枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、上弦・小潮

2018年11月15日 | Weblog

 暦を見ていたら、七五三 亥の子餅 炉開きとある。この時期に、炉を開けてお抹茶を点てるというのは実感が伴うが、新暦の方では違和感が著しい。季節に応じた行事の廃れは、今更言うまでもないことだが、日本に伝わる農事には、暮らしに直結した切実な願いが伴っていた。

 自然栽培、という季刊誌があるが、この雑誌を読んでみて、祖母のしていたことを、お天道さまを仰ぎ、月や星に祈り、心を籠めて一心に行っていた暮らしに、切なくなるほど想いが重なっていく。子どもの頃には、責任も何もなかったが、労働に嫌気が指していたことも事実だ。

 籾苗を育て、田植えをし、草刈りや田草を抜き、稲穂の刈り入れに、干して脱穀。天日に乾かし籾摺り、俵に詰めて農協に出す。その繰り返しを、まさに休みなく行うことには、体力も気力も相当のことだった。簡単で便利な時代にはそぐわないかも。米の味は言うまでもないこと。

 祖母は、夕方には必ず宙を観ていた。そうして、雲の流れや、星の数や、風の向きに気をつけていて、明日の支度に余念がなかった。従って、少々の狂いには修正が利くので、切り抜けることができた。失敗を恐れないが、きちんと後始末の出来るように、常に心を配ってもいた人だ。

 記録に残ってはいないが、記憶には蘇える。農事には携わることはなくなったが、枇杷葉を見ていると、祖母のしていたことが鮮やかに視えてくる。自分のしていることを、何だか傍で見ていてくれるような想いだ。既に50年は過ぎようとしている。太平楽な子どもの頃はいいなぁ。

 すばるの寒がり。いや、猫であるからで、毛皮を着ている割には、温かい場所を探している。暖房を点ければ暑いと嫌がるのだが、遠くなら好いらしい。そこで、暖房の温度を20℃にして、羽を上向きにしたら、気持ち良さそうに眠る。日中の留守には、好みの場所を移動している。

 砂の器、届く。配役に圧倒される。加藤剛、丹波哲郎、渥美清、緒形拳、既に鬼籍に入られて、その若かりし頃の面立ちに、時代の流れを痛感する次第。然し今尚、差別は無くならない。自分の心にさえ残っているのに、と哀しい。仙太郎が、ハンセン病患者を創ったのは、神だと憤る。

 この世の未来永劫も、破滅も全ては、神の創りたもう世界に他ならない。光瀬龍・百億の昼と千億の夜とにも、プラトンの叫びが響く。アトランテスの滅亡も、神の仕組んだこと。弥勒坐像の中には、人類の未来は存在しない。神も仏も、人類の行く末等、知ったことかとあざ笑うばかり。

 枇杷葉の葉の中心に膨れてきた物が、徐々に大きくなってきて、そこから薄茶色の皮が破れて、蛙が憩う。

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