花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

NHKのワクチン開発戦争を観乍ら

2021-10-12 19:05:14 | Weblog

夕食時の忙しい時に

もっともみたい番組が、、、始まった。

この2年間、世界中が、戦々恐々となった

  「コロナの感染拡大!!」

過去の歴史からも、    

感染症まっただ中の時代を生きた人々の

見えない「菌」や「ウイルス」との戦いは

昭和20年代に

   ジェンナーが種痘をすることで

       我が子を救ったのが始まりで

          日本からも「天然痘」にかかったという話は

    聴かなったようである。

            

     我が子に種痘をするとき、、、

        親である研究者の心は

          いかばかりであっただろう、、、

          すごい物を感じさせますね。

 

今回の、ウイルスは、、、猛威を振るっている。

corona!!!、、、

    そしてその変異型!

     

 研究者に対しては、、、

     予算を組めない、、、哀しき日本!。

       無理難題を押し切って

         医家向けに、、、援助金を出して

          医療スタッフは

           毎日の清や残業の激務。

 

    ワクチンが出来ない日本。

      島国だから、、、免疫の弱い人も結構多い、、、

        頑張って取り寄せたワクチンは

          老人優先で、、、感染拡大はくい止めてきてはいるが

     惜しい、、、若者が、

      coronaで、、、去っていく、、、

         哀しいニュース。

 

    日本は、、、戦後75年以上たっているのに

         まだまだ、、、後遺症は山積み。

       リッチな国になるのには

           頑張っている人の

            勢いを、、、国際平和に向かう予算の獲得かな?

  戦争に継ぐ戦争で、、、徳川時代の鎖国からの開国日本!、、、

    他人の為に、、、ビジョンの為に

       国の持ち味の推進の為に

         他国の為に

          世界の為になる、、、研究の為に、、、

        鎖国で、独自の文化や浮世絵は

           素晴らしいけど、、、

         300年間の、、、空洞の様な、、、

        コミュニケーションショックは

      NHKのTVで、、、77歳の、、今頃知って

       驚いている婆ちゃんです。

世界を知らなさ過ぎた時代が過ぎて、

   科学も、学問も、資源も、技術も、

      戦後の団塊の世代の青年たちが

          今や70歳を超えた白髪になるまで

       日本の戦後の復興に、まっしぐらになって

 

           いつの間にか、、、???

         世界のプロの仲間に、、、

    どんどん認められていった。

私が小学生の頃は、、、

    ノーベル賞は、、「湯川秀樹先生」。

  戦後の、、光の一筋だった。

        

    今や日本には、

   「ノーベル賞の受章の先生のお名前」が

  全部言える小学生は居ないだろうね。。。

 

こんなに、

   日本の研究者は

     優秀な成績を修められる時代になっても

 

          

   今年のノーベル賞は、、、

      日本人だけれど、、、

 

      アメリカ国籍の先生です。

 

       

 

本日のNHKのTV-放送で観ていて思ったのですが

  アメリカの研究施設も、

      人材も、

        予算も

     継続して研究分野に力を注いだ「設備」も

       スゴイですよね、、、、!!

 

研究には「お金がかかりますが、、、

    世界を救うのも、、、壊すのも

       研究者たちの研究を、、、どのように使うかで

         人類は生き残れる道に手探りしている。

         

メッセンジャーRNAの

     今回のスピーディな

        ワクチン

       接種したことにより、、、

         人体にスパイクを造らせて

         それに対する抗体が速やかに獲得されるという

        

       がけっぷちの、、、

     槍ケ岳のてっぺんから見るような

  スゴイ景色と重なりながら、、、

      一連のワクチンヲ見つめていた。

 

   メッセンジャーRNAの接種で

       体内にスパイク蛋白が出来てくるという、、、。

 

    ワクチンは、

      パンデミックを

        収束させることは間違っていない!!

     

自分自身は一人ですが、、、

   カガミを使ってコロナのように

    スパイク人間になってみると

       体内に、、スパイク、、、を。。つくり。。。

    それに対する,、抗体も、、、胎内で出来る、、、

 

 体内という、、、数えきれない要素を含んだ所に

    メッセンジャーRNAを送り込むのは

        勇気が要った事だろうと,,思った。

 

  治験のモデルを引き受けた男性も

     画面に出ていらっしゃいましたが。

      敬意を持って、、、頭が下がりました。

     人類の為とはいえ、、、よくやってくださったと思いました。

   私は、、、ファイザーのワクチンだったので

          一切、、、なんの抵抗も無く、、、

            受けることが出来ましたが

      何でも、、、初めての事は、、、

    びっくりするものです。

      

   若かりし昭和42年

    すでに遺伝子のRNA、、、DNA,,,

         らせん構造、、、リン酸化、、、

   日大の薬理学の教室では

      すでに、その分野に興味を持って

         喧々諤々、、、

    手探りの議論を交わしたものだった。

          

   同級生の女性は、30才そこそこで、

       某医学部の薬理の助教授として赴任した。

    高校生からの同級生だった女性の友人も、

       某医学部の中央検査室長の様な仕事の傍ら

    研究に没頭した人生をおくったようです。

     免疫学の黎明期に

        その魅力に、、、独身をとおして

           研究に魅惑されたようですね。

  当時の日大には、東大卒に女性教授がいらっしゃって

     男尊女卑の中、フランスに留学して

      パスツール研究所で

        博士となられる研究をして

         日大の教授になられていた

           独身女性の教授が

         フランス語で講議をなさっていたりしました。

    一緒に、放課後の夜学の教室で

       教職を選択して

         未来は「大学に残って研究生活!」

      それには、講議の為にも、

        教職は選択した方が賢明!!

