枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

放射能の教訓

2011年05月04日 | Weblog

 毎日の新聞を読むのが怖くなる。原発の放射能量の基準を、言い逃れのように換えたり、現場で必死で作業をしてくれる人たちを、知識もなしに送り込んだり、放射能量を偽装する。一生生活に困らない金額とは程遠い賃金で働かす。これの何処が安心だ?安全なのだろうか?東電社長など、謝ってすむことではないよ。

 原爆は、アメリカが落としたことだが、原発は日本人が、自分たちの営利のために、日本人を被爆させた。何れも、責任の大きさには代わりはない。汚水を海に流して、そこに棲む生き物へも、放射能を浴びせた。今後、何万年に渡って、この恐怖を続けていくのだろうか。広島に長崎に今も生きる人々の苦しみは、いったいどこに消えたのだ。

 最近の投書にもあったが、被災者の精神的な苦しみは、当の本人以外にはわからないのだから、『頑張れ』とは、言ってほしくない。と指摘があった。同感である。何故、これ以上の頑張りをしなければならない?確かに命があれば、生きてはいられるかもしれない。では、生活の糧はどうすればいい。食べる物を作る事さえできないのに。

 それは、被災しなかった人の台詞だ。自分たちの豊かな暮らしを、被災者の方と替えられますか?衣食住のあらゆることで、倹約と節約ができますか?冬には冬の暮らしを、夏には夏の生活を送れば、地球温暖化も防げます。電力会社の陰謀に、うまうまと嵌められてしまって、果たしてそこから出てこられますか?

 夏の暑さに対処できる体を作ることが先決です。冬の寒さに耐えられる資源の使い方を、研究するのが人類の知恵です。樹を伐れば、材木に使うだけではなく、最後まで使い切る工夫を考えましょう。自然と人類との共存ができなければ、地球は滅んでしまうのです。大統領の物でも、女王陛下の地球でもありません。

 家の中に宿を借りにきていたかたつむり。冬の間中、一体何処に居たのでしょうか?啓蟄を過ぎた頃、舞い戻ってきました。

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