もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

第3次産業の倒産危機に思う

2020年05月07日 | 社会・政治問題

 政府が行動自粛要請を延長したことにより、報道には自営業者の悲痛な叫びで溢れている。

 諸外国からはあまり聞こえてこないように感じるので、素人ながら原因らしきものを考えてみた。現在では産業は1次から6次産業に分類され、1次産業(農・林・漁・鉱業)、2次産業(製造・建設・電気・ガス業)、3次産業(卸・小売・飲食、サービス業)、4次~6次産業(教育・情報・公務員等)にされているようである。総務省統計局2019版で産業別労働者数を比較してみた。表で示せれば見やすいが無料ブログでは困難であるので、主要国の各産業別就労割合を羅列する。(凡例;〇囲み数字は産業分類を示す)
日本-①3%、②25%、③30%、それ以外41%
独 -①1%、②27%、③23%、それ以外49%
米 -①2%、②19%、③26%、それ以外54%
韓国-①5%、②25%、③29%、それ以外42%
となった。何分にも素人の集計であるので全幅の信頼がおけるものではないだろうが、統計から読み取れるのは日本では3次産業の割合が異常に高いことである。このことは統計局の別の資料でも警鐘を込めて触れられているので、傾向としては間違いのないところであると思う。中国コロナ禍では、自治体からの休業補償の遅さから閉店する店舗が出ていると報じられているが、支援対象店舗数が多いことも原因の一つではないだろうか。数少ない外国経験であるが、中華圏以外ではレストランや酒場を見つけるのは結構難しく、日本のように雑居ビル1軒丸ごと飲み屋などはお目にかかったことがなく、レストランでも親子連れの客や子供が走る回ったり泣き叫ぶ場面は目にしたことがない。そんな諸々を考えれば、日本の第3次産業は供給過多の状態ではないだろうか。飲食業に限ったことではないが経済活動は需給のバランスで成り立っているのは承知しているが、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が、3密、オット「集近閉」を避けるため国民に行動様式を変更・見直すことを求めていることや、1か月間に及ぶ外出行動の自粛で、外食しなくても生活できたこと、高い金を払ってフィットネスクラブに行かなくても無料のジョギングで十分なこと、オンライン飲み会でも楽しめることを知ったこと等でコロナ以前の生活に疑問を持った国民も少なからず居るだろうことから、第3次産業がコロナ禍終息前に戻ることは無く列国並みの水準まで低下するのではないだろうかと考える。

 今回の勉強でもう一つ思ったことは、情報産業に代表される4次~6次産業に従事する割合が最低であることである。各種の給付金・支援金が申請なしに支給できないのは、住民基本情報と納税資料が一元化されていない実情をうかがわせるもので、マイナンバー=徴兵制復活とした野党・個人情報優先者とそれによって腰砕けになった政府が、共同して責任を負わなければならないと思うものである。幸いにしてというか不幸にしてと云うべきか、10万円給付金の手続きのためにマイナンバーカードの申請が急増していると報じられている。今回の混乱を利用すると書けば、共産党が表現する火事場泥棒と同じになるが、マイナンバー制度の拡充や9月入学制度を一挙に推進すべきではないだろうか。両制度は時間をかけても相当な反対と混乱を伴うので、有無を言えぬ今を狙って踏み切るのも一策と思う。補正予算で計上された「次の段階としての官民を挙げた経済活動の回復費1兆8482億円」の使途としても 理解されるのではないだろうか。


