花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

民放でのスペシャルな料理

2019-01-27 06:38:10 | Weblog
びっくりしました。

民放で、スペシャルなお料理が紹介されて

タレントが、そのお料理を

畏れ多いことながら

お茶の間の私たちの前で

おいしそうに、表用もイナセントに

ほっぺたが

落っこちそうになりながらの、、、御顔でいただけるなんて、、

あまりのおいしさに、「いつ死んでもよい~~~!」と

感激で、本音だったような?演技?

いずれにしても、茶の間には味は伝わりませんが

豪華というよりは、世界の珍品のような高価な材料を

ふんだんに使って、味の合奏曲のような

TVの画面からは、、、今回ばかりは

耳で聴くような、味のイメージを

想像して、曲を聴くように画面を観ていました。

エリザベス女王様が

日本をご訪問されたときの、御美しさも

素晴らしい曲のようでした、

こうした両殿下の外交を

側面から、音楽のように支えているお方の

にこやかな中にも、本当の師匠のお顔が

国民に紹介されて、今更ながら

一時代を支えた方々のオーラーというものを

お茶の間に居て感じました。

平成の時代に国民とともにいらっやた皇室の事が

感謝で、多くの立ち上がる力をいただきました、



両殿下が、国民とともに生きてくださった偉大さを感じました。

昭和天皇陛下と、

平成の両殿下のなさった外交が

戦後の日本の復活の

大きなご公務であったと思いました、

普通の人が、

晩さん会で、

あのような

やんごとない雰囲気で

素晴らしい食事を目にしたら、

空気にさざ波を立ててしまうでしょうね。


外交に、日本の国民も全力で臨んでいたと、

感じることが出来たのは、

「女王様のお好きなものを、、、あらかじめ、、、知っておいた!」

そして、、、

「お肉は鳥をご用意されたという事、、、」

おもてなしの心が伝わってきました。

おもてなしとは、、、国民とともに全力でするものだと知りました。



又、儀式に使う建物の構築と分解は

伊勢神宮の20年ごとの遷宮のように

日本の宮大工や、

日本の千年来の文化のある建造物の保存技術が

儀式の為だけに使われている金銭ではないことも

伝わってきました。

料理を作る技術の保存、

特殊な建物をつくれる腕前そのものの保存は

その腕を持つ職人さんたちが日本に居るという

誇りでもあり、、、多くの観光客が来日する中に

外国のしかるべき大学などの研究者が

日本の歴史的に保存されてきた宮大工の建築に

ため息を漏らしているという実力はYVの画面にもしばしばみられるが

一朝一夕にはできないし、

観光客の中に交じっている外国の建築課などに

多大な影響と啓蒙する哲学の次元の

日本独特の空気を感じさせているようですね!

