花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

梅雨がなかった北海道なのに、、、

2018-07-02 01:28:37 | Weblog

 

ここのところ、札幌は湿気の多い梅雨の季節が続いています、

ストーブはたかなくなりましたので、洗濯物が乾きません。

苦肉の策で、天井から30センチのところに

碁盤の目のように、透明のビニールを張り巡らして

洗濯物を、平面に並べて、フアンをかけっぱなしにして、

除湿をしながら、何とか平常の気温感覚で過ごしています。

日曜日も、外出したい気分にならない7月のお天気に、閉口していますが

サッカーの中継や、アクティブに動く若者の野球を観戦しながら

若さを、気力を保てていますが、

お天気が気ままなので、

空の上で、人工衛星が、

お天気をつくれる時代になったのかもしれないと

フト、、、思いたくなるほど、人工知能に誘導される時代になりました。

TVは深夜が面白いし、

世界が舞台の番組では

背景の方が面白いし、

雨の日は部屋の中で、英語で書かれた仏教の本をめくりながら、

70歳過ぎても

いっこうに、、、熟成しない未熟のままの自分に

漢字で書かれた仏陀の言葉は、ズシーンと重すぎて、

英文の方が映画を見ているように

客席で、感動しながら、受け止められてゆく。

真夜中に、NHKの番組で

ミャンマーの獄中生活のあと女医になって

反政府側の囚人が解き放たれた後の

孤高の人生観の放送を見ていた、

仏陀の教えの瞑想のおかげで、

拘束された中での自由な自立の日々を

読書を通して実現したらしく

若き女医の自立した答弁に、

圧倒されてしまった。

70歳を超えた自分は、

聖書もページが外れるほど繰り返し読んでいるし、

カオリックも、新約聖書も、サンダースも、仏陀も、

小説のような気持ちで、リクライニングの椅子の

睡眠導入になってしまっている。

知識としては、十戒も般若心経も、、、そらんじていえるが

意味は解っていないし、

大学で薬学を学ぶ傍ら教職の中学高校の単位を取得するとき

倫理も、哲学も心理学も世もふけった。

提出したレポートには

ドフトエフスキーの「罪と罰」についての

読書感想のレベルのことを書いて提出した記憶がある。

しかし、ミャンマーの政治犯なのだろうか?

刑期を終えてから女医になって、特殊な患者さんの為に

無料診療を続けている彼女に答弁をTVで見ながら

私より、100歳ほど年上の

熟してゆく仙人志願の孤高の人のように思えていた、

一人で生まれ、一人で死んでゆく人間は

つかの間の時間の人生という空間で

あるのかないのか?

自分探しをする人や、

一秒に地球七周り半する速さのごとく

頭の中で宇宙を飛び回る人もいる

人間は万物の霊長と信じて、人間主体の思考をめぐらし

行き着くところは「欲」と「権力」「お金」「自己顕示」の迷走世界にさまよったり、、、

自然から学ぶことが多いはずなのに、、、破壊して、、、呼吸をしないゾーンをつくる。

科学の呼吸と電磁波の血管で、血液の代わりに情報を流してゆく。

自然や宇宙の視点から見ると、地球という小さな星のうぬぼれた生き物の

人間群が、、、もしかしたら「がん細胞」に見えるかもしれませんね。

女性は強くなった?

女性は母性を退化させた?

神の思し召しの通り

餌に選ばれたものは、信仰をまっとうできるだろうか?

餌を食べる側の人になれたものが、リーダーになってゆくという通例。

この、、、複雑に見えて、簡単な、「自立」という一言が

彼女の国では、、、時代に早すぎた聡明さなのだろううか?

