枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

小春日和の穏やかさ

2018年11月25日 | Weblog

 春のような穏やかさで、晴れていることを言う。日本の旧暦の季語は、俳諧をたしなまれる方には分かるが、一般人には馴染みが薄いもの。暦を見たり、気づかなければさっぱりで、会話が成り立たない。それでも、パソコンから意味を知ろうとする努力はかう。辞書で調べるのも好い。

 テレビで、蒲団の安売りをしているのが、眼に止まった。あんなにオプションをつけなくても、蒲団の柄が選べたり、必要な物だけの購入の方がいい。結果的には、場所を取るし、すぐに飽きる。従って粗大塵に成り兼ねない。そうして安価が却って捨て金となる気がしてくる。貧乏性だ。

 野菜を捨てることなく、或いは衣類も着回しをしたい。買うのではなく、身体をそれに合わせる努力を。毎晩入浴時に塩で擦っていたら、ウエストが元に戻った。枇杷葉茶で淹れた刀豆茶も飲み、枇杷葉ローションの塗布。もったいない精神で、可能な限り捨てないで使う。すこぶる節約。

 新暦では既に11月も末になった。クリスマスと浮かれる気分ではないが、花が咲く野は心待ちで、日毎に育つクリスマスローズに、水遣りをする。今年は、フリージアも元気がいいのだが、寒さにやられると萎れる。ナイロン袋を被せる?日中には外さなくてはで、忘れると自滅するよ。

 来年のことを言えば、鬼が笑うのだが、余りにも疲労困憊につき、出ないことにした。手当てが出るだの云々ではなく、正月くらい、家に連れ帰ってもらいたい。誰の親でもない、自分の親じゃない。せめてそれ位の孝行が出来ないとは。自分が子どもの頃に慈しんで育ててくれたお礼だ。

 全ての人がそうであるとは限らないが、どんな親でも、最初の想いは同じなのだ。生活の慣れや疲れから、変化が起きて来るのだ。昔なら隣近所の世話もあったが、今は犯罪が絡み出来なくなった。人間が人を騙すのか、騙されてしまうのかはいざ知らず、金がないと生きずらい世の中に。

 でも。マザーテレサさんは、自分のことを還りみず、貧しい者を救い、世界中を笑顔で翔け周った。してみると人柄もあるんだ。キリストの教えだけではなく、私欲でもなく、一つ一つの命のために、自分を捨ててこられた人だ。わたくしの考え等、取るに足らない物、贅沢は身を亡ぼす。

 沖縄の基地の撤退と、原発の廃炉や停止を求めるが、他人の関心事で済ませてしまう。大阪に、万博が誘致されたことも含めて、世間の眼は方向を変える。でも、一番大事なことは、原発が再稼働されて、事故が起きれば大阪は全滅だよ。逃げ場も何も原発から、大勢の避難場所は何処に。

 性別が判明した。♂である。♀にしたら、余りにもお転婆できかん気だと感じてはいたが。

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