使われる金額の意味するものは、

伝承と保存、若き時代への技術の現場の解体による指導は

ビデオや見たままでは伝えられない現場実習を兼ねると

私は考えた。

生け花で枝を曲げてゆくとき

ヴィデオ授業では単に曲げてゆくように見えるが、

実際は、手元でねじるように力を入れながら、枝を曲げてゆく。

生け花用語では「枝をためる」という人もいる。

ねじるように力を入れるところは画面には映せない。

きっと、出来上がった者を解体するときは

医学部の「解剖学のように魂の教えがあるはずだと、、、」

私は信じる。

息子が学部の一年生の解剖学の授業が月単位で続いたとき

私は、息子の隣の部屋に、解剖学の授業が終わるまで

月をまたいで泊りに行った。

早朝から、夜まで人体解剖と、その日のレポートを

まるで図鑑のように整理して

夜になってくたくたに疲れて帰る息子に

食事をつくりながら、

実に、、、食事をしながら

解剖学の為の献体をしてくださった女性の声が聞こえるようだと、、、
「しっかり、私の体で、学びなさい、無駄にしないようにね!」

時には優しく、時には厳しく、声が聞こえるようだというのです、

名前も、身分も、此処に献体された理由も

授業が完了するまでは言ってはくれませんが、

僕は、、、その方の為に「まるまるさん」とママ絵をつけて

教室に入ると
「○○さんおはようございます。今日も、よろしく教えてください。」と

深々と頭を下げて、感謝して、授業を受けているんだ、、、」とつぶやいた。

解剖学の終わったときだったと記憶しているが、

学校側から、ご献体により、授業を身をもってしてくださった方の
名前が発表されました、

その時の名前が、息子が、毎朝呼んでいた名前☜同じだったことに

科学を超えた世界があることに、びっくりを超えて、

神妙になったことを覚えています。

日本は島国で、鎖国が有ったし、孤立したそんらくも多い。

狭い国土で、日本人の血は、優性遺伝が繰り返されたと仮定すれば、

動物的な感覚で、空気と話せる瞬間があっても不思議ではありません。

島国で、太古からの歴史を紐解くと、

韓国も中国も日本人の中にしっかりと存在しているから、

本来なら、親戚づきあいしているほど、

理解できているといいのにと、、、思いませんか?

日本の文化が、古くは中国や韓国から来ていることは

旅をすれば、肌で感じるところです。

唐招提寺は西安を旅したとき

そっくりな建物が

塀の上にありました。

貴重な大陸からの歴史のある建造物が

解体によって、釘を使わないで木組みしてゆく柱の木材や

カットの切片を直に手で触れて、

木目の走り方や、摩擦のある面や、無い面の木目の走り方まで

手で触れられるわけですから

解体は、建造して行く技術の基本のすべてを視れる貴重な

短期間の集中授業だと、茶の間のレベルでは

かかる金額から、ロンダリングしてゆくミクロの技術の先端まで

想像しながら、聞いていました。

演説の上手さが、一人の絵描きを独裁者にしてゆく破壊の道もあれば

無口な宮大工さんたちが、黙々と、歴史を守ってきた文化もある。

口先で、お茶も名を支配するTVのキャスターの中では
私は、、、あのタカラジェンヌの美人さんが素敵だと思います。

結構、、、おっしゃるときは言う女性ですが

考えていることが、私的感情がほとんどなくて、

さすが、、、宝塚で鍛えられた美しさはレベルが高いと思って

表情や自然体のおしゃれの中でも、垢ぬけた品があるので

TVを目で楽しみながら、聞いています、

もう一つの、面長の男性の番組は、、、

いろいろな出来事を、言いたい放題で、、、

あまり影響されないで

なるほどね~~~そういう見方もあるんだな~、、、ぐらいに

半信半疑で観ています。

丸顔の男性の番組は

スタンダードな取材で、スタンダードな見解で

一応、そうなんだ、、、?と

多少は影響を受けています。

、、、、、なんの話をしているのか?

自分で自分がわからない、、、眠くなってきました。


話をやんごとなき次元の伝承に戻したいと思いますが、

技術取得の次の世代への伝承は

日本が日本である、

他国の真似のできない文化が今もあるという事が

国民とともに、

富士山のように、

費用は裾野や

さらに地面の土台にまでロンダリングされて

若き後継者が、

国民の目の届かない儀式の中で

伝承されていたことが想像されました。


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NHKに「美の壺」という番組があって

したたかに面白いのですが、、、

一般には人気があるのかどうかはわかりませんが、

こうしたジャンルの努力を続けている人たちが

スマホで、指先で生きる時代にも

確実に、精神と、肉体と、心と、伝統技を

修行と等しい次元で維持し続けている日本の技には

どこかから、

費用を回してゆかねば

保存することは、

今後難しい時代が来ると思いませんか?

私は、、、

良い時代に生きてゆくことが出来ました。


人間が人間である地球上で

昭和陛下は「あら人神」でいらっした。


黒船が現れ、

日本がパニックにならずに、

一握りの冷静な人間が

鎖国から武士の時代が日本だと信じて

世界を見れない生きる場所のない人を

武士の誇りとともに

西郷さんが、

苦しみの終わる世界に

笛を吹きながら、連れて行った、、、

歴史が

平成の大河ドラマの鈴木さんだったね。

あの俳優さんは、垢ぬけた西郷さんを演じましたよね。

本当の西郷さんは、どんなおひとだったのでしょうかね?


