花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

日食とスカイツリー開幕と日の丸と

2012-05-23 05:55:02 | Weblog
ここのところ、38歳にして、、、
まだちょんがーの二男のことが気になって
5月の空をひとっとびして

やってきました、、、東京に。
夏に向かって、寝具の取り換え
クールビズとセーターやオーバコートの交換。

カーテンもマットも
丸洗い、、、

日食のこの記念の日
母と父の生まれた月日。
生粋の東京っこだった父。
和歌山の小さな町の町長さんをしていた祖父。
若き日は青山師範を卒業し校長先生だったとか。

28歳で夭逝した母も先生だったとか、、、。
こんな二人の間に生まれた母。

母の日のカーネンションは
あげることなく大人になった。

新宮女学校では
佐藤春夫さんの妹さんと同級でした。

素晴らしい感性のお兄さんが
佐藤春夫さんだった。

母も東京の音楽大学に通い、
東京都の女学校の音楽の先生をしながら

演奏活動で全国をマワッタソウデス。

当時は、音楽大学の生徒は
交通費が免除になり
演奏を待ってくれる人々の
歓迎を受けたそうです。

ショートカットに
編み上げブーツ!

テニスが大好きで
ベビー帽子のようなハットをかぶり
バッチり両足の出ている水着の写真も
大学時代のアルバムにあるからびっくりです。

美智子妃殿下だったお若いころ
ねむの木の子守歌というのを
よく聞きました。

髭のコンダクターの
山本直純さんのお母様と
大学時代は同室だったため
母は、この素晴らしい友人との思い出を
しばしば話してくれました。

ある日、TVに、母は山本直純さんと出演していました。
柔和な柳生さんの司会するクイズ番組でした。

直純さんの赤ちゃんの頃のお話を
本人に話す母の言葉の中に

「芸大の教授と結婚されたお母様は、
直純さんをあちこちへ、と、お日様の動きに合わせて
運んでいらしたわよ。」

直純さんも母にとても親しみのある笑顔で接してくださり、
母の大胆な、発言に、TVを見ている私まで
真っ赤になるのでした。

愉快な、トーク
親しみのある笑顔
山本直純さんの出演するラジオは、
いつも聞いていました。

このような、モダンばあちゃんの母が
ハレー彗星に夢中でした。

明治生まれの母が100年前に
私に教えてくれたことは。

空を見上げ
宇宙に興味を持って
小さな生き物の人間が生きている不思議に
感謝することでした。

日食も、子供にも、大人にも
人間の力の及ばない不思議を
見せてくれました。

老いも、若きも、同じことに夢中になれる
素晴らしい日でした