4時になると、私だけの朝、が来る。
道新さんの朝刊が
勢いよく状差しから、、、おはようさん!!
誰も居ない通路を
早起きの猫が、
角を曲がってゆっくり消えた。
誰も見ていない朝なのに、、、
私はマスクをして、
ウインドウブレーカーを頭からかぶり
脚立を運んで、、、
剪定の準備をしながら
青枝垂れのもみじが
まるで、、、コロナ時代の
錯乱する情報戦争のように
幹が、、、枝が、、、見えないほど右に左に
上に下に交叉しているのに、、、なかば
あきれている。
しなやかな枝ではあるが
光の方向を見失った下枝が
芝桜の、、、総攻撃の花攻めに
一筋の光もとうさじと
絶光の陣形の枝ぶりである。
真綿の膨らんだようなしなやかな枝を重ねて
立ち上がっている幹さえ見えない。
木の根元は真っ暗である。
はてさて、、、どの枝から剪定するか、、、?
まずは、、、
根っこの芝桜を撤去して
芝桜に対して
防衛して伸びた兵隊の枝を、
丁寧に撤去してゆく。
地面に向かって攻撃する若い枝!
絹糸の様な光が通り、明るくなったところで、
しだれた枝から、、、
階段を上がるように、
下から上に向かって
順番に撤去してゆく
基本骨格になっている太い枝の
流れに沿って
最上段の枝を残して、
すっきりとした、
空間の面白さを
残した枝で
楽しみながら、、、
早朝の空のキャンバスに浮かび描いてゆくように
細かい枝のしなやかさに
風の命を表現させる。
お隣のボタンに向かって
総攻撃の重なった細かな枝を
一重、二重,、、と数えれば
枝の階段になっている。
地面に近い枝の方から、、、順々に撤去してゆく
最上段の残した枝と太い枝の流れが
瀬を流れるように
しだれたモミジの枝の線が
流れになる様な方向の枝だけを残してゆく。
瀧のように
勢いのある太めの一枝を選んで
残した枝と合奏をしている方向に
付け根から、葉っぱを落として
風の道が見えるように、
傷んでいない葉を残してゆく。
美容師さんの気持が解る様な気がするが、
剪定の場合は、
私の気持はほとんど主体が無い。
樹の方から、
戦いに向かって、
ほかの植物の方に向かう枝を
見せてくるから、、、
ストラグルする、、、狂乱した
防衛する方向に伸びた枝を撤去する。
すっきりと枝の流れを見せ始めるころ、
枝垂れモミジの、、、悩みを聴いてあげながら
樹との会話が交流するから不思議だ!?
メズーサの
半狂乱の頭の様なストラグルする枝が
トコロテンになって
風を、すとんと滑らせて行く。
すっきりとした、樹は、どんどん注文してくる。
「くしけずるように」
、、、私に代わって、右手の剪定ばさみを
動かしてゆく。
子供の頃、、、こっくりさんの、、、
自動書記の催眠術のように
私が剪定しているように見えても
樹と私は同化している。
、、早朝の太陽は
「枝垂れモミジの影絵」を地面に描いて
朝の光に感謝する。
一本の庭木も無かった昭和50年代、、、
共働きで、、、ローンを返すのに、、、
家は、ただの、、、建造物だった。
子供達が独立して出て行った後になって
庭には花が咲き始めて
リンゴの木には小さな実が生り
子供たちの残していった、、、小さな目の詩集
77歳を目の前に、、、緑に囲まれた庭には
老女が一人だけ、、、立っている。
肝心の子育ての時は、、、
火山灰の庭と,、
コンクリートの
避難小屋の様な、、、我が家??
食べられそうで、、、、食べにくい
香しい家庭んぽ家の味は無かったっけ、、、
朝ごはんの時
お兄ちゃんがみそ汁をこぼした、、、
お父さんに怒られた。
今度は、、お父さんがこぼした、
皆、、、シーンとなった、。。。
残していった子供の詩集の本のページには
幼い笑顔が浮かんでくる。
高校時代の本棚には、
愛されないときは、、、どう生きるか?
変な題名の本が有る。
初恋に、、、失恋したのだろうね、、、きっと!
愛されることを、、、考える前に
愛することを知れば、
人生は、、、愛される事なんて
錯覚に過ぎないかもしれないと
気が付くかもしれない。
先ほど亡くなられたことが
ニュースに報道された
たちばな サンの、、、
科学的な単行本も出てきた。
高校時代の教科書は
ページとページがくっついているのに
立花さんの本や、
エントロピーの、、竹内さんの本、、、
三国志、、、
手塚漫画の単行本、、、
表紙は、、、何度も熟読したのか?