そして明治陛下の時代になり、

日本が生き残るための

守るも攻めるも、、、

世界の戦争の渦の中に巻き込まれていった。

大正時代は、

世界の大きさと、脅威を理解できる

外国との国交が多くなり

日本が国を守るためには

イギリスの植民地政策の

植民地にならないで済むような

強い国にならねば、、、

鎖国の300年間で築き上げた

世界のどこもまねのできない文化の伝承が

世界から消えてしまう損害は

日本の一国の損害だけでは済まない影響が

ヨーロッパ全体にも広がっていた。

ガラス芸術のあの模様は日本がオリジナルであったり

セレブがヨーロッパで買ってくる白磁の瀬戸物人形は

日本の江戸時代の焼き物が影響したことは

確かなことですよね。

私は、母から

「バイ二ング婦人」の果たされた

大きな国交と

皇室に果たされた役割を

ため息交じりに

「素晴らしい女性」と

聴きながら育った時代に生まれています。


クラシック音楽の音符のない時代に

生まれた母ですが、

近衛さんの音楽活動や、

アメリカに行っていた父から

ドイツ製のピアノを買ってもらい

国立音楽大学の一期生として

クラシックの世界に進学しました。

テェックの模様のハンチングに似た帽子をかぶり

テニスに夢中の母の

黄ばんだ写真は、弟が、大切にしています。

母は、新しい文化の先端をキャッチして

感性で生きるモダンなところがありました。

山本直純さんのお母様になった女性と

同室親友でした。

大学祭で、二人の女性は髷を結って共演している写真が

懐かしく残っています。

晩年、大きいことは良いことだ!!!、、、と

コマシャルデ人気者だった直純さんの番組に

母は一般からのゲストで出演していたことが

懐かしい思い出です。

北海道に嫁いでからは、里帰りはほとんどできなかった時代でした。

飛行機の往復が、10万円近い交通費の時代でした。

柳生さんの番組にも、母は出演していました。

50歳近くまで大学や、関連病院のアルバイトだった主人は

金銭的にも、時間的にも、

育った戦後の生活ぶりにも

貧乏な時代の、心のブラックホールを抱えて、

生き抜くための頑張りで、

ビジョンをもって人生を生きるという

根っこにアイデンチティは無くて、

大学の都合のままに

言われたポジションに全力投球をするという

マカロニウエスタンのような、

ひたすら忙しく、手術と闘っている

死ぬか生きる科の毎日しか考えていない

家庭の周りの見えない塀の向こう側で

週末だけ帰ってきていました。

その点、、、芸術を志した母は

自分で書いたシナリオを、歩こうとする

自分のある女性でした。

我がままというのではありませんが、

誰も、母の生き方に干渉することはできませんでした。」

そのくせ、、、娘が自分の意見を持つことを嫌いました。

自分好みの、お人形のような、女性らしい

自分のアクセサリーになるような娘を

演出してゆく監督のような母でした。


母は鎖国でとり残された世界からの国交を

音楽で、

国境を越えた文化交流が出来ると思ったそうです。


日本は徳川時代に

武士の時代が、300年間の鎖国という特殊な文化を創った。

文化面や、芸術面でも独自の表現が産まれた時代ですよね。

世界との共存共栄の文化から大きく孤立していた。


しかし、皇室が存続していたことは

日本という国に文化が伝来した遣唐使からの、、、

さらに、、、その昔からの文化や芸術が保存継承されてきていた。

いつの世にも天皇陛下は時代とともにいらっしゃった、

嵯峨天皇様と、弘法大師の並んだ肖像画を

京都のお寺で拝観できた時は

時代は文化交流しながら、多方面の影響を受けながら

伝承されてゆくことに

思いが活き

歴史の本が好きになり、

合わせて、、、三国志や、中国や、シルクロードに

そしてジンギスカンの時代にまで

興味が湧いてくるのでした。

世界が向こうから近づいてくるのは止められません。

維新という時代の変遷に

国民が散切り頭になって、

明治について行けたのも

人が創った徳川300年の鎖国という島から

陛下の長きにわたる歴史とともにあり続けた皇室だから

あたらしい世の中に代われたと、歴史が語っています。

つまり、、、、見えない、、、姿のない支配者が

世界の中に、日本を同化させてはならないという

独特の価値を見出してくれたのではないだろうか?

モーゼの十戒が、容を変えた坊さんや神様になって

日本は未意識に守っていた国ではなかたのだろうか?

世界は皇室の在り方を、

見たことも無い紳士のように

神々しいほどの、植民地にしてはならない本質の品の輝きに

独自の継承を認めていたのではなかったのかと?