総理会見と集・近・閉に思う

2020年05月06日 | 与党

 「安倍首相が4日記者会見を開き、全都道府県を対象に5月31日まで、緊急事態宣言を延長すると発表した」

 上に示した文章は総理会見を報じる新聞記事の冒頭であるが、あの会見は記者会見である必要があったのだろうかと思う。記者会見と銘打った以上、どの部分を切り取るかは報道各社の裁量(編集権?)に任されているため、テレビ放映されるのは会見の1部と放送局が取捨した要約であり、全ての発言内容を知るためには翌日の新聞を待つ必要がある。今回のように全国民が何らかの犠牲を求められるような事態にあっては、記者会見よりも直接国民に語り掛ける方が効果としては大きいのではないだろうか、各局の映像を見ても首相の顔の向きはまちまちでカメラに視線を向けた映像は少ない。キューバ危機やイラク戦争時にアメリカ大統領が国民の支持と結束を訴える画像では、視線は常にカメラに向けられており視聴者は自分に語り掛けられていると感じることができる。補足質問が可能である記者会見も必要であろうが、キー局の放送時間を15分間程度借り上げて執務室から1台のカメラを正面から見据えて語り掛ける方が効果は遥かに大きいのではないだろうか。その際、淡々と語り掛けるか熱情的に振舞うかは別にして、人柄と真意は確実に国民に届くと思われる。ヒットラーやケネディーの例を引くまでもなく弁舌で国民を動かした例は数多く、日本でも中野正剛の弁舌は夙に有名である。理論明晰・言語不明瞭と云われた故大平正芳総理はともかく、安倍総理の弁舌は爽やかとお見受けするので、是非に考えて欲しいものである。

 本日掲載された月刊誌の広告でケント・ギルバート氏が「3密?、集・近・閉と言おう」と寄稿しているのを見た。改めて書くまでもなく習(集)近平(閉)への当て擦りであるが、言い得て妙と感じ入った。時としてスポーツ紙の大見出しにはウイット満載でありながら真実を窺える秀句が多いが、集近閉は中国(武漢)ウィルスとともに本質を突いている。小池百合子都知事もカタカナ語多用には辟易させられるものの時宜それぞれにキャッチフレーズを編み出し、制度や行動様式の変化定着に成果を挙げておられるが、政府発信のっキャッチフレーズは少ないように感じられる。政府も官房長官に会見させるよりもの専門報道官の起用を検討すべきではないだろうか。中国外務省報道官の「聞く耳持たぬ」「中国共産党以外は虫けら」態度には怒りを覚えるも、断固とした政府見解の伝達には相応しいようにも思える。


タトゥー文化を考える

2020年05月05日 | 社会・政治問題

 外出自粛の折、パチンコ屋に出向く人へのインタビュー映像で二の腕のタトゥー(刺青・文身)を見た。

 報道関係者は、外出自粛という施策と風潮に従わない人の象徴として、敢てタトゥーをしている人を選んだのかも知れないが、自分でもタトゥーはアンチ社会・アンチ権力の象徴であるように思っているのでタトゥーについて調べてみた。刺青は古来からの風習で、アルプスの氷河から発見された5300年前のアイスマンにも刺青の痕跡があり、日本でも「魏志倭人伝」には「男子皆黥面文身」と記述されているそうである。黥面とは顔に刺青を施すことであり、身分・所属などを示す個体識別の手段とされていたらしく、現在の階級章や肩書付きの名刺のように個体を一瞥できる手段であるように思える。その後刺青は中国や日本では刑罰として使用され、江戸時代には犯罪者の左腕上腕部を一周する1本ないし2本の線の刺青を入れるのが一般的であったが、地域によっては額に段階的に初犯は「一」、再犯者は「ナ」→「大」→「犬」と1画ずつ増やされ、五度目(前科四犯者)は死罪になるという地方もあったそうである。1960年代以降はヒッピーが好んで入れたタトゥーがファッションとして定着したが、これも世間とはチョットずれていると云う自分を目立たせるための個体識別手段・表現であるように思える。しかしながら、孔子が「孝経」で「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」と書いているように刺青ファッションは昔から存在していたものとも思える。映画に描かれた博徒・渡世人は、アンチ世間(社会常識)と刺青を入れる際の痛みに耐える蛮勇を誇示するために刺青を入れたものらしく、刺青を「我慢」と呼んで輪郭線しか入れていない者は痛みに耐えきれない半端者扱いされていたそうである。現在ではメッシやネイマールなどの有名スポーツ選手や安室ちゃんもタトゥーを入れる等、一定の市民権を得ているかのようであるが、日本には「刺青(タトゥー)を反社会的シンボル」と見做す風習・文化が根付いているために、プール・銭湯・サウナには入場お断りの紙が貼られており、海水浴場でもタトゥーを隠すことが求められるために外国人と一悶着があることが報じられたりする。