    世間の事が解らない夢多き時代に

      大学のキャンパスでは、、

    、自分が主体で生きる人生ばかり、、、考えていた、、、私。

     フランス語の試験問題を出されて、、

       問題が読めない自分の

         圧倒的な、夢ばかり先行している愚かさを知った。

せめて、、、英語だけでも出来ないと、、

    、英語はなんとかクリヤーした。

       ドイツ語は、、、最低で、、、何とか合格。

         研究者の要素の語学が難敵!。

 

      おまけに、、、研究生活を続けるという事は

        家族がサポーターになれるほどの

          理解と財力が必要になってくる。

      研究の世界では「お金の調達が出来ないのは、、、」

         先ず、、、未来が見えない。

      同級生でも、、、研究生活を

       継続した女性は、、、

        独身を通した人がほとんどですね、、、

 

       TK大学の、教授になられた先輩は

         当時、、、大学院の教職で同席した。

          地学の実習の時

          昇仙峡で、蛇紋岩を探していて、

         友達になりましたが

           話しかけてくださるようになり

      招かれた事もあり、、、

     自宅に泊めていただいたのですが

          ある種のショック!!!を受けました。

 

     桁違いの「富豪」であることに

          心静かに、、

       、日大の底力を視たような

 

      初期設定の違いというか、、、?

           比べるのもナンセンスな

         次元の違いであるが 

       私の場合、、、配牌が、、、

         国士無双で上がるか

          ニコニコで、、あがるか?

       先が見えない配牌だと思った。

 

       研究生活どころではない自分に

      気が付いてしまったというか??

 

      人生行路の聴き分け良い自分が

     ありのまま、、、

       その日ソノ時、、、

          ゆきあたりばったりで、、、

              感動しながら

      「 パッチワークの人生」で

         ゆくしか無いかもね。

           

       心のままに、、、流されてみようかな?? 

         どんな作品になったかを

          死ぬ直前に振り返り

       「こんな、、人生模様を、、、

          私は生きたのか~~~?!」

 

     振り返り。。。

        生きぬけた感謝を

             天に向けて。

 

    ふと、、気がつけば、、、

     

      守備範囲がちがう事もあり、、、

        君は君、、、我は我、、されど、、、

           子育て、家庭は、、、

       妻たる者が主任、、、みたいな

    雑用や、買い物、洗濯、、、ご飯作り、、、掃除で

     主人が寝てるときは起きている。

       主人がTVを観始めると、、、私は寝てしまう。

 

     心はすれ違っていないのですが、、、

        時間貧乏な、夫婦だけに

       お互いに干渉しないので、、、

       時間的に

         すれ違い仕事人。

      日本は、、男社会だと、、、

        つくづく、、、思いますね。

 

         

   アメリカの、coronaの予防注射開発の画面には

    女性たちの、命がけの闘いが

     命かけるにふさわしい、、、

      すごいインパクトで

       放送されていました。

        

    アメリカの女性たちには

       家庭と研究と、出産と、、子育てが

         両立できる、、、

 

       国家の経済力が有るのですね。

 

    日本は、

     野党にも、

      素晴らしい侍がいらっしゃるのですから

    国会で、、

      足の引っ張り合いの質問してないで

    力を合わせれば、、、

           きっと

    経済回復した日本を想定できるでしょう。

 

    世界に、御顔と名前が知られている与党を応援して

    世界にお顔が知られて、

     政権を獲っても相手にされるように

       初めから、セカイテキニ有名な人を

         当選させて、

      外務大臣になる様な素養が無いと

     与党の様な、、、外交の役割が果たせないと

     国全体が滅んでしまいますよね、、、きっと、、?!

      政治音痴の私は、、、

      言い分は、、、

      世界の人が観客で聴いていると思わないと

      デジタルな時代ですから。

     足引っ張りな討論は、、、

      世界の観客の前で,、

        話していると思って、

       国会劇場をしてほしいですね。

    縁の下のしっかり者のチームとして

    担当を発現出来れば、、、

        総合力で、日本は

    世界の認める、、、日本の国会となり

         皆の国と共存共栄できるかもしれませんよね。

      

再び

   観光日本となっても

         いいではないですか???

     

        稀有なる美しい国土を

       持っていますよね~~~

    街作りとか、、、開発が、、、

        てんでんこで、、、

    トータルな日本を表現できない所が、、、

     いいのでしょうかね~~~

 

     どの街も、、同じ表通りのコンビニ。

    自由民主主義が、、、日本の宝物ですよね、

       こういう街並みなのに

         意外や意外!!!

   ワクチンや治療薬が 

     国内で出来るようになってほしいですね。

 

      

 

    女性が研究できるような国になれば

    細かい仕事に、、、女性は適性があるのですよね、、、。

    人生、、、結婚や出産を捨てないと

   日本では、、、キャリアウーマンの

          一途な仕事人生は夢のまた夢ですよね。

 

  


動物と植物は、どちらが緻密に出来ているのかな?

2021-10-09 21:20:40 | Weblog

例えば、政治家になられている人は、

  大概、、、お父様も お爺様も

     政治にかかわられていたという

         環境ではないのでしょうか?

先日、河野さんが、総裁選が、

   タッチの差で決選投票になったとき

 決選投票になると

   年上の、方から順番に 決まるのは、、

      お茶の間の感覚としては、当然の順番なので

 ワンチャンス、、、

    1票差の決選投票という

       政治家の家系の多い議員さんの間では

         予想どうりの結果なのでしょうね。

 

コロナのワクチンを、

なかなか手に入りにくい時に

   河野さんが、

     一途にコロナのワクチンを目指して

    老人優先に接種をしてくださる機会を

         つくってくれたおかげ様で

   老人が何とか、感染しないで

                医療崩壊も、、、

      寸前で、、、

        何とかういとどまるのではないかと

     国民全体の感染対策を祈っている最中です。

       ここまで来た感染症は、、、くい止めるのは

          ワクチンが結果を出してくれるのではと

        思っているうちに

          

       新型コロナウイルスが感染する際の受容体である

    「ACE2たんぱく質」を改変して

ウイルスとの結合力を薬100倍にまで高め

 

    抗体製剤と同等の治療効果を持つ

       「ウイルス中和たんぱく質を開発した!!!、、」、と

  マスコミも報じるし、、、ネットもでかでかと掲載するし

 

   ウイルス変異種による

         治療効果の減弱が

            起きないという事ですよね!!

 

  N501Y変異も   イギリス株

  E484変異も   免疫逃避型系統株

  L452R変異   インド株

 

このAEC2受容体は

抗体製剤などを用いた治療で

懸念される、、、

  ウイルス変異株による、、、

    治療効果の減弱が起きない!!