茶の間の

75歳のおばあちゃんは、

世間も、世界も、世論も無関係な

貝の中の世界の居間で

自分の世界の歴史を創ってしまっています。


しかし、、、現実は、、、眼が点になりました。

世界の情勢に引きずられていた時代の最後に

世界のリーダーは「原子爆弾を使いました。」


「人間は人間でない、、、元素であると、、、言わんばかりの破壊だった。」


戦争はなぜ起きたのかもわからない、、、

理解できない私ですが、、、

人間も動物も、

原子爆弾で元素に変えてはルール違反だとおもいませんか?

私も、若者も、孫子も、

原子爆弾を使う権利は存在しないと思います。

神の領域の事だというのなら、

神は、、、私は人間であるという方を正義とするだろう。


原子爆弾には神も仏もありません。

「耐えがたきを耐え、、、忍び難きを忍び、、、」

終戦の宣言をされた昭和天皇

日本国民が皆、地面にひれ伏し、泣きました。

武士道が300年も続いた日本は

命の限り、

勝負を投げ出すことのない教育で育ってきました、


原子爆弾は、勝負のルールになりません。


作戦や、武器の工夫や、

肉体の訓練や、

国を守る若者の意識も、

無関係な次元で、

キノコ雲に飲み込ませてしまう、、、

敗戦とは言えない終戦は、

世界中の終戦宣言に、、、成るはずの出来事でした。

北方領土の永遠の問題点だと思うのです。

ソビエト連邦が変身してしまいました。

世界大戦の終戦間際に

勝敗がつかない原子爆弾というタブーを使ったことは

あの戦争には勝敗の次元を超えた

神様の、、、神様というしか表現できない

人知を超えた、平和のための戒めが必要な出来事でした。

戦いの終わりのキノコ雲が、悪魔のように思えました。

キノコ雲の時代が来てはいけないのです。

日本は、神の国でした。

原子爆弾が神の領域にもない

「地獄の化け物であることは確かです。

一瞬にして「破壊分解」、、、こんなことを

みずみずしく美しく芳醇な地球から追い出さないと

女性は子供をどこで育てればいいのですか?

あら人神の時代から、

原子爆弾の現れた昭和時代には

昭和天皇陛下は、

御簾の内側から国民の中に来られました。

「人間宣言をなさり、国民とともに、歴史を保存されました、」

世界の産業革命の巨人の襲来

はやりのゲーム漫画の世界のように

塀の中の安全区域だと思っていた鎖国の時代、、、。

産業革命と黒船と、植民地の時代に

チャーチル、、、ムソリーニ、

スターリン、、、、最も眼が点になったドイツの独裁者の時代。

戦争は避けられなかった時代の移り変わり、

身分や人種差別や、イデオロギーが

哲学を踏んづけて通過してゆく時代に、

人々は学んでいった。

無学は怖い。

貧乏な心が怖い。

支配しようとする独裁のここrが怖い。

平和とは、、、地球丸ごとを尊重して、地球を壊さないところから

スタートラインは、そこからだと、、、

公害に思い知っただろう。

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現実の今日。

VM21を使って、医療機械の世界の薬剤管理をしていた時代

血液製剤や医療機械の日進月歩の発展が

日本の開業医を医療機械の面でも

置き去りにしてゆき、

大病院時代に突入していった、

医局は山崎豊子や、大門に良いだけ揶揄されながらも

医師でなければ理解できない部分を頑固なまでに

かたくなに医師を続けるという

努力が出来る者が生き残ってきたが、

これからの日本の医療は、、、どうなるのだろうか?

母の時代には

セレブだったかもしれない

医師の家庭



次の時代に

社会に送る我が子を

医師にするのも難しいサラリーマンとなった。

お金持ちの自営業からのお嬢様が

女医になる時代が来るだろう。

医療界は「医は仁術」から「チーム医療」に変わっていった。

これからは、外科医は姿形のイメージが変わるだろうね。

「メスよ、輝け!」

手術のイメージトレーニングの研ぎ澄まされたダンシングオールナイトは

ダヴィンチが、になってゆき、

外科医は、何か!?見ながら座って操作しているような

不思議な変化をするだろうね、、、きっと。

外科医のカッコよさは華がありました。

懐かしい歴史として、残るのでしょうか?

天皇陛下のお出になるTV番組は、出来るだけ拝観しています。

日本人であるという、歴史の継続の中で生きている限り

人間が人間であり、森羅万象地球そのもの

日出る国のみずみずしい宇宙館の中で

生きてる限り、生まれてきたことを感謝したいから

光あれ、、、光あれ、、、

ゲーテも、光あれ、、、と言ったとか、?

