平成27年成立の女性活動推進法は、社会のあらゆる分野での女性の比率を30%との数値目標を挙げているらしいが。現状は目標には程遠いもので先進国中では最低に近いものであるらしい。
女性登用の原点は女性特有の視線と資質を社会の活性化に役立てるためと思うが、その資質と視線が日本を駄目にしているように思えてならない。男尊女卑論者との批判を承知しての論であるが、女性特有の「木を見て森を見ない。いや森を見ないために木に執着する。」言動が却って活性化を阻害しているのではなかろうか。初めて知ったことであるが、フォークランド紛争時、英国のサッチャー首相は「軍事行動の適否を費用の面から考えるべきでない」として戦時内閣のメンバーから財務大臣を除外したそうである。確かに費用を考えれば戦争・軍事行動ほど無駄なものはない。軍事行動によって領土が得られた時代と異なり、現代では膨大な金と兵士の生命を犠牲にして得られるものは目に見えない体面・国威、もしくは救出された僅かな数の国民の生命である。しかしながら、割に合わない軍事力をすべての国が保持している現状、真に必要な1日の軍事行動のために100年兵を養うと喝破した孫子の言、「森を見た」先人の爪の垢を煎じて飲ませたい女性が政治の世界でもてはやされている。小池氏や蓮舫氏等から、将来の国家像、国際紛争に果たすべき責任、国際社会における地歩の構築、等の具体策を聞いた記憶がない。単に、国の存続と国際間における地歩の確保を2義(森を見ないようにするため)として武力放棄の憲法を守ることと些末な加計問題に拘泥することを1義(木に執着)とする近視眼的主張が、国家まで危うくしている気がする。
古人も「女賢しゅうして牛売り損なう」と警告している女性政治家諸氏、国破れて山河在りと嘆じた芭蕉の言、敗戦後にローマから塩を撒かれて不毛の地と化したカルタゴの悲劇、国を求めて1000年以上も放浪したユダヤ民族の怨念を何と感じるのだろうか。