旧池貝鉄工所は戦前、紀元2600年と創業50年を記念して「工業報国」の碑を建立しました。
ただその後この碑のあった工場は閉鎖され、池貝も中華資本の傘下に。
そして「工業報国」の碑は川崎国の多摩川沿いの等々力緑地の遊歩道沿いに移されました。
それにしてもこの敷石並みの扱いのこの「展示」法?
この写真は等々力緑地の10年以上前のですが、先人の想いのこめられた碑を折角保存できたのに文字通り踏みにじっていて、川崎国ならやりそうな扱いでした。
ただ最近行ってないので碑のその後、気になるところですがサテどうなったのか?
ただその後この碑のあった工場は閉鎖され、池貝も中華資本の傘下に。
そして「工業報国」の碑は川崎国の多摩川沿いの等々力緑地の遊歩道沿いに移されました。
それにしてもこの敷石並みの扱いのこの「展示」法?
この写真は等々力緑地の10年以上前のですが、先人の想いのこめられた碑を折角保存できたのに文字通り踏みにじっていて、川崎国ならやりそうな扱いでした。
ただ最近行ってないので碑のその後、気になるところですがサテどうなったのか?