台風での大雨。加えて強風に、枇杷の枝が折れた。1枝の被害である。玄関の梅の鉢が、転がり、実が幾つか落ちた。拾って洗い、焼酎に漬けた。芍薬と薔薇は枝を撓らせたまま、放置していた。下手に支柱をして、却って折れるのは忍びない。今回の風向きは、西北東に吹いたため、玄関付近が特に酷く荒れた。
卯月の頃には、枇杷葉の新芽が伸びていく。その折には、枇杷の実の袋かけがある。今年は摘芽も少しやり、寒冷紗もかけてみた。枇杷葉は寒さに滅法弱いのも、悩みの種であるが、自然の気温は変えられない。生きるための知恵と工夫を、学べるのも吉である。義務教育では教えてもらえない。
自然と暮らすことは、その恵みを分けてもらうこと。四季折々のエネルギーには、人間の力を超えた数値が潜んでいる。未知数、可能性。そういったあらゆる物を含み、未来への希望に繋げていく。人類が諍いを止め、国境や人種間の拘りを棄てた時、地球は新しい一歩を踏み出せる。再生へのスイッチを入れる。
地球上の寒冷地を除き、枇杷葉は、ギリシャ辺りから中東にかけ、ブラジルの方にまで伸びる。中国が発祥の地だが、その分布地帯は幅広い。中国から渡って来た枇杷は、日本の九州地方を経て、全国に植えられていった。或いは、漢方として用いられ、優れた薬効で広まっていった。そこには、名もない女性の力が大きく貢献している。
人間にだけ、命が与えられているのではなく、花にも木にも命はある。人間の勝手で、切ったり抜いたりする。挙句の果ては、工事の邪魔になると打ち捨てる。木には心が、果たしてないのだろうか。嫌々違う。見ようとしないからみえない。心で感じようとしないからわからない。その災いを取り除いてくれていたのに、無知とは恐ろしい。
地球からいえば、月は衛星。その影響を多大に受けて、人類は命を廻らせる。