野口英世さんが、黄熱病の研究に「アフリカ」に行ったことが
小学校に入学する前から、偉人伝などの童話で教えられた。
シュバイツアー博士と混乱しながら、
幼い私の心には、世界の広さを感じていた。
小泉さんが、バッタバッタと会社をナクシナガラ?
何か、大変な通信革命の結果が、世の中を変えるのかな?と、
日本の維新の再来かと、見えない次元の黒船におびえた。
おりから。民主党政権に移り、
北海道は地元住民が天下を取っていたような勢いであった。
苦労人もクグツの苦悩も体験していないかのような
理想が飛び交い、権力を駆使し、
40歳前後でやっと人並みの社会人の扱いを受けた
「無給医」がまかり通る時代の夫は、
お金の無い研究生活中で、
博士研究のために、時々、アルバイトに行っては
3ヶ月に一度、15万円もらってきていた。
家計として、私は、自分でアルバイトして
何とか、長男を育てていた。
寂しく、苦しく、孤独で、試される時代でした。
近くの教会に通うようになり、
イギリスから来ていた牧師さんの、下で
牧師になる修行に来日していたSサンが、
南アフリカ出身で、数年間親しくしていただき
南アフリカのジャカランタの花の咲く
季節を迎えたのでした、 つづく