ネットにはこのような文が書いてありました。

  https://www.amed.go.jp/news/,,,,,,,

京大の星野先生

阪大の高木淳一先生

高等共創研究員 岡本徹先生

≪微生物病研究所兼任≫

   この先生の名前の書かれたサイトを

     写したものですが、、、

読みだしたら止まらないほど、、、

    希望が出てきます。

 

素人考えですが、、、この薬に対しても、、、

    ウイルスは、、、あの手この手に出てこないようにと

             祈るばかりです。

 

ともかく、、、治療薬を必要とする前に

      ワクチンで、感染をくい止めて、

        各自の感染対策の緻密さによって

          次の、、、高波をおこさないようにすれば

  医療崩壊は起きないで、、

      、何とかなるまで、、、

         時間は稼げるのではないかと

 

医療をご自身や、ご自身の大切な家族とともに

    命捧げて戦った、、、政治家さんは

       医療現場を観ているわけですから

          補助金を出したから、、、政治家の命令どうりに

       医師を動かせると思うのは

    やはり、、、本院が病気の体験をした政治家でなければ

            医療現場の実際が解らないのではないかと思うので

       医療崩壊は絶対に防がないと

           先が見えなくなることだけは、、、確かです。

     医療に、、、半可通な野党の質問を聴いていると

        医療現場のサポートは補助金が有れば

           出目のソバのように食べられるかというと

            医療は研究と、臨床のネットワークが 

           感染症などは特に

        不可欠だとおもえるのです。

      日本の医療界は、、TVや小説で、

        面白可笑しく捻じ曲げられて、、、、、、、

   「私、、、間違えないので、、、」、、、

    こんなスーパーDrの独り舞台の

      医師の時代は、過去の医療界であり

     現在は「医療スタッフ全員の野球チームのように

     チームで病気と闘う各部署への 医療設備や

    勤務人数を確保して、専門性のある人数を揃えて

      ウイルスと闘うチームは

         お金では解決しないのが医療の根本ですから

     油断大敵だと思います。

            

      

 

ワクチンが、、、最後の決め手になる事は

         全員が感じながらも、、、

            副作用他、、、、

       考えすぎてしまうのかもしれませんね。

           ワクチンに関しては

      又、感染源にならないで済んだ人も多かったと思います 

  人は、患者さんとして病院に入院したり

       手術を受けたり

         生死の間を彷徨う病気になって

    病院に 患者さんとして 

        入院を経験すると、、、すれば

   病院を内側から、

      医療チームやドクターや事務の動きが

 

     見えてくるものだとおもいませんか?

 

  河野さんが、一生懸命

    生死の分かれ目に影響する、、、、ワクチンを

      集める努力をしてくださったのは

         実際に、愛する人や家族がICUでの

          医療スタッフの世話を受けたという

   貴重な、、、、体験が、おありになった事は

            新聞に報道されましたので

             多くの方はご存じで

            心の温かい、命がけで、病人を救う魂が

              困難な時期でも

            ワクチンを集めてくださったのだと思いました。

 

       軽症で、軽い気持ちで病院に来る患者さんたちは

         「患者様と呼べ、、!」と言ったり

           順番が重症患者さんの優先順になっていたりすると

       

        納得できないで、、、

     怒って帰ってしまったりすることもありますが、、、

     一刻を争う病状が、

       先生からすると。すぐに診察しなければならない

      患者さんだったりするからです、

         

 

  重症になって

    生死を彷徨う病気は

      健康で、病院にかかた事の無い人は

       想像することは難しいというのが現実です。

   各専門家の先生は、、、ほかの専門の分野の患者さんを

        安易に引き受けるような、、、

           素人の様な先生は,、、まずいないでしょうから

    野党の質問内容のように

       補助金を受け取った、、医師に

           政治力で思うように動かせるという

       お金の世界の話は銀行でショウ、、、ね。

     命とたたっている先生や医療スタッフのチームは

       補助金で、

       政治家の思うようには

          動かせないと思います。

    「命は、、お金では動かせないし、、、」

      長い目で見て、、、医療現場を体験した政治家さんから

        権力や規則では日本の医療システムは

            半可通の、、、理論だけでの完結になると思いました。

        医療の前には、、、

        動物より、、、植物の方が

           代謝サイクルは

       緻密に思えたりしますしに思えたりしますし、、、

         菌類もしたたかですが、、、

          ウイルスの世界は、、、

          イオンや,元素や、、、

           もしかしたら、、、それらの引き合う力関係の

         入れ替わりで、、、変異種が誕生するかもしれんよね???

       治療薬で、、変異種発現とかもあるだろうし。

     この世では、、人間が、、万物の霊長だなんて、、、

       ホントでしょうか?

      

         

    冬に向かて、、、雪囲いの準備の剪定をしていると、

     植物は、まるで目が見えているように

       根っこの周りの下草と闘う、、、

          変異の枝が張り出してます。

      虫が食い荒らさないように、、、

      来てもらいたいムシさんの好きな香りで

      空気の層がとり巻かれている、、、

      代謝サイクルも、、、人間の生化学の主なサイクルより

     緻密で、日光に反応して、たいしゃして、

      炭酸ガスに反応して代謝する。

        同じ元素を使っていても

        「デンプンとセルロースを作り分ける、、、!」

      酵素のチトクロームだろうか

       ある植物は、、しっかりとスカクする。

     眠くなっていたので、、、寝ますね!!

        この続きは又明日!!   バイバイ!

  

 

呼吸


スロースロークイック、シャルウイ、ダンス?  冬将軍

2021-10-08 00:57:34 | Weblog

北海道の紅葉に見とれていると

   もう散り始めた黒岳の彼方。

 

咲くと

   いつまでも咲き続けていた

            「君子欄」も

               とうとう、、、しぼんで

                緑色の実が出来始めました。

 

            冬が来ます。

 

          今年も、君子欄の見納めです。

一本の君子欄から、たくさん子供が出来て、

それから目が出てぐんぐん育ち

        

 

クスダマのような花が1か月ほど咲いてくれる。

   この花の咲き方を観ていると、

      一つ咲,、、2つ咲、、、いつしかクスダマの様な

      半球形の見事な大輪になります。

 

   意外なことに、、、日陰が好きな花なんです。

  日のあたる所に置くと    

 

葉が乾燥してしまいます。

水をやりすぎると、、、危機感が亡くなるのかな??