皇室が歴史とともに、日本そのものであったのは

いつの世も、国民とともに光を守られた。

人間になられた陛下の御公務は、人間の力をはるかに超えられた

外交と、文化継承と、ご研究と、被災地へのお出ましが

国民とともにいらっしゃた両陛下の光で

復興の厳しい山道を、、、国民は歩き始めています。



これは、昨日雪かきで、足が滑って、

門のブロックに、左頭をぶっつけて、たんこぶを創った私が

傷口を冷やしながら、室内の軽作業に徹している72時間が

何とも待ちきれなくて、TVをつけたり、、、
パソコンをたたきながら、、、

CSDHクロ―ニック、サブ、デコラル、ヘマトーアになるかもしれないと

主人と息子に脅されて、安静にしているのがストレスで、

少々傷ついた制御に聞かない頭で、、、怯えがありまして

進撃の巨人を感じながら、支離滅裂の日記になりました。

72時間後、何もなければ、、、あちこち削除と推敲をして
落ち着いた〉頭脳で書き直すつもりでいます。

まずは現状の自分の頭脳の動きを文にしました、
目下、責任能力はございません、、、悪しからず,,,,,

,,,,,,,,,,,,,,m(--!m,,,,,,,,,,,,



31日

大しけが来るという天気予報のおかげで

限界に達していた屋根の雪下ろしを始めた、

安静どころではありません、

手袋の下の右手の薬指が炎症を起こしてしまいました、

小屋ね、物置、ベランダ、玄関の雪止め屋根、

持ち切らない重さの氷塊が、、、ドスンと落ちて、

バット大のつららが、、、30本、、、

タイツと、動きやすいように取れバンを重ねて屋根にあがり

命綱をしっかりと腰に回すと、、、

平らな地面に居るのと同じ安心感になるから、

棟に携帯ラジオ、ガラケーの携帯、そして、笛

75歳になった、元はハンドバックとハイヒールの私が

北海道の雪は、筋肉婆さんに生まれ変わらせるのだから、、、

北海道の雪は「本物である!」

相手にとって不足どころではない!

雪に向かう兵士のように

こちらもプロ根性と、つららや、雪庇の落散る先を

先読みしないと、バケツや洗面器大の氷塊が

作用反作用ンp法則と、

摩擦のない高利水の上をジャンプしてくる。

あらかじめ、高枝ばさみに、ガムテープと紐で

がちがちに延長した雪かきスコップで

氷塊が飛んでこない距離を確保して、

自分の立ち位置の一メートル先につららも氷塊も雪庇も落とす、

廻りの境目を見えるようにしてから

ベランダや、家の中のタンスを一回りさせた命綱の洗濯ロープを

ベルトとともに、ベランダの花道距離内に固定させた、

ここまで、、、スタンバイ、、、此処までの時間が緊張と

武者震いする勇気で冷や汗が出る、

この段階を過ぎて、屋根にあがってしまえば、、、もう、、、こっちのモノ!

