枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

彼岸の入り、三隣亡・如月

2019年03月18日 | Weblog

 天気が回復して来、気温も少しは戻って、暫くぶりの鶯の声である。昨夜は、何となく気が緩んで、転寝をしてしまい、風呂にも入らずであった。今朝は朝湯を使い、洗濯物も済ませ、蒲団を干しての忙しさに、携帯の充電を忘れるところであった。ノートパソコンの部品は秋葉原にある。

 休みと思うと、身体が即するのだろうな、と自分ながら不甲斐なさを知る。否、気分即ち、精神面でのことには、自分でも予期せぬ奈落がある。歳を重ねることにも由るのかも知れぬが、激務の中では仕方がない。その日の対応にも差が出て来るし、出勤者全員が可能な訳でもないからね。

 自分だけでの対応には限りがある。誰かと組んでするにも、意志の疎通がなければ出来ない。馴れてくれば解かることもあり、雰囲気で察することも多い。そこが連携であり、相手への思いやりに繋がる。こちらは働く以上は、賃金に見合ったことを、と常に考えていくが、異なる者も居。

 DVDを買っていたら、パソコンの場所が狭くなったので、まとめて置くことにしたものの、容れ物が合わなくて、置き場所に困った。要は、動かないで観ようと言う魂胆では駄目らしい。キャスター付きなので、チェアーの傍にと移動する。元々が狭い部屋だけに、更に身動きが出来ない。

 庭を見回れば、枇杷葉の結実したのが見える。殆どが花芽の状態で霜や雪に遭い、枯れてしまっている。1枝に数個が付けば好でもあり、粒が育つのが待たれる。気温と雨量との関係もあるので、これこそ自然の掟で、日々の想いが欠かせない。どんな作物にも、祈りと感謝は必要不可欠だ。

 すばるは、出窓に行って、日向ぼっこをしている。朝、サッシを開けたら、薄汚れた野良猫が縁側に居た。我が家の居心地が好いのかも知れぬが、すばるが居るので飼えない。然し、猫の毛並みも、多種多様であると思う。何が縁であるかは分らぬが、すばるに愛しさが湧く。抱っこは腕が。

 介護の仕事をするのにも、専門の知識を持っているだけでは、様々な症状には対応出来ないことがある。書籍を読めば、そこに書かれていることと、作者の想いにも及ぶこともあり、解答は1つではないことだ。醍醐味は、様々に感じ想えることに、始まり終わるのかも知れない。読書は愉。

 宇宙を観上げ、そこに瞬く数多の星に、願いを懸け、想いを祈る。夢であっても、叶うかも。

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