スーチンさんとも、買って行動を共にしたという女医さんの

孤高なまでの「自立」への道が

仏陀によって導かれたという。

日本にも「寺は多い」

父の実家のあった市ヶ谷や四谷あたりは寺だらけな地域である。

実家のお寺は真言仏教の、歴史の古いお寺であり、

境内には弘法大師の旅姿の托鉢していらっしゃるような像がある。

日本は、仏教がいっぱいの国であると気が付くが、、、

ソクラテスやプラトンと混同するような

哲学としてとらえている学生が結構多いと思う。

そして、、、私のように、単振動の文系の科目のとらえ方の物は

神様から、入門を待ったがかけられたように

科学で解決しようと理工学部の思考に活路を見出してゆく。

VM21のパソコンは60万円もした。

アップル社の「どでかいフロッピー」のゲームを

息子たちは指先で操作しながら

頭でっかちな近代人に同化していった。

医学部の一年生の夏休みに

母子のひと時を過ごしたくて、

白山の登山口で待ち合わせた。

ぺちゃんこのナップザックを肩にかけたむすこが

真夏の空に雪帽子をかぶった白山を眺め、、、私に言った、

「母さん、、、正気なのか・。?。。。

頂上は雪があるじゃないか?、、、本気で登る気なのか?

、、、降りて来なきゃならないんだぞ!!、、、

僕は降りる!登る前に、、、降りた、、

母さん、、、金沢に出ようよ、兼六園でゆったり過ごそうよ、、、

てっぺん観ているだけで、、、僕は満腹だ!、、、兼六園の松の前で明日待ってる!」

貴重な束の間の夏休みに、一生分の母と息子の絆を結ぼうと計画した登山も

登山口で別れた、

日大の学生時代の恩師と当時助手さんだった先生が

金沢大学の先生たちと、

国際学会のあとの企画としての登山だけに

Everest登頂成功の先生が登山設計をされた馬の背コースの

手ごたえのある計画だっただけに、

私は北海道から、参加した。

この山は。韓国の人たちにとっても、信仰の深い山で

国際親善にも、大きな役割を果たしている山であった。

信仰、、、山信仰、、、という心もある。

私は白山登山を終えて、金沢に出て、兼六園で息子と再会した。

「忍者屋敷、人形の館、、、、武家屋敷の通り、、、面白かったよ。」

夢中で話す息子と、輪島に向かった。

海岸沿いのバスを乗り継いで

能登半島の旅をしながら、

まさに、、、解りやすい今どきの大学生の息子のバス中寝顔は

宗教も、自立も、哲学からも程遠い

まっさらの「学生という新人類」の感があった。

あれから二五年近く過ぎたとは、、、とても思えない、

我が道を黙々とマイペースで歩いて行った、、、あの時の息子は

いま、静岡の基幹病院でERのオンコールの責任者として

救急患者さんの生死の境の診療を担当しながら

43歳になったいま、

そろそろ結婚を真剣に考えなくては、、、孫子に会えないまま人生はゴールしてしまう。

医師、次男、音楽、絵画、柔道、人並みに常識も豊富。文を書くのは秀逸の才能もある。

しかし、、、ペーパードライバーである。

救急患者担当の責任ある医師となってからは、

真夜中の出勤や、疲労困憊していても出勤がある若き日が続き、

車の運転は、危険が伴うというので、タクシーに切り替えたという。

タクシーだと、束の間の居眠り時間を購入できるので

激務もこなせているという。

デートでマイカーに彼女を誘う事すらなく、、、恋はむつかしい医療業務の中で

仕事が充実しているだけに

大人になり切れない若者の頭脳のまま

43歳のシングルの息子の将来が案じられてくるから、

母親というのは、仏門には程遠い信仰心である。

真夜中のミャンマーの、自立した女医さんの

たしかな人生観を拝聴しながら、

一見平和な日本の社会の中で、

世界の国々との相関関係の惑星のように

絶妙な経済引力、技術引力、文化引力、、、などなどの、、

数々の思想や哲学という放射能の中で、

人工知能がバランスをとりながら

惑星のように

移動しながら、

時間が場所によって速さが変わる地球上で、

間違いなく年を取ってゆく自分の「自立を手探りしてしまう番組」であった。