花を咲かすのを、、、忘れたかのように

     葉が次々と出て

観葉植物も、、、たじたじの

艶のある、弾力のある厚い濃い緑の放物線で

ダンスをしている様なラインで、

玄関に向かう階段を    

リズミカルに、昇れる気分にさしてくれます。

30歳のころ

   東京が故郷だという、、、

      近所のお婆ちゃんが

         満開の花を咲かして

      大きな鉢植えを持っていらしたのです。

     手入れが大変になって来たので

。 若いあなたに、

    可愛がってもらえるかもしれないって

            持ってきたのです。 

 

この辺りは

    東北からの

       入植された方々が

           タケノコ山だった

      羊が丘の裾野あたりを開墾されたという事です。  

お百姓さんだったのかもしれません。 

 

ダイナミックなスケールの    

      菊の花畑で

        お花を商売にしている方や

           アチコチに畑が残っている者の

バブルの時代に

定山渓鉄道の関連会社が、ひな壇に造成して

新たに宅地として売りに出されたところです。

      徒歩圏に、、、北大の農林試験場や

水源地公園があり

何十種類もの栽培研究されているらしい、、、

    楓の林や桜並木が見本林のように茂っています。

札幌市の郊外と言えるでしょうね。

昭和50年ごろ、、、バブルで、住む家がどんどん値上がりして

2人の子供を育てるには、良さそうに見えたこともあり

 このあたりなら、、農林試験場と

   公的な研究で、、、

     遊園地にはなりそうもない水源池と

    そのちょっと先は

巨大と言えそうな

    モアイの並ぶ

墓地公園のようになっています。

   札幌市とはいっても

     三越や丸井今井、、、東急デパートまで行くに葉

 バス停まで5分地下鉄まで15分、、

     地下鉄で大道理まで出るとかれこれ40分はかかります。

結局、、、あたりの、、、散策の人生と言えば良いのか、、、

 子供を産んで2人だけ

やっと育てた。

   子供たちは、、、北海道の小学校

              北海道の中学校

北海道立の高校卒業!! 

完ぺきな「道産子」であります。

   子供たちのおかげで

     近所の人たちも

       井戸端会議の話をする仲間にしてくれ

札幌生活も50年になりました。

、、、でも、、、親友は居ますか? 、    と

       もしも聞かれたら???

「いません。」と迷わず答えるでしょうね。

    、、、友だちは、庭の雑草や、、、

        鉢植えが大きくなった樹々です、、、と。

 

。 でも、、、戦争に合わなかった人生だったので

         神さあまが居てくれたのだと。

毎年、、、新年は、

   北海道神宮に「初もうで」に行きました。

今年も、、、コロナに感染しないように

     雪が降る前に、、、お参りに行こうかと、

コロナの収束を祈ってきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

kunnsiran


ホトトギス,、ホトトギスとて、、、夜は明けにけり

2021-10-05 19:38:37 | Weblog

中学生のころ、、、

俳句や、

短歌に

夢中になった事が有りました。

   きっと、、授業で、、、芭蕉とか、、、

          万葉集とか、、

             正岡子規とか、、、

               先生が、、、自己陶酔しながら

       読んで聞かせてくれて

         その、、、恍惚とした

        何かに酔いしれるような、、、空を観ている顔が

  なんとなく、、、解ってくるまで、、、勉強するかな?

図書館が近かった事も手伝ってくれて

  なんとなく、、、短歌とか

     俳句が解りかけてきたとき

 先生が、、、、、

     お題を「ホトトギス」

     明日までに、、、短歌でも、、、俳句でも、、、

     どちらでもいいから、、、

        明日のホームルームは、

     順番に、、、恥から読んでもらうからね。

        

聖書の一行も、、

   勝手に考えていると、、

      本が何冊にもなりますよね、、、

いろいろの方のブログの写真を観ていると

   その方が、、、

     この一枚に、

       情熱を持って

         ピントを合わせている

 

  その結果、、、撮影する前と、、、

       撮影して

        その瞬間が、、、カメラに収まったとき、、、

      きっと、、なにがしかの解放感と、、、

             龍亡き閉塞感から解き放たれて、、、

   その作品の中に、、、

     意識しなくても、、、もう一人の自分が

       美しいショットや

         美味しそうな色彩の中に

            分身となって 

        語り掛けているのかもしれませんね。

    自分が、、、もう一人の自分に出逢えるのが、、、

       美しい花の微笑だったㇼ

    限りない変化の情熱の海辺の空の色だったㇼ、、、

   この空の様な感動や心の彼方の様な色や

     変わる楽しさの中で

        写真は、、、無数のサイトを観る人の中で

         共感を呼びながら

          感動も、微笑も、解き放たれた空への飛翔も

       知らない時間に、知らない人と

      共有しながら、、、

     知らないうちに、、1人じゃなくなっている、、、不思議??

         

だけど、、、作品を掲載した本人の感情とは

        全く違う受け取り方をされても、、、

         「そんなの関係ない、、、そんなの関係ない、、、」

  あの「タレント:?」が、、、

    なんで???…裸だったか、、、文を書いてるうちに

   解ってきたような「錯覚に陥るから、、、」

  不思議?

