をしていた民が、
どうして絶滅したのか?

資源を搾取し続けたのか、
大渇水に襲われたのか、
超巨大な台風に翻弄され、
食べものを失ったのか。

港で大きなコンテナを動かす様を見て、
そんな事に想いを馳せる入港日でした(*^_^*)


■島の憩いの場として親しまれている母島のガジュ下。


朝は釣り人、日中は子連れのお母さんやお年寄り達、
アイスや飲み物休憩する仕事の人、
夕方は仕事上がりのみんな、
夜は若者が集う飲む場。

僕も幾度となくお世話になっています(笑)。

母島を行き交う人の人生を、このガジュマルはずっと見て来ている気がします。

道路にせり出していて、視覚となり実際は危ない部分もあります。
幾度も切られる話が持ち上がりましたが、島民の熱意がそれを阻止してきました。

戦前からあるこのガジュマルが今も母島の中心の憩いの場であることが、
本当に愛おしい限りです♡


■昔は島の土地の境界線と防風林として植えられたタマナ並木。

タマナと言う言葉はどこかポリネシアの響きがあります。
清水良さんが教えてくれたコペペじいいさんがやってきたギルバート諸島にTamanaという名前の島があります。
日本の和名はテリハボクです。

Bonin islandにやって来てテリハボクを見たコペペさんは、
故郷の島に似たものを見つけたのでしょうか?

このしっかりとした皮、島では建材として使われたタマナ。

ロマンが広がります♡