旧暦で言えば、卯月である。遵って朝夕の肌寒さは当然のこと、気温の変化も当たり前である。衣類の調整も微妙なところだ。眼に青葉 山時鳥 初鰹 どうにもピントが合わないのだ。新暦の月日と、旧暦での季節感が著しく違うのだ。
こういう勘違いと言うか、錯覚に依る物かははっきりしないが、新暦と旧暦の違いは、人間の心の中にも微妙に影を落とす。私は、専門家でもないし、その道の解説者でもないので、然とはわからないが、漠然とした思いに心が揺さぶられる。
あれが動き出したのではないか?闇の中で、じっと息を潜ませて、時を稼いでいたようにも思える。来る日も来る日も、己の出番を何時にしようかと考えて、待っていたように思うのだ。或いは能力の隔たりかもしれない。喝采を浴びて登場する場面が必要だと。
スポットライトを。眩いばかりの光の渦の中で、その微笑を誰に送るのだろうか?それが禍々しい物であることに、一体何人の人が気づくのだろう?騙されないと思う自分が、きっと一番に信じてしまいそうだ。我に返って、殺されなかっただけよかった。そう思う。
それは単なる解釈の仕方である。声を聴くのも、姿を見るのも煩わしい。諸般の事情は無論だが、こいつと拘った自分を責めるばかりで。犯罪者の中には、真実が何か判断できなくなって、自分はやっていないと叫ぶ。では、真犯人は何処だ?
何が真実で、どれが事実かわからない。意識の欠片が消し飛んで、捉えようもない光に包まれた時、待ち構えた闇に気づくだろう。自分の愚かしさに、心が凍りつくだろう。だが尚、迷う想いがあれば、すっぽりと包み込まれていても、自分だけは違う。と考えているだろう。
今年、10ばかりの花が咲いた。シャーベットピンクの、やさしい色が似合います。