  共感を求めて、、、

     写真を撮影する人はほとんどいなくて

   素晴らしい瞬間を、、、

     確保して、、、

       自分だけの世界の満足が,、、

         次の呼吸に、、、つながるとか、、、

 

いろいろと、、、休むに。。。似たりの考えをめぐらし

     微笑みが出てくる幸せを戴きながら

   花や、山河や、景色や動植物の瞬間の出逢いに

   驚きの生命を感じたりしています。

この時の感情を「俳句にも、短歌にも、、、作法を知っている方は

   作品として残されて、

     出版為されて、、、

       生きている自分の分身との

         「一つの出会いの瞬間」

      かもしれませんね。

 

中学校の時、、、先生は、、、

  この宿題は、、、私が考えたのではありません。

    ある方が考えて、、、

   その時の、、皆の作品から

       選ばれた,、作品をよみます。

  全部の生徒の作品が、各自で読まれた後に

    先生の読まれた句は

        

 

ホトトギス、、、ホトtギスとて、、、夜は明けにけり

 

     この時の感動が記憶に残って

    私は、、、短歌も、、、俳句も。。。書けないのです。

 

キーボード  たたく音だけ  聞こえけり

     


政治音痴の婆ちゃんに、政治を手ほどきしてくれる人。

2021-10-02 17:14:11 | Weblog

子どものころ、3歳になった私は

   人が、、、やたらに出入りする我が家の庭に

     大きなキンモクセイが、強烈な香りを放っていたのが

        一個の人間としての、、、目覚めでした。

 第二次世界大戦が終戦になって、2年目の事でした。

   柱時計の振り子の音が、カチン  コチン、、として

    ボーン  ボーン  ボーン と3時を告げると

      庭で穫れた「大きな野菜」をもって

        「華のおばちゃん」と呼んでいた台所のおばさんが

       上半分が黑い大きな包丁で

         夕ご飯御仕度をはじめるのでした。

           

   おばちゃんは、、、私のおもりと、

              昼と夜のご飯をつくり、

               その他の時間は、お掃除や

            庭の野菜畑、

          後から解ったのですが、、、

         大きな畑には、薬草が栽培されていて

       周りの小さな草などを

     引っこ抜いていたのを、、、覚えています。

 

   父は戦争に医学の臨床指導者としての勤務から

        第医専の戦場にまで参加せねばならなくなったのは

  終戦から3年前ぐらいの時だたというから、

それまでは、戦地近くの大学病院には

外科の臨床の教育の為に

   役立つ医局が無かったそうです。

    国の絶大な希望で、日赤の看護師さんと

       臨床病院での、現地の医師に

         イギリス医学の外科の臨床指導をする病院の

    院長として、、帰宅できることはまれという

       外科指導の激務の総合病院の院長だったそうです

           

          母は、、、ピアノは日本に置いたまま

         帰らぬ主人を想いばかって、、

          戦場の近くの赴任先の病院の傍の宿舎に行ったそうです。

    戦争が、勢いを増してきていただけに

     傷病兵も多く出て、現地の医師だけでは

      どうする事も出来ずに

       銃創や、戦場での傷病兵は

        創口に木炭の粉を湿布されている様な

         漢方医の手当てを受けていたようです。

父が戦場の近くに赴任したときは

   昭和13年ごろではないかと想像しています。

     国の待遇で、総合病院の院長として赴任したようで、

      病院の名前は、父の名字になっていました。

       戦場の関係者の病院だったらしく、

    子供のころ、、、小学生になってから、、、

   戦争の時代の事を質問すると、、、

  お母さんは、

    耳をふさいで、、

        走り去って、、、

           どこか映ってしまいました。

    父は、「お母さんが居なくなると、、、

    戦争の時のことを話してくれました。

    お父さんの医師になった勉強をした大学は

  日本には、、、なかった

     西洋医学の外科手術などを教えてくれる

        イギリスの医学で、

         特に、、、外科は、、、戦場の傷ついた兵隊さんにとって

     医師が居るか居ないかで、、、命にかかわるという

    当時の外科医は、日本でも希少な、存在だった。

   軍隊の質問に、、、「外科医です!。」と言ってしまったんだよ。

                          眼科、、とか、、、   

    産婦人科、、とか、、、

        耳鼻科ですと言えば

           戦場に行かなくても良かったのかもしれないね!?、、、    

 父の髭の伸びた顔が、、、笑顔になったのを覚えている。

   何のことか???よく理解できなかったが

      「ウン」「ウン!」「と頷きながら

        父の戦争時代の話をするのを、、、

            興味を持って聞いていた。

  戦争がひっきりなしに続いた

       明治生まれの父母にとって

  小学校時代、、、高等学校時代、、、大学時代と

    まるで、、、

       今回の「コロナの経済界」のパニックのように

   筏乗った命が 、、、激流を降るのに

      しっかりと「わが命を守ってしがみ付いていないと、、、」

    誰も、、他人を救っていることが出来ない激流の日本だった。

 

 

とんだ時代に、、、生れたものですね、、、

     小学校高学年になった私は

      子供のころ聞いたことで

       意味の解らないまま丸暗記していたことを

        おりに触れては

         父に聴いたり、、母に聴いたりした。

 

      母は、、、初めは耳をふさいで、、、

       どこかに走って行ってしまったが

 

        父は、、、何故?、、母がパニック状態で

             逃げてゆくかを、、、説明してくれました。

       後日、薬剤師になってから、各科をローテーションして、

 

      精神科勤務の時、、、

     PTSD(心的外傷、、、)という

 

     入院患者さんに

        薬を飲み終わるまで

           確認する業務があった。

 

    先生から、、、服用が終わって…

            吐きだせないと思うまで

       無駄話でよいから、、、、、

         話を聴きながら、、、それとなく

           報告してほしいと、、、指示されました。

 

    その患者さんは,、、以前に眠れないからと

       睡眠薬を処方したことがあったと、、

      先生は言われました。

 

        マクラの中に、、薬をため込んで

         ある日、、、発作的に、、、

      マクラの中から、、、全部出して、、

         一時に飲んでしまったというのです。

 

       胃洗浄をして、、、

         先生も助けるのに大変だったというのです。

 

        それからは、、、薬剤師に、薬を配ってもらい、、、

     服用を済むのを待って、念のため

             胃の中から吐き出せなくなるまでの時間

      話し相手として、、

        飲んだ後の気持や、

           ゆっくり休めるからね~~~とか、、

      

       、友達感覚で

     

       部屋に居ても、存在を感じさせないように

 

      院内全体で、

        発作的な行動を見守った事が思い出されます。

 

      その後、、

        ロジャースの本や、、、

          心的外傷の本を読んだり

 

