枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

古里は・・・

2019年03月26日 | Weblog

 新聞記事に、辺野古への反対を然して見かけない。個人的には、ブログでの書き込みでいいとは思うが、誰しもが訪れてくれる訳でもない。それでも反対の気持ちを綴らないと気が済まないのである。移設の問題は、沖縄県民だけのことでなく、日本国民が考えていかねばと思える。

 それなのに話しあいさえ拒み、強硬に推し進める理由は何?多額の建設費も莫迦にならないが、年数も、沖縄の埋め立ての海もを壊す。間違いに気づいても、取り返しのつかないことになろう。でも、自分の住む場所ではなし、自分の詰め腹を切ることもないので、何をしてもいい。

 人として、人間として、してはならないことを、一国のトップは教わらなかった?その回りに居る者も、考えも無しに物を言う。加えて雁首を揃えて、ぎゃあぎゃあと喚くだけ。給料を貰うのも、これは庶民の血税です。消費税は払う義務があろうが、果たしてその方法が使途不明。

 金銭感覚が異なっているので、金の価値が分らない。札束で頬を張られるのは、一体どんな気持ちだろう。わたくし等、10万円以上は手が震える。自分の金でも、使い道を誤まれば、地獄へ一気に落ちようと思える。郵便ポストに、札束は入らないし、誰も心付けはくれないと実感。

 午前中の天気に誘われ、今朝は午後出勤なので、蒲団を干した。散し寿しの予定で片付けをして、酢飯を作っておき、洗濯物を済ませてから取り掛かった。具材は、何時もので、三つ葉を最後に散らした。海老、牛蒡、椎茸、筍、しらす干しと混ぜ込んでいく。味は好くほっとして安堵。

 時間があるのと、夕方には接遇研修で遅くなるので、ブログの更新をしている。彼岸を過ぎたと言うのに、一向に暖かさが戻らない。準備する衣類に、セーターをに仕舞う。リエさんは貸してくれるが、往復途上が困るので、スカーフも入れた。スカートは止め、ズボンにして荷造り。

 昨夜は、生の枇杷葉を腰にして眠る。日中は、蒟蒻を当てての治療をした。痛みが和らいではいるが、無理はすまい。歳を重ねると言うことの実感である。こういう時の対応を誤れば、動けなくなるので注意している。病気への抗体や免疫には対処できるが、こればっかりは如何せん。

 すばるが、走り回るので、これは置いて行かれることが分るのか。と胸が痛む。連れて行くにしても、慣れていないから、騒動が持ち上がる。帰宅時の悲惨な状況は覚悟して、置いて行かねば。餌は多めにして、枇杷葉茶もたくさん容れておこう。寒さがあやふやなので暖房も点けて。

 毎年、藤井旭さんの天文年鑑を買う。ポケットサイズなので、何時でも何処でも持ち運べる。

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