枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

新暦盆迎え

2019年07月13日 | Weblog

 新暦だと、天気がぐずついて足元も悪いが、関東地方では多いようですね。しきたりというか風習というのか、早くはやくと急かされるようで、何だか居心地が良くない。盂蘭盆会とも違うが、旧暦での方がしっくりいく。まあ、その土地のやり方もあるので慣れるもの。各戸で自由が好い。

 枇杷葉も、実を収穫し終えて、新芽が出てきてはいるが、この雨に育たない。夏場は暑くなくては枯れる。霜にやられたようになって、茶色く変化する。食卓では採った実が処狭しと並ぶ。毎日のようにせっせと口にしているが、中々減らないのだ。リエさんに、着払いで送らせてもらった。

 隔年の豊作であるし、今年は初生りの木が、何本かあったためだが、来年の予測もつかない。出来不出来は何が原因か分からないこともあり、また断定出来ない。商売での収穫ではないが、好きな方に差し上げている。今回は鈴生り状態が起きて、リエさんに連絡したら着払いでと言われる。

 図書館で借りた、美智子さまのお好きな花の図鑑に、佐藤さとるさんのお名前を見つけてびっくりした。鬼通での、末吉暁子さんからのお付き合い・単なるファンであるのに、我が家からの枇杷葉や桃農家からから、送らせてもらっていたことに身が縮む。枇杷葉からの繋がりに過ぎない。

 甜瓜は好物で、青空市で見つけたら買うが、プランターでは難しいし、土がひ弱では作れない。何度も苗を買ってみたが失敗してしまう。あれは種を発芽させ、苗を育てて植え付けなければ、上手くいかないのかもしれない。祖母が作ると、畑一面に金色の卵が転がっていたもの。懐かしい。

 子ども頃には、貧しく何時も腹を空かせて、野苺や麦苺、黄苺や桑の実、山に行けばそこにある食べ物を口にしていた。畑の野菜は、神さまにお供えするための物で、七夕やお盆に使う。従って、祖母の作る物は、許可なくしては取れなかった。神聖な物で、先ずは神さまにお供えしてから。

 我が家では、枇杷葉の実を採る時には、ちょうだいね、と声をかけて捥ぐ。黙ってだと美味しくない。感謝と祈りの気持ちが存在していなくては、甘さも薄れるのだろう。送った方々は美味しいと言ってくれたが、試してからは贈れないので。今年は、早く採ったので、味にばらつきがある。

 名月である。月の美しさには、心を洗われる想いもする。月の光を浴びて、暫し佇む。

 

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