    「臨床心理士と、一緒に

        精神科の医師のゼミに、、、100時間も出ましたが

          臨床心理士は 卒業合格を戴いたみたいですが

    私一人が、、、卒業論文は受け取ってもらえませんでした。

 

    「貴女は、、、薬剤師さんだけに、、、

            人と寄り添うという

      このゼミの最終目的には、、、

            あまりにも、科学的な

           実学の根拠に走りすぎて、、、理論があり、、、

             臨床心理士としての論文としては

                 審査しないで、、

              私の参考文献として

       認定証書には相当しませんが、、、

      こうした講義を「5万円」で受講されたことが

        「安い講義代金だったと、、、いつか思うときがあると

          私は確信していますが、、、

            臨床心理士の皆さんとは視点がちがい過ぎますね!」

 

 そうなんだ、、、薬剤師は国家免許のもとに

          持論を科学に基盤を於いて、、、自分の意見を

           頑固に変えることをしない所が、、、あるのだと、、

         人に寄り添うのは、、、やはり。、、

            看護師さんか、臨床心理士さんなのだと

         なんとなく、、、視点の違いが、揺るがせない

           科学の理屈で考えてしまうのだと、、、

         私自身の、、偏りを発見できただけでも

            この講義は、、、受けて良かったと思ったが

 

         快感はエンドルフィン、、

          そういう症状は、、A10,,,だとか、、、

         興奮する時は、、、鎮静剤、、とか、、

     

         今一つ、、、自分で知るべきことを発見してしまい

       アルコール中毒の患者さんの、キャンプに、

            教会の皆さんに誘われて参加したり

         「 心的外傷の本」を読んだり

        精神科の処方の薬学的作用と、、

        患者さんの状態

       先生方に、ゼミを開いてもらったり、、、

     結局、、、精神科の薬局は 3ヶ月で終了して

        次は心療内科の調剤に従事しました。

         そして、、、3か月後は、、、

           心の病気は、自分には扱えないジャンルだと思った。

             

         内科に移動したとき

       「ホ‼!、、、とするものが在りました。」

    

              肝で代謝するか、、、

              腎で代謝するか、、、

              BUNの値はどうか、、、

         薬剤師としての、科学的な反応を基盤にした

              問い合わせや、、、薬品選びに

           先生のお役に立てる「文献をもとに」

          調剤できる科に戻ってきたとき、

 

       生化学や、薬物学が確りと役立つ

          「内科」「外科」「眼科」

            癌病棟、、の「化学療法など」

              薬剤師の考えが、、、必要とされて

                心から、、、ホッとしたものです。

      それほど、、、精神科の薬は、、、經驗と

               個人差をわきまえていないと

                 3ヶ月のローテションなどで

               何も、、、ワカラナイ、、、

 

             

  母が、、、戦争の話をしたり、、、

    アリラン、、、アリラン、、、アラリ~~よ、、、

    鼻歌を歌っていると

        耳をふさいで、、、

             逃げてしまった、

               げーげー嘔吐しながら

                  しゃがんでしまいました。

 

   父は、、、

   「戦争時に、、戦地の病院に来ていたばっかりに

            子供を三人失っているんだよ、、、

               そのあとも、、、流産して、、、

      ナーバスになってしまっていた事を、、、、思い出すんだよね。」

 

   「思い出したくないことを聴くと、、、発作が出るんだよ。」

 

    故郷の村に来て、、お母さんの御父さんや

     お母さん幼馴染の居るところで、、、ゆっくりと過ごせば、、、

      「心的外傷と、いう、、、PTSDは、、、いつの間にか

           治癒してゆくと思ったから、、、

         お父さんは、お母さんの故郷に来たんだよ。」

 

    「 お母さんのお父さんが町長をしているところが

        一番、、、心を、リラックスさせるからね、、、」

 

      人間には、、、

        思い出したくないショックな出来事が

          心を壊してしまうんだね。

 

      お父さんだって、、、塹壕に入って、、、

       折り重なった人間に守られて生き残ったときのことを

       今でも夢に見るからね、、、」

         私の右手のマッサージをしながら、、、

      「お前は、二歳の時、大やけどをしているけど

       まだ、意識が大人になっていなかったのが

        治せる傷だと言えるんだよ、」

 

    「心を治療してくれるのは

       故郷の山や、川、、美しい空、、、そして

         子供の頃の幼友達と

           お爺ちゃん(母の父)なんだよね、、、

         十年はかかるだろうね、、、」

     父は、、、一三年間という長い時間

       母の故郷で、、自分を振り替える事の無いほど、

         あたり、、、七か村、、無医村で

            どの村人も、、、母に

       「あんたが、、、先生を連れてきてくれたおかげで

          村は、、、3000人も人が住むようになっても

           皆、安心じゃ、、、」

 

      母は、大切にされていたような記憶がありますが

      母の方も、、、戦地での体験が、村の人に尽くす心が在りました。

   医院の洗濯場には、、、村の人が使えるようにと

    洗濯機を何台も並べていました。

    皆から、、お礼を言われるたびに

      母には笑顔が戻ってきました。

            

       戦場で、妹弟3人の死みていた

         9歳だった兄は

      何かにつけて、、、母を守ろうと必死でした。

 

    妹の私の「乳」を確保するために

    中学一年生の兄は、、、

 

     「10頭」も山羊を飼って、、、山羊の乳を絞りました。」

              

    墓場の中を通り、、、牛を飼っている農家に行って

                牛乳を運ぶとき、、、

              「お墓の中の道が怖くて、、、

 

        ≪勝ってくるぞと、、、勇ましく、、≫

 

         大声で歌いながら、、、

            牛乳を担いできたんだ、、、!」

 

    兄は、、、恐かった時のPTSDが、、、

       墓場なのかもしれません。

         戦場近くの村はチフスが流行していたらしく

    戦後、、東京に帰還してからも

          つり革に触れられなくて

            座席にも座れなくて

             手ばかり洗っていて、、

              

         

   私は、、薬剤師という、、科学的な思考が在りますので、、、

     

 

