花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

2011年札幌雪祭り開催ですね!

2011-02-08 03:25:32 | Weblog


       雪祭りの思い出


昭和40年代のことです。
札幌雪祭りは、ささやかな市民のイベントでした。

北大野学生らが、ちょっとした雪像を並べ、
ほほえましい、市民の祭りでした。

昭和50年前後は、
すでに、国際色が出始めて、
会場の「英語案内のボランティア」などが
チラホラと、目に付いたものです。

子供をベビーバーギー(オリタタミ乳母車)に乗せて
私も、ボランティアの会場英語案内をしました。
五輪の入ったバッチを札幌市が配布してくれて
当時は大切にとってあった物でした。

南ア連邦から仕事で札幌に来ていたイギリス人と
会場を一緒にめぐり、
「雪」の珍しさもあったのでしょうね、、、
ワンダフルを連発していたことが思い出されます。

その後、何十年も雪祭りに行く時間がとれず、
子供らとの、雪祭りは
3回ほどで、人生のモミクチャ時代を
あたふたと、生きるために
雑用に追われて、気が付くと、

孫と雪祭り会場の滑り台を
楽しんでいました。

結婚しない、、、女性。
本が出ましたよね。

結婚前は、社会派で生きてゆこうと、
大学時代は、取れる授業は全て選択し、

夜間授業で「教職」もゲット。

家庭教師も自分の語学のチャンスとばかり
高校生の英語、数学、科学を受け持って、
友人と共同でがんばった。

3年経ったら
東京に必ず帰るから、、、
母に誓った彼の言葉を信じて

つかの間の北海道を満喫するつもりで、
結婚生活は
厳寒の留萌の
断崖絶壁の、

取り壊し寸前の寮生活から始まった。

疎開中暖かな南紀で生まれ、
小学校から大学まで、東京で育ち、
北海道の留萌の冬にやってきたのだから、

雪祭りどころではないのです。

買い物のつかの間に、
吹雪になるという山の天候と
ヒューヒューと
もがり笛が耳元で叫び狂う日本海の冬が

いきなり、
回り舞台のようにやってきた結婚でした。

甘かった!
北海道の冬が、これほど大変だとは!、、、

しかも、、、
学閥があることさえ
甘く思っていた。

買い物の帰りに
雪に埋まってしまった玄関に締め出され、
不覚にも、、、家に入れなかったことがあった。。

3年で東京に帰るはずが、
いつしか気が付くと
長男は40歳になっていた。

子育ての後、
うれしいことに、
次々と孫が生まれ、

孫の可愛さにモミクチャになっているうちに
とっくに60歳を過ぎていた。

子育て期間のことも
思い出せない忙しさでした。
雪掻きの日々、


いつしか、孫の大好きな
クワガタの幼虫や、亀さんのように
我が家を取り巻く雪は

クワガタの幼虫の像のようです。

雪祭りの会場を
孫を見失わないように、
キョロキョロ探して歩くとき、

巨大な雪の像が
私自身を観光客の一人に
変えてしまうのです。

気が付くと、孫はいません!

会場を走り回ってやっと見つけました。

木立の中に積み上げられた
雪の山の上で
雪にまみれた雪だるまになって
遊んでいるのです。

子供たちのために、その場で雪像をつくれるように
「砂場」のような「雪置き場」を
安全なサークルの中に設けたら、

きっと、迷子になった子供たちの
親を待つ間の
不安は少なくなるかもしれませんね。
不安な時間を遊べるオアシスに
なるかもしれませんね。

子育てと、
孫バカで終わってしまいそうな一生でしたが、

箱根駅伝のように、
札幌に住んで40年の月日を
孫に「バトンを渡して」くれるのは、

ぐんぐん国際色豊かに成長する
地球環境かもしれないと思いながら、

世界が一枚岩になって
共感し、協力し、
地球が一つになって、
子供を育めば

「平和な未来が約束されること」
共通の目的が出来たらいいですね。

一番の「子育て支援」になると
ふと、、、思いながら、、、

雪祭りを
国境を越えたイベントに
育てた影には
自衛隊の皆さんの
並々ならない働きがあると思ったりしながら、、、感謝!

長生きはいいですね!
いろんなものが観れて!