76年前の今日、真珠湾攻撃を劈頭とする大東亜戦争が始まった。
戦争の呼び方も、第二次世界大戦、太平洋戦争、アジア・太平洋戦争といろいろであるが、やはり日本帝国の立場と開戦の意義を尊重して大東亜戦争と呼びたい。各種世論調査等を見ると、10代を中心に、かって日米が総力戦を戦ったことを知らない人もいるそうであるが、開戦記念日の今日ぐらいは大東亜戦争の経緯と意義を再考したいものである。戦争の悲惨さを語る語り部の活動は尊重するものの、国家の存亡と民族の尊厳を賭けて白人大国の横暴に挑んだ80年前の先祖に敬意を捧げるのも必要なことと信じるからである。近年、大東亜戦争は軍部が暴発した世界史に汚点を残す愚挙でアジア諸国から非難されていると評価するのが一般的であるが、インドをはじめとする東アジアの国々にとって、大東亜戦争は植民地支配の軛から解放される契機となった意義深い戦争であったことは見逃されている。現に、戦後独立した東アジア国々の独立指導者・立役者が、一部兵士の蛮行は非難するものの大東亜戦争そのものの意義を否定したことはないと思うからである。
折りしも、スリガオ海に散った戦艦「山城」を含む数艦の存在と艦影が公開された。発見に関わったのがアメリカの大富豪であることに感謝する一方でいささかの違和感をも感じる。帝国の危機に奮戦・散華した英霊と遺物に対し、もう少し日本が配慮・努力すべきではなかろうかと思うものである。