反り返った本を捲れば
マンガと音楽と、、、
竹内さんのニュートンの記事や
ジャズに明け暮れた毎日が
高校生の
「青春時代」だったのかもしれません。
子育ての肝心の時に、、、我が家は単身赴任。
母親の私は、、、ローンに追いまくられて
深夜まで残業の日々が続いた。
朝、昼、夜、と
三段の弁当を「チーン」しながら
管理薬剤師で、、残業の社員との薬事法の理解の為に
家には10時ごろ帰る日々も多かった。
地元を離れた、、、異邦人と変わりはない。
きっと札幌に、、、自力で戻ってくると信じたから
子育てで、受験に入るころの、、、単身赴任、、、
朝昼夜と、、、三段重ねた弁当を、、、
「チーン」して
湯気が出ていれば、、、
「あたたかな夕飯と言えるのか!!」
中学一年生の次男は、、、大泣きして、、、
「寂しすぎるよ~~~!」と
ゲームに狂ってしまった時期が有った。
人生にはいろいろな枝葉の出る時期が有る、、、
母として、、、主婦として、、、
「医師をすることを、、自分の人生と決めている男性の
舞台準備の裏方を引き受けている以上、、、
主人を、、、函館国立病院の医長として
単身赴任の勤務に運んでいった潮の流れは
水脈の用に、、、回遊して、、、
函館昆布の
うまみの味がついて
札幌に戻ってくる、、、と
理由は無いが、、、信じられた。
20歳の時から、、、50歳近くまで
札幌で診療をし続けた医師は
その医師でなければと、、、
絆で結ばれた患者さんが居ることが大きかった。
流れの逆を行くように見えるこの枝は
迂回して、、、もとの方向を向いたときは
味のある、、、空間を見事に抱える迂回した枝になる!
主人の人生に、。。。
故郷に帰ることの選択枝を
剪定カットした以上
医療の世界という本体を
迂回したカーブで支える枝になるのも
見事な人生かも知れないから
男の人生は、、、かかわるのは止めよう、、、、と
剪定ばさみの使い方は
庭木だけにしておくことが
森羅万象、、、自然との共存共栄かもしれないと、、、
医師と薬剤師は、、、どちらも、独立した幹だけに
封書一つ、、、干渉の「鋏」を入れられなかった。
函館から、、、呼び戻された主人は、
北海道に必要とされる病院の
立ち上げグループの一人として
実直な医師としての使命感で、、、
この世を去る一日前まで
医師をすることが、、、
自分の使命だと言っている、
医師をすること以外出来ない人なのかもしれません。
彼が、第一象限の生活を出来るときは
医師をしているという、、、
エックスもプラス
y軸もプラス。
医師をすr事を辞めた時は
第一象限に留まれない心の持ち主かも知れない。
周りからは、、、支えられない第4象限。
人は、、、天に生かされてゆく
樹にはいろいろな枝があるが、、、
「剪定してはいけない枝」が有る事だけは、、ある、、と。
感じるのです。
昔。。。道新に、、、
「友」という「詩」を投稿して
正月の「上半期の秀作に選んでいただいたことがあった。」
小柳先生という、、、詩人の先生は、、、
どんな方だったのか、、、おめもじすることも無く
この世を去られたが、、、
白い封筒の私信の詩の心を伝えてくださった。
貴方のおしゃべりは、、、多くの詩を含んでいますから
おしゃべりは、、、止めなさい、、、
詩作に、気付いて、、、
言葉のエッセンスだけを記しなさい、、、と。
まもなく、、、先生が逝かれたことを紙面で知りました。
孤高な方だったのかもしれません。
詩人とは、
まっすぐな一本の柱の様な大木なのでしょうか?
少なくとも、、言葉という葉っぱを
ひらひらさせてる樹ではなさそうです。
剪定を繰り返し、、、
一本の柱にしてしまった
「詩の樹」でもなさそうです。
私は、、見えない,、、
「貴方の樹の傍」で
コートの襟を立て、、、風の音を聞いている、
「友」という、、存在が有るならば
剪定ばさみが、、、存在感を無くすような
貴方という「樹」に
寄り添って,、、
聞こえてくる
葉擦れの音が
貴方の言葉だと
聞き取れた時、、、
私は「友」を感じるでしょう。
剪定ばさみは、、、
私という植物の幹を探して
切り落とす枝を探して、、、
枝も幹も無い、、、
その瞬間、、瞬間の
光の中に一瞬存在する影が、、、私という枝です。
、
気楽に、、、読み飛ばしてくださいね、、、
その日そのと樹、、、胸から胸へ
浮かんだ事の日記です。
剪定とは、、、友である樹の注文にこたえて
鋏を動かしてあげることかもしれません。
鋏を動かすのは,、、樹木の言葉、、、
そのとき、、、私は,、、
愛する人も、友達も、、、樹になるでしょう、、、と
千年の命を感じるのです。