白山や、夜叉神や対馬の山のロックを鎖で登った緊張感で

スリルと、快適な空と、美味しい空気は格別である。

絶対安静と言われた72時間は半分以上過ぎた。

大しけが来る前に、

積もった雪がストーパーになって、てんこ盛りの雪屋根にならないように

最大限の努力をすることが、、、50年続いている。

40代のとき

主人は4か月の入院生活と、続いて単身赴任と、

3年以上も、子供の育児と、

お荷物状態の主人の危機を

近代医学のおかげで、、、助けられた、主人の3年後の復活は

メス、、、ペン、、、箸、、、携帯電話、ショルダーリック以上の重さのモノは

私が持つという、、、我が家の、、、当たり前でない当たり前の家風となった。

はじめの頃は、4時間5時間はかかった除雪も、

車庫、物置二つの1メートルまでの雪なら、

3か所で40分で除雪できる「技」が出来た。

雪置き場の作り方も、圧縮して前の雪に雪をめり込ませてゆくと

圧縮された雪は、どんどん小さくなってくれるから

運ばなくて済む。

本来なら、、、

ハイヒールで休みはお出かけという、、、

東京育ちの私ですが

近代医学のおかげで、外科医に復帰できた主人が

生涯、、、生命の尽きる一日前まで

医師として、辞める患者さんに寄り添いたいというから、

主人が「医師をする!」という、健康な時代に頑張りすぎた結果の

入院であるだけに、

医師として生きてゆくという、ゆるぎない決心には

家内である以上、男がする役目もすべて背負うことになる。

表札が「主人の名前だけ」掲げた日本の明治の

厚地教育を受けた戦前派の、富国強兵時代の教えのもとに成長した

結局は、、、医者バカ、、、と言われる、、、医師しかしない決意で生きてるから、

こうした頑固だけれど、。70過ぎても、若い人より高得点で

認定試験を通過してくる以上、

筋肉を世間様に役立てるより、

「医師をすることをサポートした方が、、、」

本人の生きがいになるのだし、患者さんは

がっちりと、、、若いときからのお馴染みさんが頼ってきてくれているから、

私は、自分自身を薬剤師や、高校の物理化学の教師をするよりも

筋肉の方が発達してしまった以上、

雪かきという役割は、運命で決まっていたのかもしれません。

年寄りの、除雪中の事故の多い北海道ですが、

天気予報で、空気の温度、雪の状態、つららの落下の力学的な予知

除雪の装備、万一の予期せぬ時の雪圧から逃れる為の装備

耐寒の準備は。冬の八甲田山越えを心に刻み、

小さな屋根でも、全力の知恵でよじ登ってきた50年でした、

大切なのは、、、足場の固定に尽きると実感することが多い日々でした。

まだ、、、雪国を知らない時代、

つららをたたいて、頭に刺さり

北大病院までバス、電車を乗り継いでいったことがありました。

タオルで、しっかり抑えた頭を、

北大の外科に居た主人が縫ってくれましたが、

こんな時の為に救急車があるんだから、

なんで、来てもらわなかったんだと、、、

医師として、、、ひどく怒っていたのが思い出されます。

あれから、、、何十年、も経って、

小さな物置の屋根の雪をおろしてから

一メートル隣の大きな物置の屋根に飛び移ると

雪に胸まで埋まり

スコップを近くに突き刺しておかないと

雪圧で拘束されるのを体験する。

山で遭難するのは、、、きっとこうした雪圧が

首までとか、、、強すぎて、雪から脱出できないのだなと

思ったりしながら、

三浦雄一郎さんは、Everest相手に、、、すごいおじいさんだと

屋根の上で力を戴く。

私だって、、、75歳目も前にしても、

家の雪ぐらいは踏破できるし、除雪もできる、

80まで生きていられたら、、、

もう一度、、、登山計画してみるかな、、、

三浦雄一郎さんはプロだと痛感したのは

今回も、無茶な計画は中断するという

本当の判断を持っているという事は

今後も謹んで、、、ナーーるほどと、、、思う事です。

「Everestのぼりをすること」「医師をすること」「仕事をすること」

それを陰から支える息子さんやスタッフの理解と努力は

世に出て喝采を浴びなくても、

三浦雄一郎さんと、、、同等の価値を

私だけかもしれませんが、、、それ以上に

心で拍手を,、、同様に送っています。

頑張れ”””水面下のすそ野の人々よ!

長靴の底とアイスバンと圧雪、ドカ雪、霰、

2019-01-27 02:19:56 | Weblog
19年の一月中には

一通りの雪の感触を5体で感じながら

3度の食事並みに雪かきばかりしています、

去年までは屋根にあがって雪下ろしをしていたのですが

地震でモルタル壁が落下して以来

キケン要素を取り除く意味で

サイデイングにしました、

雪の中で、新し壁の家が、団らんの有った昔を

懐かしく思い起こさせます、、



私の母が、、、まだ達者に頑張っていたころ

孫の顔を見せに、東京の実家に行ったときの

祖母と孫です。



そのころ、バブルもピークになっていました

そして、バブル経済も落ち込んだころに

建てた家が、、、こんなところにありました



平成時代と昭和時代の青田の頃でした。

科学文明のエリートたちが

進撃の巨人のようにやってこないような

見えない壁に取り巻かれたりしない

シガンシナクが、此処だと思ってた

遠い昔の思い出の時間であります。

長靴をはいたおばさんになった私が

あれから40年以上も、子供たちと楽しんだ

よさこい節ですね、