     人の心はわかりませんので、、、

     戦中に生きた、、「明治生まれの女性」が

    法定伝染病や、、、結核と闘いながら

       戦時中、戦場の付近の宿舎で過ごし5人の子供のうち

        産めや、、、増やせの、、富国強兵という

         とんでもない時代の流れの中で

       

          我が子の死を目前に

           自殺しようという気持ちまで

               追い詰められたとき

           9歳の長男が、、、母に寄り添ってくれたおかげで

       「この子の為には、、、まだ死ねない!」と

        心に鞭打っていたころ

        日本から、親が、、戦地まで、、迎えに来たというのです。

 

       終戦まじかな昭和19年!!夏の事でした。

 

       富国強兵の国策どうり、、、

        私をおなかに入れていました。 

        臨月の身体で、、

        日本に帰還できる命令が下りたのです。

 

       その日は、野戦病院に行くトラックが来なかった。

        父は、祖父に言われるまま

         着の身着のまま、、、

          

        最後の連絡船に間に合いました。

 

       、窓を〆ろと言う命令で

       連絡船は 全窓を閉めて出港したそうです。

       実は,、そのとき、、、

        日本軍は、、多くの物を失って、、

         一隻の護衛戦も無いまま

            海を、日本に向かって出航したのだそうです。

        母は席を確保するために

          結婚指輪もはずして、、、

           席を確保したそうです。

            残ったのは、、、一握りの父の為の

          手術道具だったと言っていました。

        故郷に着いたとき、、

 

           一粒の米も無く

 

       精米所に行くと、、、

        ベルトの車輪が、

          音が聞こえないくらい回転して

           西前さんという幼馴染が

          糠で、眉毛も顔も、、、老人のようになって

       「お医者さんを連れてきてくれたんだ!!!

          米俵ごと、、、お礼にあげるよ、、、!!」

 

         母は、、、この時、、、

             ここは戦場ではないのだと、、、

          気が緩んで、、、

          米俵を抱いたまま、、、

          ワーワーと、、泣いていたそうです。

 

    初めて、、緊張がほぐれて、、、それから13年、、、

         母のPTSDが完治するまで

        父は、村人から「先生は神様じゃ、、、と慕われていました。」

         

         泣きながら感謝される、、、

        無欲な13年の勤めに

       人生の寿命を燃やしながら、、、

          医師として

         勤務したのでした。

 

     PTSD,,,これは、、周りの受け入れと、、、

        命がけの愛が、、、13年かかって、、、

            たちなおってゆくような

            心を傷つけるような

         「域値」を超えたショックな出来事で、

          重症もあるという事を注意しなければなりません。

 

      戦争は、、、死んだ人も、、、

             生きて帰った人も

               地獄を味うのですから、、、

 

          戦争だけは、、、無い、、、地球になってほしいです。

 

  心の中は、、

     文にも歌にも出来ません。。。

                

         言葉にも、、、歌にもなさじ、、、わが想い

           その日その時

              胸から胸に、、、

     弟よ、、、君、、、死にたまうことなかれ 、、、

                   

       父の弟さんは、父から見ても優秀な快男児だったそうです。

         戦時中に亡くなってしまっているのですよね、、、

 

         海だったそうです、、、

 

        父は、、、あの日、、、トラックが来ていたら、、

        全滅した部隊に,、、野戦病院で従軍していた、、と

        奉公袋と、、、

         神社の寄せ書きでうまった

               日の丸の旗と

               千人針のタスキと、、、

                 軍服についていた、、、

             バッチのようなものを

                晩年

         「これを家には残したくない、、、」と言っていた。

            他家に行く、、、名字の変わる、、、

         全部私が持ってきましたが、、、

           今は何処にあるのか、、、思い出せません。

            

          

         

   

    戦争時代から、、、平成になる直前まで生き抜いた

     明治生まれで、

       音楽大学を卒業した、

         、1人の女性の写真を通して

 

   戦争が、、、女性をどんだけ変えてしまうか、、、

          、戦争のむなしさを

        伝えてもらえると、

    、戦争を避けられる未来を祈って

      掲載します。

        

       戦場に行く前の、、、静岡での長男1人と夫婦の時代

戦争に巻き込まれてゆく、、、夫婦の緊張した、、、家族写真

           

           戦争が始まっていないころの女性の顔   

     

 

   ここまでは、、女性は日本で暮らしていました。

     ニッポンに初めて入って来たクラシックの譜面を観乍ら

       ドイツ人、、ショルツ先生に弟子として、音楽に励むころ。

           

          

 

    苦しい状況が、、、彼女を取り囲み始めて、、戦争からの脱出まで     

       

  戦争中のPTSD   日本に帰国でき☜ 、思い出の外国へ旅 

                    

           村人に交じって

            戦後の笑顔

          

           戦地脱出、、、爆撃も終わり、

           終戦後の、立ち上がってゆく日本人の一人として

        戦地で失った子供を、、、取り戻すと、、、

          40才過ぎてから

        戦争を知らない、、、復活の日本!!

         後に、団塊の世代として日本を立てなおした世代の子!!

           ,、、後に

 

          不治の病として恐れられた「がん」の

         早期発見によって、

          外科手術が手遅れにならない時代の

            画像診断の分野を開拓して

          父の時代にできなかった、延命効果に貢献しました。

           

     弟を可愛がる母は、、どんどん回復してゆきました。

        疎開中の家族との生活で、、、

          精神は復活したのでした。

      

         故郷で祖父は、、、娘の心をよみがえらせたのです。

         勿論、、父の貢献も大きかったと思います。

      

   戦争を知らない団塊の世代の弟は

      パワフルで、明るくて、母の宝物でした。

        戦後の、、戦争を知らない時代の

         復活に向かって、行け行け,,,のパワーを発揮して

        黎明期の画像診断の名医として、、、

         母の心身を甦らせて、、、80歳を過ぎた母を

         天国に送ってくれました。

 

 

  祖父は、、昭和天皇を心から敬っていました。

  

   

     日本は資源も無く、、、開国間もない、、、戦争に

      巻きこまれてしまう、、、幼い国だった。

       マッカーサーは、、「日本人は12歳!だ」と言っていた。

 

      28歳でアメリカに留学していた祖父は

        アメリカの国の大きさ、、、

              資源の豊かさ

         法で動く,、、感情に流されない

              科学力

               通信力は、、、

            日本が遅れ過ぎだった、、、

 

          雲の後ろの飛行機群が探知できなくて

       貴重な軍艦を失ってゆく、、、

      文化の違いじゃな、、、

     アメリカと、、長期に闘うエネルギーは、、、

       日本には無い筈じゃ!!