 今はどうなっているか知らないが、文身(刺青・タトゥー)を入れている者は自衛官に採用されなかったし、タトゥーを入れたボクサーがファンデーションで隠すことを求められたことも記憶に新しい。若気の至りで入れた刺青を隠すために、夏でも長袖を着ている人やハワイ旅行のノリで入れたタトゥーを後悔している人も知っている。刺青を消すためには入れる時の数倍の費用が掛かるともされており、今の日本でも、やはりタトゥーは胡散臭さの象徴であるように感じるが時代遅れなのだろうか。


憲法記念日にコスタリカを学ぶ

2020年05月03日 | 歴史

 憲法記念日を迎えたが、改憲に前向きな自民・維新、護憲を主張する公明・立民・共産・社民との色分けは、中国コロナ禍で緊急条項の創設が急浮上している今も変わらない。

 今年は3密回避のために、各派も集会・街宣・署名等の活動を自粛しているようであるが、憲法9条死守を標榜する団体が理想として掲げる中米コスタリカの現状を勉強した。なお、それぞれの数字の後には相当する県と数字を( )書きしている。コスタリカは面積51,00(九州:59,000)㎢、人口489(福岡県:500)万人であり、一見すると人口密度は低いように感じられるが、国土の背骨部分には4つの山脈と最高峰チリポ山(3901m)があるために人口の約65%が都市に居住しているとされている。2013年のコスタリカのGDPは約496億ドルで愛媛県とほぼ同じ経済規模、一人当たりのGDPは10,528ドルで世界平均とほぼ同じ水準とされる。さて、9条死守派が理想とする軍備であるが、1949年に憲法で常備軍を廃止したが、国家の非常事態には国会議員の3分の2の賛成を得た場合には、大統領に徴兵制の実施及び軍隊の編成の権限を与えており、また、平時にあっても必要に応じて軍を臨時に設置することが認められている。常備軍は持たないものの、有事に徴兵・編成する軍隊では近代戦闘の役に立たないことを熟知しているためか、海上・航空を合わせ合計で14,000(福岡県:10,500)人とされる武装警察という組織を持っているが、国際戦略研究所では、このうち9,000名を準軍事的要員としており、国内にはアメリカ軍が指導する訓練センターも持っている。さらには、公的・私的の民兵組織もあり、隣国のニカラグアはコスタリカの武装警察を含めた体制を「軍」と明言しており、1965年のドミニカ内戦時にはOAS平和維持軍の一員として武装警察を派遣していることから列国と同等の戦闘力を持っているものと観られている。近年は麻薬の集積・中継地なっていることから凶悪事件も多発しており2016年には13,000(福岡:800)件(1万人当たりの発生件数27.6(福岡1.6))件とされている。永世中立については、1983年に永世非武装中立を宣言しているが、現在まで周辺国からの承認が得られない状態が続いている。ちなみに、国際的に永世中立国とみなされるのは、スイス(1818年~)、オーストリア(1955年~)、ラオス(1963年~)、トルクメニスタン (1995年~)の4か国で、宣言に留まっているのはカンボジア、モルドバ、リヒテンシュタイン、コスタリカとされている。

