枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

山は色づく・・・

2018年11月10日 | Weblog

 錦の織り成す、という表現には遠い山の色に、少しがっかりする。排気ガスと温暖化の影響だろう。子どもの頃には、実に美しい彩錦であった。山姥の錦のように、これ程に美しい布があれば、と想いを広げたものだが、昨今は難しい色合いである。何だか変な感じが強くなるような季節。

 勤務にも、その日のメンバーで、業務が遣り易かったり、疲労困憊になったりしてしまう。相手の事を慮り、自分都合を優先させないことも大切だ。落ち着かない人への寄り添いに、どうしても手が取られる。転倒のリスクも然ることながら、外に一人で行くのを見守るのも、気疲れする。

 昨日と今日は異なるし、明日もまた違うのだ。同じ事の繰り返しのように見えて、実は微妙に違っている。言葉かけにも、態度にも普通にすることの重要性があり、寄り添うことの大切さをしみじみと思う。人間は、歳を重ねれば、あちこちが壊れて来るし、自分を失うことにもなっていく。

 それでも。昔には、家族での看取りが当たり前で、特に嫁の負担は大きかった。介護を金で売ったり、買ったりの現状を、好ましくは思わないものの、金持ちのすることへの不満は尽きない。自分の親を看取るのに、子どもや孫が何故しないのかが、何とも不思議でならないのはわたしだけ。

 人間をテーマにした映画が、賞を取る、と言うのも、昔はそういったことが当たり前に行われ、自然なこととして受け入れていた。しきたりや田舎の付き合いは、面倒な事と言う前に、皆が助け合ってきたのだ。借りた物は返し、催促も当然あったが、そこは人情に溢れて、無茶を通しはせず。

 子どもの頃のことで、大人になっての付き合いが少なく、煩わしさも、何も無くなったが、知らぬ顔をするのも、拘わりないと素通りするのも、決して良し悪しではない。他人のことでも納得すれば、反対したいものだし、間違っていることを放置は出来ない。沖縄の基地の移設も、原発にも。

 夜空を観上げながら、明日の天気を予測する。月が笠を被っていたり、満天の星空に目を瞠ったり。

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