      アメリカから、、学ばなければ,、、

            

            コロナのワクチンも、、、アメリカは早い!

         帰国したお爺ちゃんの家は

       洋館立てだった、、、電蓄もあった、、、

      ハイカラで

      いつも三つ揃えで、、、銀時計の懐中時計が

       私は、、、欲しくて仕方がなかった。

        電蓄は有っても、、、電気が無いのが南紀の山奥だった。

          祖父は衆議院と会う事が多くなり

           ダムをつくり、村に電気が来た。

  ダムが出来ると、

      祖父も父も母も親戚も、、

          皆、、都会に出ていった。

            父の人生は、、、

   仕方がない時代に、、、生れていた。

    戦争前の、、早稲田中学時代かな???

             

      戦後の疎開を得て、、、人生初めての

           開業医としての再出発!

           借金経済の開業が始まった。

         保険制度が出来て、医師は国の労働者として

          ノルマが増えていった。   

         大学時代の先生方と、、、温泉の再会

              

       

      美智子様が、女性たちに

               戦後の夢を、、下さったころ、、、

       

         戦後の復活の希望の時代を感じさせてくださった。

 

           

           昭和時代になって、、、笑顔を取り戻し

            自分自身を取り戻し、、、

          ニッポン女性の、、、強さを見せてくれました。

             


長期にわたるコロナの閉塞感を救ってくれるTV番組

2021-10-01 04:29:16 | Weblog

結構長い間の、、、coronaの予防間隔が

何となく、、閉塞感で、、、精神的に不健康を感じるとき

 グレーとトラバース、、、

 今朝は「谷川岳登山でした。」

               

生活が登山を中心に、自力で名山を踏破する番組ですが、

始まったころは、、、まだ少年だった様な記憶がありますが、

  今日は「知る人ぞ知る、、、皆知る、、、

             谷川岳登山でした。

  昭和30年代は、

               谷川岳は遭難する山でも有名だった記憶があります。

高校時代、写真部の部員と、

                高校の寮のある蓼科山には、

                       

                          ルンルンと

  

 何回か真夏の冷気を楽しみましたが、

     足を延ばして、、、谷川岳に行くのは

       2年先輩の、「山と渓谷」という雑誌に

        山の写真を投稿していた、、、

                                           Sサンでした。

 

  登頂成功の後は、暗室にこもりきりで、

   気に入った写真は全紙で焼き付けて、

          恋人と居るように

     「山の写真」と「彼だけのゾーン」が出来ていました。

    その時の写真が、「山と渓谷」の

                 グラフに採用されて、

           

      私たち同室の化学部の皆も、

       「すごいね~~~!」と

         彼を取り巻いたのが

            記憶に残っています。

 

         私の中でも…

       登山はベテランほど

    「谷川岳」にアタックする記憶が

    甦ってきます。

 

      昨日の谷川岳のTV番組では

  すっかり青年になった「グレートトラバース」の主人公が、、、

    頂上付近で

      コムラガエリをおこされて、、

 

     体調が疲れ切っている画面で。、、、休息中。

 

     かっては、、、難攻不落の山として

       プロも遭難した山が

         整備された登山道路が

          尾根の上を這うようにできていて    

       TV画面で観ていると

       行けそうな山になっていました。、、、、が!!!

 

      彼が、番組の中で 

       すっかりコンディションを

         狂わしているのを観ていて

 

           谷川岳の実際が、伝わってきました。

 

          一休みして、

          体中に酸素を送るという

           登山者として、、、プロフェショナルの彼が

            遭難防止の自己ケアをするのを観ていて、

          体調の悪い時は、

      撮影も休ませてもらうのがベストだと

     いつの間にか、、、一方的に、、

       親戚のお兄ちゃんの様な

      身近な、心配をする,、、一視聴者の婆ちゃんは

       テレビの番組を通して、フアンが生れることが

           年齢を通り越して、、、あるのに、、、苦笑しながら

       頂上付近の小屋で、休んでから、、、

        ひと眠りしてから行けば、、、

             なんて、、、TVに声かけていた。

          可笑しいでしょう?

            観ているほうは疲れないのに

             登山者の疲れを共有してしまうのですから、、、!

          心もWi-Fi、、、で、、

              、人の画面にはいってしまうのかな?

         

           立ち直って、又歩き出す主人公は

          すっかり青年になっていて「

       頼もしいチャレンジを続けている。

 

         自分も一緒に登山をしているという

        「疑似体験」、、、、、が、出来る。

 

         さっきまでの閉塞感がとれて、

             、又⁽

       もうひと頑張りして頂上アタック!

      あたり一帯の山脈の眺めに浸り

        気分は爽快になれました。

 

          体に気を付けられて

        歩き続けたことを、御茶の間で、拍手を送りましたよ!

       帰りには、、、山小屋で宿泊でき☜、、、良かったですね!!

    あれで、、、小屋が、、、満員だったりしたら、、、

        戸口で、倒れてしまいますよね、、、。

      登山が生活になっている、、、プロの厳しさと

        山の厳しさと、優しさ、、、

         花を鑑賞する心の余裕がない疲れ!!

       景色の雄大さと、、、空の広さが

      疲れ切った彼には、ゆりかごなのかもしれませんね。

       ぐっすり休んで、

         まずは、

          健康状態の良いことが

             登頂成功のプロの道かもしれませんね。

        いつも、、、一緒に登山している、、、御茶の間の

           77歳の婆ちゃんの

              若返りの日記でした。

           NHKに、記憶も大切ですが

           北海道の富良野の、登山の少年が

               登頂成功の時の、健康なお顔が

             山の大輪の花かもしれませんよネ!!