 確かに、常備軍放棄と軍事費の削減によって生じた福祉・教育の充実によってって、コスタリカは一時期「中米の優等生」とも呼ばれてきたが、他の先進国と同様に各種の格差や歪みの拡大に直面しているのも事実であるように感じられる。周辺国が承認・同意しない永世非武装中立が何時まで命脈を保てるのか、麻薬戦争に勝てるのか、中国マネー依存度を高めているが債務漬けにされる日は来ないのかと考えれば、コスタリカは護憲勢力の主張する通り日本が手本とすべき国なのであろうか。


クロオオアブラ蝙蝠を学ぶ

2020年05月02日 | コロナ

 クロオオアブラ蝙蝠の繁殖が札幌で確認されたとの記事を読んだ。

 報道によれば、クロオオアブラ蝙蝠は東アジアやロシア極東部に生息し、翼を広げると25cmにも達するもので、群れを成さないことから国内での報告例も15匹に留まっていた。今回の繁殖確認は、昨年9月に動物写真家が撮影した蝙蝠の死骸がクロオオアブラ蝙蝠の幼体と認定されたことによって繁殖が行われていると結論されたものである。これまで韓国の場当たり的外交を「蝙蝠外交」と散々書いたにも関わらず、蝙蝠についてイソップ寓話「卑怯なコウモリ」しか知らないことに気が付いたのでウィキペディアの記事を拾い読みしたが、蝙蝠は大した奴であることが分かった。以下は概ねウィキペディアの引き写し抜粋であるので、さらに興味のある方は詳細に読み込んで頂きたい。蝙蝠目は南極以外の全大陸・全海洋島にも広く分布する唯一の哺乳類とされている。蝙蝠の系統樹を辿ると、恐竜時代の「飛行する脊椎動物」は翼竜と鳥類が占めていたが、恐竜時代の終結に翼竜は絶滅し、鳥類も現生の鳥類に繋がる新鳥類以外は絶滅した。飛行する脊椎動物という生態系に「空き」ができたため、そこに進出する形で哺乳類から進化し登場したたのが蝙蝠類であるらしい。蝙蝠の直系祖先にあたる動物や、蝙蝠が飛行能力を獲得する進化の過程を示す化石は未だに発見されていない。原始蝙蝠の最古の化石はアメリカ合衆国ワイオミング州の約5200万年前の地層から発見された「オニコニクテリス」であるが、既に飛行が可能になっていたとされている。ココウモリ類は超音波を用いた反響定位を行うことが知られているが、化石の耳の構造から反響定位は持っていなかったことが判明しており、蝙蝠はまず飛行能力を得たのちに、反響定位を行う能力を得たらしい。自分には案に相違の感じであるが、蝙蝠は各種病原菌を持っている蚊を食べることから、古来「益獣(日本では蚊食鳥)」とする以上に人類の祖先とさえ崇める地域もあるそうである。一方、蝙蝠は、中国を含め多くの国で食用とされ、アボリジニのブーメランは食糧たる蝙蝠の反響定位を撹乱して捕獲するために発達したもので、中国では蝙蝠自体は云うに及ばず蝙蝠の糞中の「蚊の目玉」をスープにした四川料理(夜明砂のスープ)が珍味として供されるそうであるので、武漢海鮮市場で生きた蝙蝠が売買されても不思議ではない。

 日本では、夜盲の鳥が活動できない薄暮以降に蝙蝠が活動することから「強者がいない場所でのみ幅を利かせる弱者」の意で、「鳥無き里の蝙蝠」という諺があり、織田信長が四国の長曾我部勢力を「鳥無きの蝙蝠」と罵ったことでも有名である。不明を恥じつつ告白すれば、松尾芭蕉の「行く春や 鳥ナキ魚の 目は涙」と云う発句も蝙蝠を読んだ俳句と理解していたが、ナキは「無き」ではなく「啼き」であること、句意は、行く春と芭蕉の出立(奥の細道行)を鳥や魚も悲しんでいるということであるらしい。ともあれ、蝙蝠はゴキブリとともに、恐竜時代から生き残っている「百獣の王」であることを知ったが、写真を見る限り親しくなりたくない形相である。