燕が、巣を作るのを待っている国もあれば、糞をして汚いと、追い払う人間も居る。燕は、幸福の王子に頼まれて、贈り物をするが、その足元で凍え死ぬ。親指姫では、助けられたお礼に南の国に連れて行く。子どもの頃、土間の上に巣をかけて雛を孵していた。
どんな生き物も、命があり、生きる権利がある。それが何時から、人間だけのことになったのか。自然からの恵みを戴く、というのは云うに及ばず人間だけではない。宇宙の摂理・森羅万象には人智では、計り知れない未知なるものがある。心して聴かねばならない。
植物は、光合成をする。また、二酸化炭素を吸って、酸素を排出する。人間は、その反対をするので、お互いが共存できる。だからこそ、そのシステムを無闇に壊してはならない。感謝の想いを忘れては、幾らありがたがっても意味がない。云うは易く行うは難し。
今朝は、愚図ついた天気で雨模様だ。布団が干せない。洗濯物も乾きが悪い。出かける用意をして、青空市に行く。筍があった。孫の迎えがあるが、それまでに寿しができるか。と買う。知人との約束があり、枇杷葉とドクダミを持って、出社している会社を訪ねる。
ブログサイトとメルアドを教え、操作方法を手ほどきする。息子さんは、娘の同級生で、1回でわかってくれる。知人はとみれば覚束無い。これこれ、事務所の人に聞かない。間違ってもいいから、やってみて。と言いつつお暇する。一抹の不安が過るが・・・。
その知人は、枇杷葉の生葉を焼酎に漬ける。と言い、見本を持って来たのを見せる。細かい説明をするが肝心な所が納得できない。生葉を洗うのも瓶も、水道水はだめだ。と言うのが聞き入れられない。失敗したからだが、カルキが腐らすにやっと頷くが。
枇杷葉を使うには、正しい方法での活用をお薦めしたい。独断で行うにも、あちこち聞くのではなく、信頼の措ける範囲を絞ってしてください。私の場合は、祖母からの伝承だが、小学校の低学年の頃であり、覚えている範囲と、自然からの教えが大きい。
如月のうららかな或る日の、枇杷葉。直ぐに気温は下がり、つかの間の春であった。花芽は遅くに咲くと結実しない。